第69話
またしても沈黙。
これが名ばかりのお茶会なのだとしても、それにしてもこんなにも頻繁に気まずい空気になるお茶会になど参加した経験がない。これは、招待した側の女主人という立場的にも私がどうにかすべきだ。気分を変えるため、ミレーナ嬢が育ったというプリュニス国の話でも聞こうと口を開きかけた――のだけど。
「ああ、そうだ。私はそれをあなたに聞こうと思っていたんだった」
パチン、と指を鳴らしたマクス様は、今思い出したと眉を上げた。
カップを置いて話しだした彼に、先ほどまでの不機嫌そうな表情はない。マクス様は少しだけミレーナ嬢の方へ身体を乗り出す。
「それって、どれですか?」
可愛らしく小首を傾げるミレーナ嬢に、興味を抑えきれないように彼は顔を寄せる。
「私はあなたに興味があると言っただろう」
「……言われました、けど」
アメジスト色の大きな瞳が、こちらを気にするようにちらっと見てくる。ミレーナ嬢の表情にも、目の前の光景にも居心地が悪くなって、庭の花々に視線を移す。
――あ、まただわ。
喉の奥になにかがつっかえているような感覚。呼吸も出来なくなりそうだ。表面上はいつも通りに振舞ったつもりだけど、どこかおかしく見えているかもしれない。
――どうして、マクス様とミレーナ嬢を見ていると苦しくなるのかしら。
髪を撫でるような振りで、苦しくなる胸を押さえる。
「教えてくれないか、あなたのことを全部」
――聞きたくないような、気がする。
立ち上がって部屋から立ち去りたい衝動をなんとか抑える。私の前のカップにお茶を注いでくれながら心配そうな顔で私のことを覗き込んできたクララが、少しだけ眉を寄せた。
「……旦那様のあの喋り方、ただの癖で別の意図はないと思います」
俯いていた私の耳元にそっと囁かれる。
「そもそも、奥様の前で別の女性を口説くなんてこと、あの旦那様がするとは思えません」
「クララ」
「あとで、いっぱい文句言ってやりましょうね」
ぐっと小さく拳を握ってくれるクララを見ていると、強張っていた頬が緩んだ。くすっと笑えてしまえば、少しだけ楽になる。
「目だ、目」
こちらのやり取りには気付いていないのか彼はミレーナ嬢に話し続けている。コレウスと話しているうちに彼女は客人だという意識がどこかに行ってしまったのか、マクス様は気取らないもいいところな態度で自分の綺麗な空色の瞳を指差した。
「それ、神眼ってやつだな。久し振りに見たな。私も、コレウスも、その目には人間ではないように見えているのではないか? だからエルフだと確信をもって言ってくるのだろう?」
「見ようとしなければ人間にしか見えませんけど、真剣に見ればその人の本当の姿が見えるみたいです。おふたりもですけど、アレク先生もエルフですよね? 他にも学院には何人かいらっしゃるようですけど」
なんでもないことのように答えるミレーナ嬢に、お行儀悪く頬杖をついたマクス様は深く息を吐く。
「それは公には言っていないことだから、あまり大勢に話されるのも困るんだがな。特に学院の教員についての情報を漏らされるのは不都合が多い。やめてくれ」
「あ……っ、ごめんなさい」
でもまだ誰にも言ってません、と彼女は申し訳なさそうな顔をする。「とりあえず信用するが」と言った彼は、結っている髪を撫で下ろして肩から前へ流す。
「神眼は、歴代の聖女でも持っていたものは多くないはずだ。ヴェヌスタから直接貰ったのか」
「えーと……はい」
「なるほどなぁ。あなたはヴェヌスに会っているわけか。だからそれだけ強い力を受け取ってるんだな。それだけの愛を注がれているのなら……ちゃんと修行したら、本当に歴代随一の聖女になるかもしれないな」
楽しみだ、と言われたミレーナ嬢は照れたように笑う。それを見てソフィーも穏やかな笑みを浮かべているから、彼女も聖女様に文句は言いつつもその成長を楽しみにしているのだろう。友人のそんな顔を見たのはほぼはじめてで、とても新鮮だった。
「ついでに言えば、その目で見えたものは、うかつに口にしない方が良いぞ。正体を隠しているということは、隠さなければいけない理由があるということ。特に人間社会に紛れ込んでいる魔族連中などにはな、神眼を持っていると知られただけでも命を狙われる可能性がある。まあ、普段はソフィエル嬢だけではなくて、有能な近衛騎士などもついているのだろうから危険は少ないだろうが」
正体が見えることで生命に危険が及ぶ、という考えはなかったのだろう。途端に顔色の悪くなったミレーナ嬢を落ち着かせるように、立ち上がったソフィーが彼女の肩を抱く。
「それで? その目は偽っている姿を見破る以外になにが出来る?」
「悪意のある相手からは、黒いモヤのようなものが見えます。お城で過ごす間に何人も貴族の方とお会いしましたけど、笑顔で接してきているのに悪意のある方ってたくさんいるんですよね」
「あなたは腹の内を探るのは苦手そうだから、そりゃ有難い能力だな」
「あ! そうだ、聞いてくださいよ。その中で、何人もがお姉様を悪く言ってきたんです。底意地が悪いとか、自分よりも低い地位の方に対して冷酷な態度を取られるとか……魔族の血が混ざっているだとか。貴族学院でお姉様にいじめられたって言い出す方もいらしたんですけど、その方々からは悪意が見えたからきっと嘘なんだなってわかりました」
「なんてことを言うのかと口惜しく思いましたが、私が口を挟むと状況が悪化するのではないかと思って……ごめんなさいね、ベアトリス。貴女を擁護することが出来なくて」
私はその時その場にいなかったのだし、ミレーナ嬢へ顔通しを願い出ている人たちの狙いなど想像がつく。実家を敵対視している家や、この機会に少しでも上の地位に上がっていこうという野心を抱いている人、私を通じて実家を傷つけ、引き摺り下ろせるような機会があったら――当然見逃しはしないだろう。下手に私を庇ってソフィーの立場が悪くなるのは、こちらとしても不本意だ。
「ソフィーは黙っていてくれるので正解よ。私は大丈夫だから」
「ですよね! お姉様にはこんなに素敵な旦那様がついていらっしゃるんですもの!」
絶対に安心です、と明るく言うミレーナ嬢に、大きく頷いたマクス様は言う。
「ああ、ビーに危険が及ぶことがないよう、しっかり守ると約束しよう」
良かったですね、と顔を見合わせて笑ってくれるミレーナ嬢とソフィー。今までの話からしても、ミレーナ嬢は悪い人ではなさそうだ。
――危険なら、マクス様が彼女に気を付けるように助言してくださるだろうから……
彼の言葉を信じていれば安心、と思ったところで、これでは自分で考えることを放棄していることになるのではないかしらと不安になる。このまま彼に甘やかされるのに慣れてしまったら、私、やっぱりなにも出来ないようになってしまうのでは? そんなお荷物でしかない契約上の妻なんて、形だけでも愛する気にはならないのではないかしら。
――それは嫌。せめて、形だけでも……
「ビー?」
考え込んでしまった私は、徐々に視線が下がっていく。周囲の音も聞こえないくらいに集中して考えてしまっていた私は、突然マクス様からテーブルの下で手を握られ、くんっ、と息を呑んだ。
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