第68話

 またしても流れてしまった妙な空気を打ち破るのはコレウスだった。


「旦那様」

「なんだ」


 自分の一言でこの空気にしてしまった自覚があるらしいマクス様は、少しほっとしたような顔でコレウスを見る。真顔で自らの主人を見つめ返した執事は、どこまでも真面目に言った。


「うかうかしていると、今度は旦那様が略奪されますよ」

「略奪ってなんだ」

「先ほどの話を聞いていらっしゃらなかったんですか。無理矢理に奪われることです」

「そこを聞いているんじゃない」

「ぼんやりしていると、奥様を奪われますよ」

「……お前、なにを言って――」

「のんびりしていると、目の前から奥様を」

「コレウス、言いたいことがあるならはっきり言えばいいだろう」


 同じようなことを言葉を変えて何度も繰り返してくる彼に苛立ちを覚えたのか、マクス様は少し険しい目つきになる。主人に睨まれても意に介さないコレウスは、命じられた通り、考えていることをそのまま正直に口にした。


「要するに、第二王子はまだ、ベアトリス様を諦めていないということです。あれこれ言いがかりをつけられて連れていかれてしまうということもあるのではないか、と申しております」

「そんなこと出来るわけがないだろう」


 どうしてですか、という疑問を挟む余地はない。彼が次に言うのは――


「誰を相手にしていると思っているんだ。私からなにかを奪っていくだなんて、どこぞの王子が騎士団を引き連れてやってきたところで不可能だ」


 マクス様は腕を組み、居丈高にも見える姿勢で目を細めた。いつも通りの自信に溢れている発言に、私はなぜかホッとする。


「それは、大切にしまい込んでいれば、の話ではないでしょうか。奥様にはご自分の意思がおありなのですよ」


 行動を制限していない以上、相手に口説き落とされる可能性だってある、とコレウスは言い出す。想像もしていないかったようなことを指摘されたのだろうマクス様は、目を丸くして私を見る。なにをそんなに驚いているのかしら、と思う私に「ビーは、私の元から去っていくのかい?」となぜか先ほどまでの自信に満ち溢れた様子は霧散して、少し不安そうな顔で聞いてくる。


「今のところ、その予定はありません」

「今のところ……そうか」


 マクス様は複雑そうな顔になって、そのまま黙り込んでしまった。


「専用の談話室が用意されていること。食事も食堂に来ることはほとんどなく専門のコックに作らせたものを持参して昼食としていること。それから、エミリオ殿下が受けているのは貴族専門の講座ばかりだという噂も小耳にはさんでおります。平民階級の方々と接している様子はほぼない。ということは、第二王子が魔導学院に通っている目的は平民階級との交流ではありません」


 もしかしたら、この情報だけで判断すると誤解が生じるかもしれない。

 エミリオ様が貴族階級以外を軽視しているということはない。能力のある者は出生に関係なく認められる人だ。それは、長いこと近くで彼を見てきた私が断言できる。

 しかし、彼の周りの人たちは必ずしもそうではなかった。特に、今も彼と一緒にいるユリウスの実家、ノヴァ家の貴族主義は有名だ。公爵家の令嬢である私にこそ失礼な態度をとることなどなかったユリウス様だが、彼も実家の思想をしっかりと受け継いでいる。聖女であり、将来的にエミリオ様との婚姻が決まっているからこそミレーナ嬢に対して丁寧な態度でいるだけで、本来彼からすれば格下の男爵家の令嬢――しかも礼儀作法のなっていない娘とは話など絶対にしないような人だ。

 学院への手続きなどを、あのエミリオ様が自分でしたとは思えない。私が側にいなかった以上、それを任せられたのはきっとユリウス様だ。であれば、エミリオ様が平民階級の人たちと会話を交わすような機会をもつことすら稀だろう。


「かといって、ミレーナ様との親睦を深めているというわけでもないように見えます」

「そうですね。エミリオ様とわたしは、どちらかといえばお友達というか……あ、お姉様のお話をよくします! いろいろ教えてくださるんですよ。幼い頃のおはなしだとか、貴族学院でのお話ですとか。エミリオ様、やっぱり魔導学院でもお姉様と一緒に過ごすことはできないかと、考えていらっしゃるみたいですね。どうしたらいいと思う? って相談されます」


