第71話
ふぅ、と深く息を吐いて自分を落ち着かせる。
「マクス様、からかわないでくださいませ」
「私はからかってなど……」
「ミレーナ様とお話があったのではないのですか?」
そう指摘すれば、彼はぱちぱちと瞬きをして「私がしたかったのは、目の話だけだが?」と、もう終わった話についてなにを掘り返そうとしているのかわからないとでも言いたそうな顔になる。
「近くで見てそうではないかと思ったが、私もそう何度も見たことがあるわけではないから確証は持てなかった。しかし、本人の口からもそうと言われたからな。間違いないだろう。お嬢さんに悪意がないこともわかっている。確認できたなら、それ以上聞きたいことはないよ。ただ――彼女の前で姿を変える可能性があるのなら、事前に言っておく必要があるかもしれない。こっちだって遊びで変身魔法を使っているわけではないんだ。正体をうっかりバラされては台無しになるってもんだ」
「わかってます! どこかでお会いして、集中してからシルヴェニア卿のお姿で見えた時は、その時はなにも言わずに黙っておきます」
「ああ、よろしく頼むよ」
安心してください! というミレーナ嬢に対し、苦笑いのマクス様は、絶対口にするだろうが、とでも言いたそうに見える。確かに、今までの正直すぎる発言を聞いていると、本当に黙っていられるのかあやしいところ。完全に信用しきれないというのは、わかる。
それにしても、もし本当にマクス様のミレーナ嬢へ対する距離の近さと興味関心が、彼女の目に関することで終始するのなら。
――だったら、あの顔の近さは、単純にミレーナ嬢の目が特別なものなのかどうかを確認するためでしかなかったということ? 興味があるというのも、珍しい神眼持ちだったから?
ほっと胸をなでおろし、同時に頭の中が疑問符でいっぱいになる。
――私、どうして安心しているの?
はて、と首が傾いでいくのを感じる。そんな私を、むにむにと緩む口元を隠しもせずに見ているミレーナ嬢と目が合う。
「では、ミレーナ様はどのようなお話があったのですか?」
相変わらずキラキラした目をしている彼女に問えば「わたしもお話は終わりました」とこれまたあっさりと言う。
「エミリオ様が良からぬことを考えているかもしれないので注意してください、というお話がしたかったんです。もしもエミリオ様のお話の通り、お姉様が望まない婚姻を結んでいらして、お姉様の意思を無視してすべてが行われていたのなら、わたしもどうにかしたいと思ったのですけど……全部エミリオ様の勘違いのようですもの」
「その『良からぬこと』の内容について、あなたが知っていることはあるのかい?」
「ええと……」
マクス様からの質問に、それを言って良いのかどうか迷ったのだろう。ミレーナ嬢はソフィーを見る。視線を受けたソフィーは小さく頷いて自分の席に座り直す。
「私からお話して良いでしょうか?」
ソフィーは、姿勢を正して真剣な顔をした。どうぞ、とマクス様に促された彼女は、その場にいる人の顔を順番に見回す。
「私は、聖なる乙女でした。教会にいた間、それなりに優秀だと言われてきました。そしてミレーナ様はかなり破天荒ではいらっしゃいますが、歴代の聖女の中でも有能でいらっしゃるのは明白です」
「破天荒ってひどいわ、ソフィー様」
「礼法の時間を嫌がって城を抜け出してお一人で城下町に遊びに行って広場で子供たちと一緒になって歌って踊ったり、これまた護衛もつけずに夜中に酒場に行こうとしたり、そんな素行不良な聖女様は記録にございません」
――酒場って……ミレーナ様ってば、そんなことまでしているの?
思わず、マクス様と目を見合わせる。騎士団の宿舎に顔を出して傷を癒したり、町に出て平民階級からも支持を得ているという話は聞き及んでいたけれど、そこまで自由奔放に行動しているとは思っていなかった。この国の法律からすれば、彼女はもう飲酒もできるのだけど……それにしても、夜の酒場に一人で出かけるなんて、平民階級の女性たちだってあまりしないことではないのだろうか。
「話が横道に外れました。これは――自分で言うのもなんだとは思いますが、歴代の聖女、聖女候補の中でも優秀だと評価されている私たち2人の見解です」
ソフィーは、もう一度私たちの顔を見回して。
「とても、悪い予感がします。この国にとって、悪いことが起きようとしているように感じられてなりません。このような曖昧な表現で申し訳ないとは思うのですが、まだ具体的になにがこんなに胸を騒がせているのかを判断できてはおりません。しかし」
「……まあ、このタイミングで聖女が現れたんだ。こちらも準備はしているよ。しかも歴代随一とも言われるくらいの才能持ちの乙女だろう。嫌な予感しかしないのは、わかる。どうして私がこの立場にいる時に、と思わんでもないが――やれるだけはやっている。なにもなかったならなかったで構わないしな」
真剣に訴えるソフィーの言葉と、それを聞いても驚きもしないマクス様の態度に、ゾクッと背筋が凍える。
――彼らが言っているのは、つまり。
「なるほど。魔導師の塔でも、もう動き出されているのですね」
「ああ。混乱を招く恐れがあるから、まだどこにも話してはいないがな。こちら側も、情報を集めている最中だ。教会にも情報共有はしていないから、あちらがなにをどう考えているのかはわからん。その辺りは、ソフィエル嬢の方が詳しいのでは?」
「私はもう、一応教会からは抜けておりますので」
「……人々が平和に暮らせるようになったから、聖女が現れることがなくなった……」
「ベアトリス? どうしたの?」
教会が言っていたことを思い出す。
かつて魔族に襲われていたこの土地に安寧をもたらしたのは聖女。完全に脅威がなくなったから、ここしばらく聖女が現れることはなかった。
「聖女が現れたということは、この国に、また脅威が訪れる予兆……ということですか?」
そうだ。マクス様と最初に話した時。その時にも同じようなことを思い浮かべた。聖女が現れたということは、決して嬉しい報告ではなかったのではないのだろうか。
ただひたすらに彼女の登場を喜んでいたこの国の中でも、誰かは不穏な予感を抱いたかもしれない。でも、聖女様が現れた事実を「聖女と王族との婚姻が行われたら、国がより繁栄する」と好意的に受け止める人たちによって、その言葉は打ち消されたのかもしれない。歓迎ムードに、そのようなことは口に出来なかったのかもしれない。
特に、今代の聖女であるミレーナ嬢はとても明るくて愛らしくて、周囲が驚くような突拍子もない行動を取るような子という印象をみんなが持っているだろう。そんな光に満ち溢れた聖女を見ていると、これから先悪いことが起きるとは思えない。
――……もしかして。
ミレーナ嬢の私たちの理解を超えているように思える行動は、不穏な空気を感じさせないため?
騎士団のところに出入りしているのも、万が一の時に彼らが全力で困難に立ち向かえるように常に怪我のないように見回っているとか……?
考えすぎ、だろうか。
いや。多分私の想像は間違っていない。
私は、私たちは、ミレーナ嬢についてまったく理解していなかったのかもしれない。ミレーナ嬢の顔を見れば、彼女はにこにこと笑っているだけで、そこまで深く考えているようにも見えない。
――どっちなのかしら。
どちらにしろ、今の彼女の行動が余計な不安を広めていないのは事実。いるだけで、世間の雰囲気を変えられる人。
――この方、本当に、聖女様……なんだわ。
ここにきて初めて、私は聖女という存在に畏怖にも似たものを覚えた。
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