第74話

 疲れていても、せっかくキーブスが用意してくれた夕食を食べないのは申し訳ない。着替えて食堂へ行くと、今日はまだマクス様の姿がなかった。

 珍しいこともあるものだと思いながら席について待っていると、しばらくしてコレウスと一緒にマクス様が姿を現した。


「ああ、すまない。待たせたね」


 そう言うマクス様は、少し浮かない表情だ。いつもならすぐに視線を合わせて微笑んでくれるのに、今日は視線も合わない。あのマクス様がそんな顔になるほどの、とんでもない問題が発覚したのだろうかと不安になる。

 

「なにか、問題が起きていたのですか?」

「ん? ……ああ、いや? 領地には問題はなかったよ」


 ちらっとこちらを見た彼は、また視線を逸らして自分の席に座る。しかし、目の前に並べられた食事にも、手をつけているようで口には運ばれていない。フォークでつついているだけだ。ワインも、いつもと違って今日はまだ1杯目がグラスからなくならない。

 これは、どう考えても、おかしい。

 ――私を不安にさせまいとしてるのかしら。

 真実を隠されているのではないかと思えば、こちらまで食欲がなくなる。お茶の時間にしっかり食べただろうから、と気遣ってくれたキーブスの用意してくれたいつもよりだいぶ軽めの夕食なのに、おなかに入って行かない。

 魔物などについて以外で、そんなに悩むようなことがあるのだろうか。なにに対しても余裕のある態度でいるマクス様があんな顔をしているのは、初めて見たかもしれない。


「大丈夫ですよ、奥様」


 スープを置いてくれながらコレウスが小声で囁いてくる。


「本当に?」

「はい。アレは、本日話し合われた内容とは別のことで頭の中がいっぱいになっておられるだけです」


 ――アレ、って。

 彼は軽くあごをしゃくるようにしながら言う。相変わらず、主人の扱いがひどい。

 それもこれも、マクス様と使用人たちとの信頼関係があってこそなのだと思うけれど……と、思ったところで、もしかして? と思いついたことがあった。

 マクス様はまだぼうっとした様子で、今はワイングラスを揺らしているばかりだ。今日は夕食時のマクス様とのお話は出来そうもない雰囲気なので、この機会にコレウスと話をしてみようと試みる。


「コレウス、少しだけ聞きたいことがあるのだけど……いいかしら」


 コレウスはマクス様を見て、こっちの会話に気付いていなさそうなのを見て「どうぞ」と答えてくれる。


「あなたもエルフ……なのよね?」

「はい」

「間違っていたらごめんなさい。もしかして、コレウスとマクス様は幼馴染なの?」


 他に適当な単語が思いつかずに尋ねれば、二・三度続けて瞬きをしたコレウスは「はい」と小さく頷いた。

 ――ああやっぱり。

 今までの態度もすとんと腑に落ちる。この城にいるひとたちはみんな家族のようなものなのだろう。だから、あんな気の置けない様子なのだ。


「そうだったのね」

「代々長の補佐役として務めてきた一族の生まれです。自分の方が多少年上ですが、幼い頃からマクシミリアン様のお側で仕えさせていただいております」

「あら」


 ということは、彼もエルフ族の中では有力な一族というものなのかもしれない。彼らに、人間社会と同じようなルールがあるのかどうかは知らないけれど。

 コレウス曰く、小さい頃から側にいたので、マクス様について知らないことはほぼないらしい。

 ――知らないことはない……と、いうことは、やっぱりマクス様の恋愛遍歴なども知っているのよね。

 気になる。

 聞きたい。

 マクス様の、初恋のお話とか、どのような女性が好みなのか。 

 しかし、本人が話してくれているわけでもないものを身近なひとに聞くというのが失礼だというのも、十分に理解している。しかし。

 そわそわしていると、無表情なままコレウスは声を更に潜める。


「旦那様が女性とお付き合いした経験がない、とは申しませんが」


 ――ああ、やっぱりそうよね。

 私が初めての相手なわけはない。わかっていたのに、胸の奥がチクチクする。

 ――本当に嫌だわ。この感覚。

 テーブルの下で手を握り合わせる。


「長続きした試しはありません。エルフが相手の場合は、仕事に没頭してばかりの旦那様があまりにも冷たいと、お相手様から別れを切り出されることがほとんどでした」


 いわゆる、仕事人間というものだろう。しかし、私が見る限り、学院に顔を出したり一緒に庭園を散歩してくれたりと、そんなに仕事一筋でもないように思える。

 ――昔は、仕事一辺倒だったということね。

 今は領地や魔導師の塔のマスターとしての地盤もしっかりしたから、そこまで躍起になって仕事ばかりでなくてもよくなったのだろう。


「それから、お相手が人間の場合、旦那様がどうしても合わないとお断りすることも多々ありました」

「あら、そうなの?」

「最短ですと、お相手から交際を申し込まれて受け入れてから10秒程度でお別れになったことも……」


 ――はい? 10秒? 10日ではなく?

 聞き間違えたのかと思えば「10秒で合っています」私の考えを読んだかのようにコレウスは言う。


「受け入れられたことをお喜びになったお相手に抱き着かれたものの、どうしても匂いがダメだったようで、反射的に突き放してしまいまして。それで、あっという間に破局に」

「……匂い……」

「エルフ族は、人間の体臭が苦手なものも多いのですよ。独特の人間臭というものが受け入れられないことが多いので、そもそもエルフと恋物語を紡げる人間は多くありません」


 気難しい種族、と伝わっているのは、単純に「人間は臭い」と思われていたということだろうか。私は大丈夫なの? と自分の身体を見下ろせばコレウスは間髪置かず否定の言葉を口にする。


「奥様は、エルフや精霊たちに似たような香りをなさっています。人間には珍しいですね。その香りを嫌うものはこの城にはおりません」

「コレウスがそう言ってくれるのなら安心ね。みんなに我慢させていたのではなくて良かったわ」

「大丈夫です。そうでなければ、旦那様があの距離で奥様を愛でるはずもありませんから」

「…………っ」

 

 彼に言われるまでもなく、マクス様の私への態度は『愛でる』という表現がぴったりだ。まるで、愛玩動物のように、膝に乗せて、撫でて、抱き締めて、可愛いと口にして。首筋に鼻先を擦りつけられることすらある。

 思い出せば、身体がカァっと熱を帯びる。

 ――そう、私はマクス様から愛玩動物のように思われているだけなのだから、変な想像をしてはダメよベアトリス。

 頬を押さえると、そこは燃えるように熱かった。

 コレウスは真っ赤になってしまった私の耳元で続ける。


「ご安心ください」

 

 突然そう言われても、コレウスがなにを言いたいのかわからない。彼を見上げれば、漆黒の瞳が妖し気に輝き、いつもは真一文字に結ばれている口元が、少しだけ引き上げられているように思える。


「あの見た目に惹かれて一晩だけの相手を、と言ってくるものに靡いたこともありません。『私にその気がない』と素っ気なく断るばかりです」

「……そう……」

「身持ちは硬い方です。まったくと言って良いほどに遊んでなどおられませんよ。むしろ、我々が心配になるほど――」

「コレウス!」

 

 変なことを言わないでちょうだい、と眉を寄せてしまったところで「ん……? おいコレウス。ビーになにかしたのか?」こちらの様子にやっと気付いたらしいマクス様が話しかけてきた。

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