第66話
それからすぐに庭園の見える部屋でお茶会がはじまったのだが、そこで問題が生じた。
以前から何度もソフィーが言っているように、聖女が口にするものはすべて毒見が必要ということになっている。しかし、彼女についてきているソフィーには毒物は効かない。ミレーナ嬢にも、当然効かない。普通に考えれば、毒物の効果がない人間に毒を盛る意味がないから、その習慣自体がただのパフォーマンスのようになっているのだろう。
シルヴェニア家のコックであるキーブスが腕を振るって作った焼き菓子が数種類用意されているテーブルを見てミレーナ嬢は目を輝かせるが、やっぱりソフィーに止められる。
「変なものは入っていないよ。ビーも口にするものに身体に悪いものを入れるはずもないだろうに」
苦笑いのマクス様に、ソフィーは真剣な目をした。
「疑っているわけではありませんわ。しかし、一度でも毒見をしないことを許してしまえば、ミレーナ様はなんでもかんでも口にお運びになってしまいますので」
「わたし、拾い食いなんてしませんよぉ?」
心外そうにしているミレーナ嬢にソフィーは首を左右に振って「庭園の花を摘んで蜜を啜ったという噂は有名です」事実なんでも食べるじゃないか、としかつめらしい顔になる。
「だって、あれは美味しいから」
「……エミリオ様も真似しようとなさるのが問題なんですよ」
「あの、私が毒見をしましょうか。私には毒無効の能力はありませんし、そのような魔法具も身に着けていませんから、もしも毒が入っていたらすぐにわかるはずです」
手を上げて申し出れば、えっ?! と全員に驚いたような顔をされる。この場で一番力の弱い存在と言えば、ただの人間である私だろう。適任者は自分、と思ったのに、猛反対される。
「いけません! わたしのために毒見役に立候補なさるなんて、駄目です!」
「ビー、いくら危険がないとはいえ、なにもあなたがそんなことをする必要はないだろう?」
「ベアトリス、やめてちょうだい。これから先もそうやって自分の身体を差し出すつもり? それに毒には遅効性のものもあるのよ」
かといって、お茶の時間になにも飲んだり食べたりできないのも味気ない。安全だとわかっているものを形式的に食べるだけなのに、と思っていると、私たちの前にコレウスが戻ってきた。シンプルながら品のいい額縁に入れられたそれを見て、マクス様もミレーナ嬢も気が逸れたようで満足そうに眺めている。そして、私がいかに愛らしいかという耳を塞ぎたくなるような話を始めたのだが――
「召し上がらないのですか? なにか不都合でもありましたか」
コレウスは彼らの聞くに堪えない話題を無視して、そっと私に尋ねてくる。
テーブルに綺麗に並べられた菓子は、私の好きなものばかりだ。それに見たことのないものもあって、どんな味がするのだろうと興味をそそられる。かと言って、客人が口にできないものを遠慮なく口に入れることもできない。
「それが、聖女様が口にするものはすべて毒見が必要だとかで……私が毒見役に名乗りを上げたのだけど、反対されてしまって」
「そういうことでしたか。では少々お待ちください」
頷いたコレウスは部屋を出てくると、すぐに虫眼鏡のようなものを手に戻ってくる。手渡されたそれはずっしりと重く、持ち手には小さなボタンのようなものがついている。
「どうぞ、こちらをお使いください」
「これはなにかしら?」
「鑑定の出来る魔法具です。これを使えば、食べ物の名前や簡単な説明、成分なども見ることが出来ます。当然、毒が含まれていればそのように表示されますので、毒見の代わりになるのではないかと」
「おお! コレウスでかした! いいものを持ってるじゃないか、お前」
「旦那様、言葉遣いにお気を付けください。お客人の前ですよ」
「ははッ、まあ、いいじゃないか」
機嫌の良さそうなマクス様に背中を叩かれたコレウスが小さく咳き込む。
私は、目の前の見慣れないお菓子が丸いガラス部分にちゃんと映るようにしながらボタンを押す。表示されたのは、デルモス・ミエロクリームという聞いたことのない名前と、これが隣国であるプリュニスの郷土菓子であるということ、素材名がいくつか。どうやら蜜とクリームが二層になっているタルトのようなお菓子のようだった。
