第82話

※ こちらの話も少々センシティブな表現を含みます。

  苦手な方、ご自分が読むに相応しくないと考えられる方は閲覧をお避け下さい。

  近況ノートにこの話の内容をまとめましたので、そちらをご覧いただければ82話を抜いて読んでも話が通じるようになっております。



――――――――――――――――――――――――――――――――――



 私の、彼を好きだという言葉を聞いて、マクス様は嬉しそうに笑う。


「私もだ。ビー、あなたを心から愛しているよ。もう観念した。愛らしい少女を庇護しているだけだ、これはヴェヌスタの機嫌を損ねぬための契約結婚だ、などという言い訳は、もう出来そうにない」


 私を呼ぶ声はどこまでも優しくて甘い。ああそうだ。いつだって彼は、こうやって私を呼ぶではないか。


「マクス様……」

「だから、だ」


 彼は、また少し困ったような笑みを浮かべる。


「このような私の気持ちを理解してくれたのなら、先ほどのような不用意な発言は避けなければいけないよ。抱いて、などと言われたら勘違いする。そういう意味で、抱いて良いのだと思ってしまう」


 でも、傷つけたくはないんだ、とマクス様は小さく声を出して笑う。


「そのつもりのない娘を、相手の誤解させるような言葉をいいことに抱くつもりはない。だから」


 彼の唇が私の首筋に触れ、その感触にぴくっと身体が小さく跳ねてしまう。彼はそこで深く息を吐いて。


「煽らないでくれ。これ以上、精神的に鍛えられることなどないと思っていたのだが、まだまだ甘かったようだな」

「マクス、さま……?」

「次、を言ってきた時には、あなたの覚悟が出来た時だと判断するからな」


 気を付けるように、と少しからかうような口調でウィンクしながら言ったマクス様は「これは、私を不用意に煽ったことへのお仕置きだ」と私の鎖骨の下にキスをする。肩を竦めると、そこに小さな痛みが走る。これって、もしかして、もしかして、と頭の中が真っ白になっていく。


「じゃあ、今日はあなたの言うように、抱き枕として私の腕の中にいてもらおうか」

「あの、マクス様、私」


 多分、きっと、今私の鎖骨の下には赤くなった痕がついている。服の下ならば、誰かに見られることはない。そう、着替えを手伝ってくれる、クララとアミカ以外には見られない。

 つまり、彼女たちには私たちの関係の進み具合など丸わかりだということで。そういうものだとわかっていても、恥ずかしい。


「ははッ、こんなことを言われては、抱き締められるのも怖いだろう?」


 離れていこうとする彼を引き留める。腕に手を添えれば、彼は困ったような顔になった。自分の言葉の意味が通じていないと思ったのだろうか、マクス様はまたどういうことを意味しているのかという説明をしてくれようとする。


「抱くという言い方ではわからないか? つまり私は」

「怖く――ないです」


 意味が理解できないわけではない。それなりに、ある程度の一般常識として勉強した程度ではあるけれども知識もある。経験は、ないけれど、彼の言わんとしているところも、わかる。


「……ビー、だからあなたは、発言に気を付けなければいけないと言って」

「意味は、通じております」


 つまり彼は、私をひとりの女性として求めてくれているということ。

 ――嬉しい。

 そのように思うだなんて、自分でも驚いてしまう。夫婦なのだから、などという建前は関係なく、彼が私をちゃんと女性として見てくれていたのだと知って、喜びが胸いっぱいに広がる。

 少しまだ躊躇うように、いいのか? と聞いてくるマクス様を見返す。


「マクス様」

 

 切なげな彼の顔が、ゆっくりと近付いてくる。そっと唇同士が触れる。一瞬で離れたそれが名残惜しくて、彼の服を引く。優しく笑ったマクス様は、もう一度優しく口付けてくれた。額に、頬に、目尻に、そこかしこにキスを落とされる。


「ふ……っ、マクス様、くすぐったいです」

「ん? ああ、そのうち慣れる」


 彼の手が、肩に触れて、そのまま滑らされてネグリジェが――と、そこでふと思い出した。


「あの、マクス様」

「なんだい? やっぱり、怖いか。ならば今日は無理をせずとも――」

「そうではなくて、先ほどクララとアミカから、ここにマスク様の紋があると言われたのですが」


 また頬に口付けながら聞いてくる彼に胸元を指で示して問えば、マクス様は頷いて布を少し下げる。


「これだろう?」


 ちゅ、と唇が触れるとそこが熱くなる。肌の表面だけでなく、心臓まで熱くなるような感覚に襲われた。短く息を吐けば、マクス様も熱い吐息を漏らして、なんども胸元にキスをする。