 にこにこと教えてくれるミレーナ嬢だけど、その話は聞きたくなかった。空き時間、彼らがなにを話しているのかを想像すると鳥肌が立ちそうになる。


「フォルマギスからも、エミリオ第二王子は順調に魔法を取得してはいるが、身が入っているようには見えない、と報告を受けている。よほど才能があるのだろうな。片手間に見えても、習得難易度の高い魔法も覚えられているようだ」

「魔導学院の卒業生は魔導師の塔に来る者も多いので、在校中から有能な生徒や特別な力を持っている生徒についての情報が塔へ上がってくるのですよ」


 どうしてそんな情報を学院長がマクス様に報告しているの? という私たちの頭に浮かんだ疑問が見えたかのように、すぐにコレウスから説明が入る。生徒の情報をマクス様が把握していることについては、今回が特別ではないようだ。


「しかし、いくら才能があっても、やる気のないやつは要らんぞ」

「そもそも、第二王子が魔導師の塔に所属するはずもないのですよ、旦那様」

「要らん。第二王子など要らん。頭を下げてきても入れてやるものか」

「旦那様」


 この国においては不敬罪にあたります、というコレウスの言葉で、マクス様は口を閉じる。


「これらの情報から考えるに、エミリオ第二王子が魔導学院に通っている理由は、ベアトリス様と少しでも一緒にいる時間を作るためだと思われます」

「あ、それ正解ですよ、きっと。だって、先週もずーっと、まだお姉様にブローチを渡せていないのかって、ユリウス様に迫ってましたもの。なんとかしてあの談話室でお喋りの時間を持ちたいみたいですねぇ」

 

 あっけらかんとした調子のミレーナ嬢からの、ありがたくない追加情報。

 ――エミリオ様……学院になにをしに行っているのかしら……

 じとりとした目つきになってしまったのは私だけではなかった。同じようにソフィーも呆れた顔をしている。マクス様は、先ほどエミリオ様を魔導師の塔には入れないと言っていた時よりもさらに仏頂面になっているように見える。気に入らない、という感情が顔に現れすぎている。


「今週はあんまりうるさく言ってないなって印象だったんですけど……自分から動くことにしたんでしょうか?」


 ミレーナ嬢は今日の昼休みのことを言っているのだろう。彼が自分で動き出したとなると、人目を気にした私が根負けするのを狙っているのかもしれない。少しは考えたようだ。


「でも」


 また一つ、お菓子を口に入れたミレーナ嬢はもぐもぐしながら呟く。


「いくらエミリオ様が絶世の美男子って言っても、エルフの美形具合には負けますよねぇ、人間ですもの」


 ――また、彼女はなにを言い出したのか。

 ひくっと攣りそうになる頬をそっと押さえる。動揺を必死に隠そうとする私の前で、ミレーナ嬢は私の主人であるマクシミリアン・シルヴェニアがエルフだと確信しているようなことを言い出す。


「こんな美形エルフさんを毎日間近で見てたら、目は慣れるし肥えるじゃないですか。しかもこんなに愛されているお姉様を振り向かせようとか、いくらなんでも無理ってものだと思うんですよねぇ。元婚約者っていっても、その間に恋人らしいことをしていたとかってわけではないみたいですし」

「なにもありません。夜会でエスコートしていただいたりダンスをした程度です」


 彼の前でなにを言い出すの、と慌てて口を挟む。事実私とエミリオ様には特別なことはなにもなかった。気持ちすらなかったのだ。エスコート以外で手を握られたのは――もしかしたら、今日が初めてだったかもしれない。思い出して、手を洗いたくなる。


「それにしても、使用人の皆さんもお綺麗なお顔ですよね。シルヴェニア卿のところにいらっしゃるのはエルフの方ばかりなんですね」


 ねぇ、とミレーナ嬢から真っ直ぐ視線を合わされたコレウスは、珍しく少しだけ眉を動かした。

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