第65話
あれは、マクス様がよく私の絵姿を作ってくださる魔法具だ。今日の着飾った姿を残すために、彼がコレウスに用意させていたのかしら……という私の考えは間違っていたようだ。コレウスが持つそれを見て、マクス様は眉を上げる。
「コレウス、それは自分の姿は映し出せないのだが……お前、使えるのか?」
「それなりのものは作れるようになりました」
「……ほぅ? いつの間に」
「ごく最近でございます」
普段よりも丁寧な喋り方に感じられるのは、客人の前だからだろう。いつものコレウスならもっと、マクス様曰くの『余計な一言』が返ってくるはずだ。
あの魔法具を安定して使いこなすには、一定以上の魔力コントロールが必要で、コツを掴むのが大変らしく誰でも使えるものではないという話は聞いている。今の質問からすると、今までマクス様はコレウスがこれを使えることを知らないかったようだ。
元々コレウスがあれを使いこなせていたのなら、最初から私だけではなく彼と並んだ姿を作らせていただろう。かといって、あのコレウスが主人とその妻の姿を留めようとこっそりと練習するとも思えない。
いつの間に、なんのために練習したんだ? 私と同じことを考えたようで、そう小さく呟いたマクス様は、はっ、と息を呑むと目を見開いた。
「もしかしてお前、私とビーの並んだ姿を記録するために……?」
――それは絶対にないのでは。
と、思ったのだけど、主人からそんな言葉を投げかけられた執事は、姿勢も正しく恭しく頭を下げた。
「……はい。旦那様が使われる場合、ご自身の姿を残すことはできませんから」
「そこまで主人思いだったとは知らなかった。なにか褒美を出さなくてはいけないな」
「ありがとうございます」
案の定、というか、コレウスの返事がワンテンポ遅かった。マクス様は気にしていないようだけど。
あの反応、どう思う? と少し下がった場所にいるクララとアミカに目で尋ねれば、アミカは真顔で、クララは小さく頬を膨らませて唇を固く結んだ、なにかを堪えているような変な顔をして頷いた。
「今! 今撮りましょうっ! 後回しにして忘れてしまってはいけませんからっ、お願いします」
興奮した様子のミレーナ嬢は、コレウスを急かす。淑女らしからぬ態度を咎めるソフィーの言葉は聞こえていないのか完全に無視しているのか、そのお小言についての反応はない。どうしてそこまで嬉しそうなのかわからないが客人の頼みとあれば仕方がない、などと自分に都合のいいことを言い出すマクス様によって、私は彼と並んで階段に並ばされた。
「では……」
コレウスが私たちを見ながら魔法具の表面を撫でる。後ろで期待に満ちた様子でそれを眺めていたミレーナ嬢は、出来上がったそれを見て「あら?」小さく首を傾げた。
「素晴らしいです。実物そっくりですわね。こんなに精巧に写し取れるものなのですね」
現れた絵姿に溜息を漏らすソフィーに比べ、ミレーナ嬢の表情は明るいとは言えない。そして、完成品を間近に見せられたマクス様も微妙な顔だ。
「お前、目が悪いのか?」
「いえ」
「だったらこれはなんなんだ」
心底不思議そうな声と顔で、マクス様は渡された絵姿を指差す。
「全然違うじゃないか。私のビーはもっと美しい」
「あ、ですよね?! わたしもそう思ってました。もしかしたらわたしの感覚がおかしいのかと思っていたんですけど、シルヴェニア卿がおっしゃるなら、やっぱり間違っていないのだわ」
「……しかし」
「しかしもなにもない」
この目に映るそのままを写し取っているのですが、とコレウスはぶつぶつ言っている。ソフィーも、ミレーナ嬢とマクス様の発言が理解できないというような顔をしている。
私が見る限り、コレウスの描き出したものは実物と遜色ないように見える。歪みがあるわけでもないし、変な部分などあるようには思えない。そっと覗き込んできたクララとアミカも「とても上手に出来てると思いますけどねぇ」と耳打ちしてくる。
「いや、ダメだ、やり直しだ」
「何度やっても同じことだと思いますが」
ちゃんとやれと言い出すマクス様に、コレウスの表情がわずかに硬くなる。彼としては手を抜いたつもりも失敗したつもりのないのだろう。いちゃもんをつけられているようなもので、この絵姿に何一つ文句のない私たちも、どこがいけないのかと困惑するばかりだ。玄関ホールに微妙な空気が漂う。
すると、空気を読まないミレーナ嬢が手を上げた。
「あの、これわたしでも出来ますか?」
「うん? 少々使い方にコツはいるが――ソフィエル嬢、ミレーナ嬢の魔力コントロールはいかほどか」
「非常に優秀でいらっしゃいます」
「ふむ、ならば使えるかもしれないな」
手始めに小さな紙状の魔法具を渡されたミレーナ嬢は、玄関先に飾られていた花瓶の前に立つ。マクス様の指導に合わせてそれの表面を撫でると、見事に繊細な花弁の一枚一枚までもが描写されたものが出来上がった。
「わぁ、コレウスさんが何回も練習してやっと出来るようになったものなのに一発で完璧じゃないですかぁ、さすが聖女様ですねぇ」というクララの小さな声と、それを聞いてほんのわずかに引き攣ったコレウスの目元には気付かない振りをする。
やってみますね、と気合を入れたミレーナ嬢が作り上げたマクス様と私の絵姿は、コレウスが作ったものとは全く違うものだった。いや、マクス様はコレウスのものと同じように見える。しかし、私が。
――なんだか……キラキラしてる……
これは、絶対に違う。私はこんなに愛らしくはない。
しかし、ミレーナ嬢は満足そうにしているし、マクス様も「ああ、これだ。これがビーだ」と喜んでいる。私の分をもう1枚、と頼まれたミレーナ嬢は彼の分も同じような雰囲気の絵姿として作り出す。お帰りになるまでに額に入れておきます、と絵姿を預かっていったコレウスの背中は、いつもより小さくなっているように見えた。
「奥様」
満足そうにしているミレーナ嬢とマクス様を見ながら、クララがひそひそと囁いてくる。
「あの魔法具はですね、使用者に見えているような姿で描かれるんです」
視線が合うと、彼女はにんまりと微笑んで。
「そういうことですよ」
よくわからないことを言って、ねぇ? とアミカと顔を見合わせて頷きあっていた。
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