 唇で触れて、時折軽く吸いあげて、鎖骨にも触れて、またそこにきつく吸いついて。身体のラインを確かめるように、手の平は私の腰のくびれを優しく撫でている。


「……あ、っ」

「ビー、あなたの身体は、どこも甘く香しくて、自分を抑えられなくなりそうだ」

「ん、マクス様、あの、それでこの紋、は……っ」

「紋?」


 ああ、と思い出したように彼は指先でくるりとその円形を辿った。


「妖精たちが暴走した時に、あなたの命ごと止めるための術が掛かっているという証だな。この魔法を掛けるにはどうしても素肌に触れる必要があったのでな、他のものになど任せられなかった。あなたの肌に私以外が触れるなど、我慢ならなかった」

「これは、マクス様に掛けていただいた場合には、誰にでも刻まれるものなのでしょうか」

「うん?」

「私以外にも、その、マクス様の紋が刻まれた方がいらっしゃるということ、で」


 じっと見つめられてしどろもどろになった私にじわじわと目を丸くした彼は、やがて弾かれたように笑い出した。


「はッ、はははッ! あなたはなんて可愛らしいことを言うのだろうね」


 ぎゅうっと抱きしめられて、彼はベッドに転がる。私をおなかの上に乗せるようにして抱き上げ、今度は自分が寝転がった姿勢でこちらを見上げてくる。


「それを、ビーは嫌だと感じたんだな?」

「……心が狭くて、申し訳ございません……」


 情けなくなる私に、上半身を起こしたマクス様はまた優しくキスをして、額を合わせて笑う。


「いや、嬉しいよ。私が術を掛けた召喚魔導師は他にも数名いはするが、それはあなたにしかない。本来は、その紋の周囲にある文字しか刻まれないものなんだ。誰が掛けたものなのかが重要ではなく、きちんと発動するかどうかが問題になるものだからな、署名のようなものは、本来は不必要だ」

「では、なぜ……」

「それは――私の、我儘だな」


 わがまま? と小首を傾げれば、マクス様は私の肩口に顔を押し付ける。


「さっきまでは、あと少しであなたを手放さなければいけないのだろうと――思っていたから……せめて、あなたが、私の元にいたという印、に」


 彼は唸って、私を強く抱き締める。


「……いや、一生涯刻まれるものに、迂闊にそんなものをつけるべきではなかったな。うん、やはり私は、あなたに関してだけは冷静でいられないようだ。魔導師でなければそれがなにかはわからないし、ただの植物の文様に見えるだけだろうが、次の……あなたの夫になる男がそれを見たら、まあ、いい気分はしないだろうな」


 私が、あなたの命を握っているという事実でさえも、必要だとはいえどう考えても気持ちのいいものではないだろうに。マクス様はそう言って、すまない、と落ち込んだような声を出す。


「ビー、あなたは、このように余裕のない私は、好まないだろう……?」


 まるでちょっと悪いことをしてしまった子供のような不安げな表情に、口元が緩む。

 なんて愛らしい人なのだろう。

 エルフ族の長で、魔導師の塔のマスターで、この国の辺境伯で。誰もが見惚れるような美貌と、豊かな才能を持っているような、なんでも持っているような、なんでも意のままに出来るだろう方なのに、こんな小娘の気持ちひとつにこんなにも不安そうな顔になるだなんて。

 

「いいえ?」

「本当のことを言ってくれ」

「可愛い、と思います」

「……かわいい?」


 ええ、と頷けば、彼は戸惑いを浮かべる。そんな顔も愛しくて、彼の頭を抱きかかえた。


「でも」


 ぽつりと言葉が口から洩れる。


「ほかの方にも、あのように唇で触れられているのには、少し嫉妬してしまいそうです」


 必要なものだとわかっているのに、私は本当に心が狭い。彼の妻としての、余裕など全然ないのが情けない。

 しかし、私のそんな言葉を聞いた彼は、んぐ、と変な声を出して、そっと視線を逸らした。


「……ない」

「え?」

「必要、ない。本来は、指先で充分、だ」

「……マクス様……?」


 では、なぜ唇で?

 そう問う私に、彼は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。そして、大きく息を吸うと、一気にまくし立てた。


「私も色々と限界だったんだ。言い訳はしない。あなたの肌に触れたかった。その柔肌に私の痕を残したかった。ずっと、あなたの命が尽きるまで、あなたと私は繋がっているのだという証を残したかった。いや、これがどれだけ独善的で卑怯なふるまいだったかは充分に理解している。でも――いつか、あなたがほかの男に肌を晒す時が来るのだとしても、その時に私の紋がそこにあったのなら、少しでも、思い出して、もらえる、のではないか、と……多分、一瞬でそこまで考えてしまったのだと、今ならわかる。すまなかった、本当に申し訳ないことをした。ビー、こんな私を、許して、貰えるだろうか……?」


 『独占欲の強い男ってこっわいですねぇ』

 クララの声が耳の奥によみがえる。

 ――なるほど、こういうこと……

 ビー? と眉を下げるマクス様を見て、私は妙に納得していた。

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