第64話

 雇い主のそんな表情を見ても態度を変えないクララは、彼を追い払うかのように絶対に駄目だと首を振る。


「せっかく奥様にお着替えしていただいたのに、旦那様が触ったら髪やドレスが崩れてしまうじゃないですか」

「……うちの使用人たちは、私をなんだと思っているんだ……? なにをどうしたら一瞬で着崩れるというんだ。この私がビーに対して乱暴なことなどするわけがないだろうが」

「奥様に関しては、旦那様に安心できる要素などなにひとつありません。今日の奥様はいつにも増してあまりに素敵でいらっしゃるので、旦那様が人間の言う『オオカミ』になるかもしれないじゃないですか」

「……なにを言っている。こんなに安心安全な紳士的な男を目の前にして」


 呆れ切った顔で肩を竦めたマクス様と目が合う。まったく、と苦笑いをして、彼は両手を広げた。


「ビー、どうにか言ってくれないか? なにを考えているんだか、この子たちは私とあなたを引き離そうとしているらしい」

「そんなことしてませんよぅ」

「だったら部屋に入ったっていいだろうに」

「それは駄目です」

「……ビー」


 クララを下げさせてくれないか、という意味合いの視線を送ってくる彼に


「マクス様、とても素敵です」


 私はついつい、見当違いな返答をする。

 普段は一本の緩い三つ編みにされて片側に流されていることの多い髪も、今日はきっちりと後頭部の高い位置で一つに括られている。キリッと背筋の伸びている姿に、はじめて彼に会った時の大司祭様として婚礼を執り行っていた時のことを思い出す。

 いつもふわりとした魔導師らしいローブを身に着けていることの多いマクス様だから、身体の線が見えるような服は珍しい。派手ではないが、質の良い生地と仕立ての服に、すらりとした長身が映えている。腰の位置の高さに改めて驚く。

 整いすぎているほどの顔立ちは、いつもはふわふわした服装と髪型でだいぶ緩和されているのだけれど、今日はすべてが美しさを引き立てるようにコーディネートされているようにしか見えない。

 美の権化などと言ったら嫌な顔をされるかもしれない。けれど、この世のものならざる、や、浮世離れした、という表現がぴったりなほどに作り物めいた美しさだった。そもそも美形揃いだと言われているエルフ族なのだ。人間などと比べてはいけないだろう。

 このひとに微笑みかけられてときめかない人がいるだろうか。あの微笑みの前では、この国の中でも最上級の美形と言われているどこぞの王子の顔も霞んでしまうではないか。


「……いや、それは……あ~……非常に、その、嬉しいんだが」


 一瞬絶句したマクス様は、それを言ってほしいのは今じゃない、と言いながら片手で顔の下半分を押さえて俯く。その反応にハッとして


「答えを間違ってしまいました」


 赤くなる頬を押さえた私から見た彼の耳は、少し赤くなっているようでもあった。

 少し風にあたってくると多少覚束ない足取りで部屋を出ていってしまったマクス様を見送り「さすがですね、奥様」と感心したような声を出したクララにどういう意味かと聞き返せば


「旦那様がここまで調子を狂わされる相手は、たぶん奥様だけですよ」


 冗談を言っているようには見えない顔で、そんなことを言ってきたのだった。 



 もう一度全身を見返しながら、今日ここでお茶会が行われることになった経緯を説明された。

 昼休み終わり、ミレーナ嬢をレオンハルト様に預けたソフィーは、その足でアレク先生の部屋に戻ったらしい。そこでまだ話をしていたマクス様に


「今日は、学校が終わった後、ミレーナ様は貴族社会についてお勉強をするお時間になっています。講師は私ですので、今日であればお話をする時間を取ることが可能ですが――」


 と交渉を持ちかけたのだという。その申し出はあっさりと同意され、今日のミレーナ嬢の貴族教育は、シルヴェニア家の屋敷で行われることになった。

 放課後、一度王宮に戻ってから準備を終わらせた彼女たちはイウストリーナ公爵家、つまり私の実家を訪問、屋敷に設置されている鏡型の通信用魔法具を使ってコレウスと連絡を取り、彼の手によってここまで案内されることになったようだ。


 聖女様をお招きするのならだれか警護役の騎士様もついてくるのかと思ったのだけど、今日招待されているのはミレーナ嬢とソフィーだけのようだ。ここは辺境伯領ということになれば、他の土地に比べて危険度は高い。守りは大丈夫なのかと不安が生じる。

 私の心配に対し、アミカは説明してくれる。ここは最前線の砦ではなく別邸で、領地内でも最も安全で王都に近い場所に建てられており、屋敷自体にも守護の魔法が施されているので、野生動物はもちろん、悪意を持っている人間や生半可な魔物程度では防護壁を突破できない。だから聖女様をお招きするとしても警備的に問題はない。 万が一の場合でもマクス様がいるので大事になることはない、と彼女たちは信頼を示す。さらには、念のため魔導師の塔やここに所属する騎士たちによる精鋭部隊もこの屋敷を警護してくれているそうだ。


 それにしても、ミレーナ嬢に貴族としての振る舞いを身に着けさせるためのお勉強とやらを担当しなくてはいけないソフィーは苦労も多いのだろう。やたらな貴族の令嬢と交流させて、変な噂でも流されたらいけないというのはわかる。既に彼女の事情や性格を理解していて、かつどこにもミレーナ嬢に不利になる情報を吹聴しないと信用のできる人――となると勉強会に参加してもらえる令嬢はかなり限定されてしまうだろう。となると、私はそのお手伝いをする若い女性として適任なのかもしれなかった。聖女様の婚約者の前婚約者、という人間関係を無視すれば。

 

「では、私はお茶会の作法についてお教えすればいいのかしら」

「いえ、それはただの名目で、ただのお喋りの会だと思いますよ~」

「……??」


 だったら、なんの話をすればいいの? と困惑する私の耳に、彼らが到着したらしい声が外から聞こえてきた。クララ、アミカと共に階下に向かえば、ホールにはマクス様が待っている。ほら、と腕を差し出されなんとなく自然に腕を組めば、彼は満足そうに微笑む。その顔があまりにもキラキラして見えて、つい視線を逸らしてしまう。


「ははッ、本当に愛らしいな、あなたは」

「マクス様、からかわないでください。もうお客様がいらしてますよ」


 小声で話していると、扉が開いて水色のドレス姿のミレーナ嬢が小走りにやってくる。


「お招きいただいてありがとうございます! お姉様っ!」

「ミレーナ様、大声も、駆け込むのも、マナー違反です」


 既に頭が痛そうな様子のソフィーを尻目に、目の前に立っているマクス様と私を見たミレーナ嬢は、瞳を輝かせて両手を祈るような形に組むと「まぁ……まぁ!!」とさらに大きな声を出した。


「ミレーナ様」

「わたし、この光景を撮っておきたいです……ああ、素敵……」


 うっとりしているミレーナ嬢の前に、扉を閉めてやってきたコレウスが1枚の紙を差し出した。


「こちらの魔法具を使えば、この光景を記録できますが」


 どうなさいますか? と問われるより早く、ミレーナ嬢は「わたしに1枚お願いします」と真面目な顔をして言い出した。

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