「母の祖国で作られているお菓子ですよね、これ。この国では売ってないからわざわざ作ってくださったんですね。嬉しいです!」
「毒は入っていませんね。安心して召し上がっていただけます。ミレーナ様、他にはどれを……」
これとこれもいただきたいです! と彼女の指差した菓子も鑑定するが、当然毒が入っているとは表示されない。飲み物まで確認したところで、やっとソフィーから飲食の許可が出た。
「あ、美味しい……」
素材と見た目の印象からもっと甘いのだと思ったけれど、デルモス・ミエロクリームはしつこくない甘さでいくらでも食べてしまえそうに美味しかった。キーブスはプリュニスのお茶も用意していたようで、柑橘の香りのするお茶はこの菓子の甘みにとても合っていた。
「これはビーが好きな菓子だな」
「はい」
ほろほろと口の中でほどけて、あっという間に消えてく食感の甘いお菓子、ニクス・テヌイスが私はとても好きだ。とても繊細なので、粉砂糖に埋めるように皿に乗せられている。名前のごとく、雪のようなお菓子。
「お姉様はこういうお菓子がお好きなんですね。他にはどのようなものを好まれますか?」
「果物がふんだんに使われているようなものも好きですし、ナッツの香りのする焼き菓子も好きです」
「わたしも! 大好きです」
気が合いますね、と嬉しそうなミレーナ嬢に「あなたは口に入るものならなんでもお好きでしょうに」とソフィーが小さく呟いたのが聞こえてしまった。気付かないふりでお茶を続けていると、ハッとしたようにミレーナ嬢がマクス様を見た。
「思い出しました。ただお菓子を食べに来たわけじゃありませんでした、わたし」
「ああ、そうだな」
やっと思い出したか、とカップを手にマクス様が笑う。
「あの、私、ベアトリスお姉様が大好きなのですけど、仲良くさせていただくことはできますか?」
彼女はとんでもなく真剣な顔でそう訴えだした。
「……仲良く、とは?」
「お姉様と私と、それからソフィー様でお泊り会ですとか! ピクニックですとか!」
したいんです、という彼女の訴えに、マクス様は微妙な顔になる。なにを考えたかはだいたいわかる。聖女であるミレーナ嬢が、ソフィーだけを警護役として外出することは難しいだろう。となると、どうしてもそれに相応しい力を持った男性がついてくることになる。それに立候補しそうなのは――
「しかし、その場には当然エミリオ殿下も来るのだろう? だとしたら、許可は出来ないな。宿泊などはもちろん、ただの外出であっても、だ。申し訳ないが、ビーがしたいと言っても、私は許容できない。駄目だ」
素っ気ないマクス様に、ミレーナ嬢は大きく首を左右に振った。ぶんぶんと音がしそうなほどに激しい首振りに驚いて、それをじっと見つめてしまう。
「エミリオ様は邪魔だから要りません」
「……ん?」
「邪魔なんです、エミリオ様。あの方がいらしたら、お姉様が気を遣うじゃないですか」
それは自分の本意ではない、とミレーナ嬢は小さく頬を膨らませた。
「わたしが個人的にお姉様と仲良くしたいと言っているのに、自分まで混ざってこようとして。初めはあの方がおっしゃっていることが正しいのだと思っていて、お姉様はシルヴェニア卿に無理矢理婚姻を結ばされたのだと思い込んでいましたけど、ちょっと見ればわかるじゃないですか。シルヴェニア卿はお姉様を溺愛なさっているようですし、お姉様もシルヴェニア卿のことを慕ってらっしゃることなんて。どう見ても相思相愛。割って入る隙なんて砂糖一粒ほどもないじゃないですか」
「え?」
「ミレーナ嬢……? あなたは一体なにを――」
「こんなにラブラブなおふたりを見て、なにをどう考えれば略奪された、なんてことになるのか、わたしわかりません」
ねえ? と話を振られたソフィーは答えにくそうにしている。
ああ、エミリオ様の中ではそういう話になっているのね、と、ミレーナ嬢の言い出した内容を理解しきれない私は、別のことを考えることにした。
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