第67話

「略奪というのは、物騒な言葉ですね」


 想像外の言葉を受けて言葉を失くしてしまった私やマクス様、なにを話したらいいのかわからないという顔をしているソフィー、それから、なにやら自分ひとりで納得したような顔をしているミレーナ嬢の間には沈黙が流れる。

 その静寂を破るように、コレウスがぼそりと呟いた。


「その言葉は、無理矢理に奪ってくるという意味ですね」

「エミリオ様はそうおっしゃってましたよ。ベアトリスお姉様を略奪されたって」


 いきなり話し出した執事の格好をしている男を見上げたミレーナ嬢は、何一つ疑問に思わなかったような、なんでもない顔で返事をする。私なら、誰かのお家に招かれて、そこでいきなり使用人に話し掛けられたら驚いてしまうだろうけど。しかし彼女はそうは感じなかったようだ。

 そして主人であるマクス様も客人に不躾に話し掛けたコレウスを止める気はないようで、彼の喋るがままにさせている。ミレーナ嬢も好きなように発言させて大丈夫なのかしら、と同じく止める様子のないソフィーを窺う。

 先ほどまではかなりお行儀よくしていたコレウスではあるが、彼は私の知っている貴族の家にいる執事とはかなり異なっている。初対面の時にマクス様に対してあんなことを言い出した彼なのだ。もしかしたら……

 私の嫌な予感を裏付けるように、真顔のコレウスはマクス様を真っ直ぐ見る。


「旦那様、やっぱりベアトリス様を誘拐して来られた――」

「来てない。攫ってない。合意の上だ」


 わかっていた、というように、マクス様は彼に最後まで言わせずに言葉を割り込ませる。しかし、それくらいで止めるコレウスではない。


「はぁ……美しいものが好きな方だとは存じておりましたが、まさか本当に、しかもこんなに若いご令嬢を無理矢理に……」


 なんということを、とわざとらしく大きな仕草で悲観して見せるコレウスに、マクス様の目はじとりと半分閉じられる。


「おい、コレウス」

「冗談でございます」

「冗談になってないんだ、そんな真面目な顔で言われると」

「おや、冗談の話ではないのですか。我が主人ながら、なんと嘆かわし――」

「そんなわけないだろう! 私がいつビーを無理矢理に連れてきたというんだ。合意だと言っている。ちゃんと……あー、確かにどこに行くとは言わずに連れてきたが、それでも嫌がられてはいなかったぞ」

「……旦那様……真剣に話せば話すほどに、怪しさしか増しません」


 目の前で始まった妙な掛け合いにソフィーは目を丸くし、ミレーナ嬢は笑い出した。


「面白い方ですね! ふふっ」

「と、このような遣り取りは、旦那様がベアトリス様を連れ帰られた時に既に交わしております」

「あの時よりも悪いぞ」

「……奥様にもお話は伺っていますが、決して無理矢理などではありませんよ。すべて合意の上だということは、確かでございます」

「あ、わかってます。というか、今日わかりました」


 どうやら一応主人の無罪を主張していたらしいコレウスに、ミレーナ嬢は我が意を得たりとばかりに喋りはじめる。


「エミリオ様ってばあまりに真面目なお顔で何度も『ビーはあの男に攫われたんだ』とかおっしゃるんですもの。わたしも初めは彼のお話が事実だと思ってしまっていたんですけど」


 彼女の話すところによると、エミリオ様はミレーナ嬢と夫婦にならなければいけないという決まりは当然理解していた。ミレーナ嬢を妻とすることに文句があるわけではない。これが、自分の為すべきことだとわかっていた。彼女を嫌っているわけではなく、どうやらそれなりに仲良しにはなっているという。

 しかし、どうしてこうなったんだ、とこの状況に納得はしていなかったらしい。

 今までにない形で力が発覚した彼女の、聖女としての修行はまだ一つも進んでいない。更には隣国でかなり自由に成長してきたので、この国の貴族としての礼儀作法等、歴代聖女が力が覚醒した際にはとっくに身に着けていたあらゆることを、今から勉強しなければいけない状況にあった。

