第73話

 私のような立場では、知ってはいけないことをたくさん知ってしまった。

 

 ミレーナ嬢とソフィーとは定期的に情報交換の会を開くことを約束して、お茶会という名の暴露大会は終了した。私に先に帰るように言ったマクス様は、領地でなにかしてから戻ってくるようだ。


「お気をつけて」


 あんな話を聞いた後では不安が高まる。思わず口にすると「ははッ、私を誰だと思ってるんだ?」彼はいつも通りに笑って私の頭を撫で、領地の騎士団長や魔導師の塔の人たちとどこかへ行ってしまった。


「あとでガツンと言ってやりましょうね」


 こそっと小声で言ってきたクララは、両手で拳を作っている。もしかして、殴るつもりなのかしら、と思ったら面白くなってくる。


「ガツンと?」

「ええ、ガツン、です」


 そう言いながら拳を振り下ろす真似をするから、やっぱり拳でいくつもりらしい。くすっと笑ってしまう私を見て、クララとアミカは顔を見合わせて微笑む。コレウスの案内でアクルエストリアに戻れば、他のメイドたちがお風呂の準備をしてくれていた。

 お湯に浸かると、身体と心の疲れが流れ出していくようだ。


「今日は大変でしたね」


 手をマッサージしてくれているアミカの表情は変わらないけど、労わってくれているのはわかる。


「一日中驚くことばかりで、とても疲れたわ」

「学校でもいろいろあったんですか?」


 クララに聞かれ、朝からのことを思い返す。

 午前中からアナベルと共にエミリオ様たちに絡まれ、アナベルは彼らから差し出された第二王子の紋章の入ったブローチを拒絶した。まさか、王子の誘いを断る令嬢がいるとは思っていなかったのだろう。あの時の彼らの顔と言ったら。

 思い出せば、ふっ、と表情が緩んでしまう。

 新しい価値観というもので生きようとしている彼女を、私の取り巻き扱いした上で利用しようとするなんて……


「本当に、失礼だわ」

「なにかされたんですか?」

「いいえ、私ではないのだけど、お友達がね」


 そういえば、学院で流れている「マクシミリアン・シルヴェニア辺境伯とベアトリス・イウストリーナ嬢の真実の愛」説も、そのうちにどうにかしないといけないだろう。

 あれは、勘違いもはなはだしい。以前から彼が私に想いを寄せてくれていたなんてことはないし、この婚姻は私と国に対する救済措置に過ぎない。でも、この説明をするにはタイミングというものが存在していて、それは今ではない。これ以上勝手に盛り上がられるのも困るし、そんな話がマクス様の耳に入って、私に対してなにか責任のようなものを感じて負担に思われるのも嫌なのだ。

 ただでさえ2年も彼の元でお世話になることが決まっているお荷物だろう私に、魔法を学ぶ機会まで与えてくれているのだから、これ以上を求めるのは欲深すぎる。


「そういえば、あの聖女様、聞いていたお話と少し印象が違いましたね」

「そうね。私も、あのような方だとは思っていなかったわ」

「なんだか……」


 クララは少し口籠ったように思えて顔を見る。なにを言いたいのか聞き出そうかどうか悩んでいる一瞬の間に「とても、良く召し上がる方でした!」と結局卓上のおかしのほとんどを、毒見もしていないのに食べてしまったことを指摘する。


「結構な量あったのに、キーブスの料理はお口に合ったんですねぇ」

「……そうね」


 エミリオ様たちから逃げ出し、授業を終えた私を待っていたのはアレク先生からの呼び出しだった。そこで聞かされたのは、私に精霊たちが与えてくれている加護が特殊なものであることと、召喚魔法を使えるようになっているということ。召喚魔法を使うには、通常の魔導師よりも強靭な肉体や精神力が必要となるから、今学んでいる者とは別の鍛錬が必要になるということや、魔法の暴走を押さえるための術を掛けられることになるというお話。その危険性について語るアレク先生に、マクス様はあまりにも軽い態度で『安全に力を磨く手伝いをするしかないだろう』と宣言して。

 それから、光の精霊を呼び出せる召喚魔導師は、神聖魔法に近い力を持つことが可能になるとも聞いた。教会がほぼ独占している癒しの力を管轄外の者が持つことを好ましく思わない者、利用しようとする者もいるだろうから、慎重になる必要があると頭に留め置かなくてはいけない。


 お昼休みにまさかの食堂に顔を見せたエミリオ様にお昼を邪魔されて、挙句、不貞を働いていたような疑いが見える言葉をかけられて。

 思い出すとまた頭に血が昇って目の前が白くなりそうになる。額を押さえれば「のぼせてしまいましたか?」と、クララが果実の香りのする水を渡してくれる。


「ううん、大丈夫よ。ちょっと、今日あったことを思い出して頭が痛くなっていただけ」

「あ~! またあのバカ王子に絡まれたんですね」

「そういう言い方をするものではないわ」


 彼女たちは、ルミノサリア国の国民ではない。しかし、仮にもエミリオ様は王族なのだ。このような態度を知られたら、揉めごとの火種になる。しかも、あちらからしたら私を取り返す良い口実になってしまうかもしれないことを考えると、人間と接する機会はそう多くないとはいえ、ここのひとたちにも意識してもらわなくてはいけないだろう。

 エミリオ様は、私たちの結婚誓約書も直に確認したと言い、どうして王族用のそれを使うことが出来たのか調査を命じたようだ。面倒なことになっているのは間違いない。やむを得ず受け取ってしまったブローチもどうしたものか。

 彼から逃げようとした私に同行してきたミレーナ嬢からアレク先生の部屋で、マクス様との結婚について問われ、魔法を使って私が正気だと確認され――その場に現れたマクス様は彼女に興味を示したようだった。その態度に胸が痛くなるということを何度か繰り返してしまった私だけど、結局マクス様はミレーナ嬢の目、神眼と呼ばれるものに興味があっただけのようだ。彼女は偽りの姿や悪意を見破ることができるらしい。そして、愛の女神ヴェヌスタに直接会ったこともあるらしい。

 ――あの胸の痛みは……

 今になって思い返せば、いくら私でも気付かないわけではない。あの時、マクス様がミレーナ嬢に興味を持ったことに対し、自然と沸き起こってきた感情は、小さな嫉妬や独占欲だった。

 ――つまり、私は、やっぱりマクス様を。

 自覚すれば、急激に恥ずかしくなって、顔をばしゃんとお湯につけて誤魔化す。しかしすぐに、驚いたように「わぁ! 奥様どうしたんですかっ、急なおねむですか?!」と叫んだクララに引き上げられた。


「ごめんなさい、大丈夫よ」

「もうっ、驚かさないでください、奥様!」


 そう言いながら、クララは髪に仕上げのオイルを塗りこんでいく。

 急遽開かれたお茶会で判明した、教会のついている嘘と、魔族の存在。そして、ミレーナ嬢……聖女が現れたことは吉兆ではないというお話。一日に起こったことが多すぎて、頭の中はいっぱいいっぱいになっていた。

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