第81話

 マクス様、と眠るためにベッドへ誘おうとすれば、彼は私を拒絶するかのように手の平をこちらに向けてきて「ビー、一度落ち着いて話し合おう」などと言いながらじりじり下がろうとする。しかし、背後はドアなのですぐに彼は逃げ場をなくす。

 後ろ手にドアを開けようとしたようだが、いつの間にかあちらから施錠されてしまっていたようで、彼は小さく舌打ちした。

 

「私は落ち着いています。私と寝てください、というお話をしているのです」


 なにもおかしなことは言っていない。夫婦の寝室の夫婦のベッド、彼に使用資格がないなんてことはないのに、なにを遠慮しているのだろう。


「いや……あなたは自分がなにを言っているかわかっているのか? 抱いてくれ、寝てくれ、などというのは」

「ええわかっています」


 抱かれなくては、抱き枕としてのお役目を果たせないではないか。なにをそんなに躊躇っているのだろう。


「あなたが心を決めたのだというのなら、私に異存などあるわけがない。しかし、例えば、私が悩んでいるようだから、などとそのような浅い理由でそれを許そうとしているのなら、もう一度ちゃんと考えた方が良い。本当に私で良いのか? いつか後悔するのではないか?」

「そんな『いつか』など来ませんわ」


 マクス様は息を呑む。それから真剣な顔で「ならば、本当に抱いても良い、と?」改めて聞いてくる。私ははっきりと頷く。


「はい。私の体温を感じながらお休みになってください。今日は私が抱き枕になりますので。私に甘えてくださるとおっしゃったではないですか。甘えてください」


 なにも考えずに、抱き締めて眠ってくれたらいい。

 そう言えば、マクス様は途端に複雑そうな顔になった。少し安心したようにも見えるが、がっかりしているにも見える。ちょっと表現の難しい感情に襲われているようだった。


「……ああ、なるほど。なるほどな。いや、うん、そうだろうな。は……はは、ッ……はぁ……」


 苦笑いを浮かべた彼は、がくりと肩を落とした。それはそうだ、とぶつぶつ言っている彼に手を差し出す。


「さあ、マクス様。寝ましょう?」


 彼の手を引いてベッドに行って横になり、彼にも隣に寝てもらう。しかし、抱き枕役を買って出た私からマクス様は距離を取ろうとする。ベッドのギリギリ端まで行って、そこで私に背中を向けようとするのだ。


「マクス様、それでは寝ている間に落ちてしまうのではないでしょうか」

「そうは言うがな、あなたが入学初日に不安で眠れなくなったあの時とは話が違う。本当に抱き締めて眠るわけにもいかないだろうに」


 なにやら妙な抵抗を示す彼に近付いて覗き込むと、案の定少し身体を動かしただけで彼は落ちそうになるではないか。ずり落ちかけたマクス様は、シーツを掴んで落ちないように踏ん張っているようだ。


「ほら。やはりその場所では危ないではないですか。もっと近くにいらしてくださいまし」

「勘弁してくれ」


 無理だと言いたげな彼を見ていて、私はハッとする。


「……もしかして私、寝相が悪いのでしょうか……」


 マクス様以外の誰かと共に寝たことはない。以前一緒に眠った時、マクス様を蹴飛ばしたりしてしまったのかしら。もしそうだとしたら、確かにどんなに大きいといえど、同じベッドで寝るのには不安があるだろう。

 だったら、彼に比べたら身体の小さな私がソファで寝るべきかもしれない。失礼しました、と告げてベッドを降りようとすればマクス様に止められる。

 

「いやいや、寝相が悪かったわけではないよ」

「でしたら、もっと真ん中に来てください」

「それは――」

「やはり、本当は共に寝ることなど難しいほどに私は寝相が」

「違う、そうではない。そんな悲しそうな顔をしないでおくれ。私が悪かった。そうじゃないんだ」


 ベッドの中央部になんとか戻ってきてくれたマクス様と並んで横になるが、しかしいつものようなゆったりとした雰囲気はない。動きは硬く、こちらを見ようともしない。


「じゃあ、おやすみ」


 そして、やっぱり背中を向けようとする彼の腕に手を置いて、そのまま自分の方へと引き寄せる。


「どうぞ、私を抱いてください」


 振り返るような形になった彼に、抱き枕の役目を果たさねば、と思いながら口を開く。


「……ビー、ちょっと、もう口を開かないでくれると嬉しいのだがな」


 マクス様は溜息交じりに言って、仕方なさそうな様子で私をそっと抱き寄せる。


「申し訳ありません。そうですよね、もう寝るのですから、お喋りは終わりですわね」

「ビー」

「はい」


 彼は身体を起こすと、私に覆いかぶさるように体勢を変えた。マクス様の長い髪が、カーテンのように周囲に降りてくる。彼のことしか見えなくなる。


「あの、これでは抱き枕になれませんわ」

「私は、あなたを愛している」


 改めて言われた言葉に、私は数度瞬きを繰り返す。それは、知っている。

 

「……ええと、はい、妻として愛してくださるというお話は、理解しております」


 しかし、そう返した私に、そうだな、とマクス様は苦笑いを浮かべた。


「ああ、『妻として』愛している。が、それだけではなかったようだ。悔しいことに、今日、思い知らされた。嫌というくらいに、理解してしまった」


 それだけではなかった――その言葉に、途端に心臓が高鳴る。そうだ。彼は、私に他の男性が、いや、他の生物が近付くのも嫌だと言っていたのではなかったか。クララやアミカは、独占欲の強い男、とマクス様を評したのではなかったか。

 そんなはずはない、と遮断していた思考が動き始める。

 ――彼も、私と同じ気持ちだと思っても、良いの? 私を、恋愛という意味で、好きだと思ってくださっているの?

 まさか、と思えば、また彼の言葉を真剣に検討する気持ちが消えそうになる。でもこの時は、彼がそれを許してはくれなかった。


「あなたが私のことをどう思っているのか、学院で妻だと発言してくれた以外には聞いたことがないような気がする」


 彼の指が、愛し気に私の頬を撫でる。その肌の熱さに、視線に含まれる熱に、勘違いではないと理解する。


「私の対外的評価や、感謝しているなどの言葉ではなく、あなたの私に対する気持ちは?」

「私、は」


 マクス様が、好き。彼に対して抱いている想いが、恋というものだというのだと自覚してしまった。彼も同じ想いなのだとしたら、これは、両想いということになる。

 貴族の娘として生まれた以上、好きな人と結ばれるだなんてことは難しいのだろうと思い込んでいた。エミリオ様に対しても、他の男性に対しても、こんな気持ちを持ったことはない。どこまで伝えていいものか、どこまで素直になっていいものか、ふしだらな娘だと軽蔑されることがないのかがわからない。

 戸惑っていると、正直に教えて、と彼の顔が近付いてくる。


「お慕い、しております」

「もっと、わかりやすい言葉で教えて」

「マクス様が……好き、です」

「ああ……嬉しいよ、私のビー」


 彼は、誰が見ても恋をしているとしか思えないのではないか、と思えるような顔で、私の名前を呼んだ。

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