 多方面の思惑を受け、通うことになったのは魔導学院。そこで、魔法については専門的な勉強をしたことのなかったエミリオ様も、いい機会だから、と自分の能力を伸ばすために通うことにしたのだそうだ。国王さまからも、ミレーナ嬢との親交を深める意味と、階級関係なく多くの者が通う学院で、平民とも触れ合って色々な立場の人間の意見を聞いてくるといい、と許可を得た。

 当然二人だけで通うわけにはいかないので、護衛役にユリウス・ノヴァ様、レオンハルト・アルカディウス様、オリバー・グラティア様という王子の幼馴染であり同年代の中でも優秀な才能を持つ三人、それからミレーナ嬢の世話係のソフィーを引きつれて入学を申し込んだ。


「その時に、ベアトリスお姉様もきっと一緒に来るはずだから、入学の許可、もしくは才能がないのであれば世話役としての入校許可を出してくれるようにと学院長にお願いしていたみたいです」

「私、一緒に登校するだなんて思っていなかったのですけど」

「エミリオ様の中では、お姉様も当然一緒に登校して、これまでのようにいつでも一緒にいるものだと思っていたようですよ? お姉様がシルヴェニア卿の元で静養なさっているという話を聞いて、どうしてそんなことをする必要がある、と会えないことに対して憤っていらっしゃいました。でも、学院に入学する頃にはお元気になっているはずだから、といつも話していらして」


 ミレーナ嬢から聞くエミリオ様の話に、私はなんと答えたらいいものかと悩んでしまう。どこか、擦れ違いが生じているようにしか思えない。しかし、どこが掛け違っているのかがまだわからない。


「と言っても魔法はそれぞれに属性が違うんですから、同じ講座が取れるとは限らないのに」

「そうですね」

「でもエミリオ様は、お姉様は絶対にずっと自分の側にいてくれるものだと信じていたみたいで、入学式の日に『結婚してます』って言われて、かなりショックを受けたみたいです」


 お姉さまは結婚しないと思っていたんですって、とミレーナ嬢は軽い調子で言う。

 彼がどうしてそこまで言っているのかはわからないが――それは、現婚約者の前でする話ではないだろう。少なくとも、交友を深めていこうとしている最中に、幼馴染で元婚約者の女を近くに置きたい、一緒にいてくれるはずだ、なんて発言が、あまりにも常識外れであることは、さすがの私でもわかる。


「その日は夕食も喉を通らず、ろくに眠れなかったらしくて。あれから食事量も睡眠時間も減っているって、お城のメイドさんたちが心配そうにしてるのを聞いたことがあります。あ! でもそれを聞いてからは、わたしが回復魔法をかけてあげているので、身体が辛いということはないとおっしゃってますね」

「……魔法は、そういう使い方をするものではないぞ」


 黙って話を聞いていたマクス様が、無表情に言う。視線が集まれば、彼は鷹揚に頷いた。明らかに機嫌が良いとは言えない様子のマクス様に、少しだけ眉を下げたミレーナ嬢は肩を竦めて小さくなる。


「でも、回復用のポーションを、お水を飲むように使い続けるよりも、いいかなぁって……思ってたんですけど」

「どちらも正常な身体の回復方法ではない。本来、生物の身体には適切な栄養と休息を取れば回復できるような機能がついているんだ。限界を超えて動くことのなにが素晴らしいものか。無理な時には無理だと訴えるように出来ているものを無視するだなんて、愚かにもほどがある」

「……ごめんなさい」

「いや、わかってくれたら、それでいい」

「しかし、エミリオ殿下からの直々の頼みを、私たちはそう簡単に断ることも出来ません」

「まあ、そうだろうな。ああ、すまない。責める気はなかったんだ」


 目に見えて落ち込んでしまったミレーナ嬢をフォローするように、ソフィーがマクス様に訴える。小さく小さくなっている聖女を見たマクス様は一度ゆっくりと瞬きすると、溜息交じりに視線を落とした。

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