第63話
早々に設定されたお茶会について私が把握したのは、帰宅しようと学院長のお部屋をノックした直後だった。
そこには、いつもはいないクララとアミカがいて、疑問を挟む隙もなく「今日はこちらの転移魔法陣をお使いください」と巻物のようになっている魔法陣を床に敷いた。
どうぞこちらへ、とアミカに手を取られて魔法陣の中心に立たせられる。わざわざ別の陣を持ってきたということは、今日は城へ帰るわけではないらしい。城へ戻って改めて移動する時間も惜しいということなのだろう。そこまではわかったが、どこに連れていかれるのかわからないというのは、彼女たちを信用していないわけではないが少々不安だ。
「奥様をお迎えに来ました。詳しくは移動してからお話しますね」
学院長の耳を気にしたのか、クララはそう言ってアミカとは逆の手を取る。
「お着替えもしなければいけません。急いでまいりましょう」
では学院長、ごきげんよう――という言葉は聞こえていただろうか。ふたりに連れられて、次の瞬間、私は知らない場所に立っていた。
――ここはどこかしら。
見覚えのない部屋、どこかのお屋敷の一室のようだ。あまり不躾にならないように、さっと視線を走らせて確認する。
「奥様、失礼します」
突然顔を近付けてきたクララは鼻をすんすんと鳴らす。そして顔をしかめて「臭いますね……」と鼻をつまむような仕草をした。
「え? 臭いのは嫌だわ」
いつ、どこでそんな匂いを付けてしまったのだろう。授業で使った薬草の匂いだろうか、それとも。
腕を持ち上げて匂いを嗅いでみるが、自分ではわからない。しかし、クララが臭いというのなら、臭いのだろう。
と、そこでそういえば今日はエミリオ様にもミレーナ嬢にもかなり至近距離で絡まれたのだと思いだした。
クララの言う異臭とは、彼らの匂いのことなのだろう。
「お風呂に入る時間はないので、仕方ありません。緊急措置として、魔法で浄化します」
クララは目を閉じて、祈るように手を組む。そして
「大気を満たす清浄な風よ、彼の人の身体を通り抜け、不浄なものを遠ざけよ――
呪文とともに優しい風が吹いてくる。身体の周りをくるくると回っているような感覚を覚えた。風が去ると、自分の身体から草花のような瑞々しい香りが立っていた。
「これでひとまず大丈夫ですね」
よし、と手を打ったクララは私を引っ張るように移動させ、部屋の片隅を陣取っている大きなクローゼットを開けた。
「魔法で綺麗に出来るのなら、毎日あんなに時間をかけて入浴させてくれる必要はないのでは?」
ついそんなことを聞いてしまうと、ああでもないこうでもないといくつものドレスを私に当てているクララは、真面目な顔で首を横に振る。
「綺麗にはなりますけど、それだけです。お風呂は疲れを取ったりする効果があるので、別物ですよ。私、疲れを取るような魔法は使えませんし、それに」
「魔法ですべて解決してしまうというもの味気ない、というのが、旦那様の教えです」
「……それもそうね」
魔法は便利だけど、例えばちょっとした擦り傷や打ち身程度に使うようなものではない。本人の不摂生による体調不良を魔法で簡単に取り除いてしまっては、反省を促せない。何度も繰り返すことになる。
マクス様の教えだというそれに納得した私は、改めてふたりに尋ねる。
「ところで、なにがどうなっているの? ここはどこのお屋敷なのかしら」
「ここは、シルヴェニア辺境伯領です。旦那様が王家から辺境伯に任命された際にいただいた土地にある別邸です」
アミカの説明に「いただいたというか、押し付けられたようなものですねぇ。ここ、魔物が封印されている土地ですからね~」とクララはなんでもないことのように言う。
シルヴェニア卿の領地については知っている。王都からかなり離れた場所にあるはずだ。馬車を使うのなら3日ほどかかってしまうだろう。それも一瞬で移動できるのだから、やはり魔法とは凄いものなのだな、と実感する。
「ここも旦那様の所有する領地ということで、今日はここを使うことになりました。さすがにアクルエストリアに誰彼構わず招待はできませんから」
てきぱきと登校用に結っていた髪を解いてくれながらアミカが言う。
「普段、旦那様はここにはいらっしゃいません。代理人が管理しているので、準備が大変でした」
「あの、だからどうなっているの? どうして辺境伯領に来たのかしら」
「今日、聖女とソフィエル様をお招きしてのお茶会が催される事になったんですよぅ」
私の身体に当ててみた何着目かのドレスを見て頷きつつ、クララは私の制服を脱がせ出す。
「と言っても、正式なお茶会の準備時間などないので、お茶の時間に招待することになった、いうのが正しいかもしれませんね。はい、では奥様、旦那様のお好みは間違いなくあのドレスなんですけど、今日は旦那様のためだけにお着換えするわけではないですものね。この少し華やかなドレスにしましょう。シルヴェニア卿の奥様としての威厳のようなものも主張出来て、素敵だと思います」
時間がない、と焦っているらしい彼女たちは、普段の倍以上の速度で髪を結い、ドレスを着させていく。コルセットでウェストを締め上げ、胸の膨らみを強調するような、レースで装飾された胸元のドレスを身に纏えば、ここしばらく自分でも見ていなかったいかにも貴族の女性然とした自分の姿が鏡に映る。
「お茶会にしては、少々大胆すぎるのではないかしら」
「良いんです。旦那様の視線も釘付けにしましょう」
「それで良いの?」
「良いんです」
はい出来ました! とクララが満足気な笑みを浮かべると同時に部屋の戸がノックされ、マクス様が顔を出す。
「急な話ですまなかった。そろそろ時間になる。ビー、準備は整っているかい?」
「旦那様! 返事をする前に開けないでください。まだお着換え中だったらどうするつもりだったんですか!」
こちら側の反応を待たずに扉を開けたマクス様に、クララが眦を吊り上げる。噛み付いてくる使用人にも構わずに、私を眺めたマクス様は「ああ、さすがは私のビーだ。今日も美しいよ」などと甘い言葉を口にする。
「どうして待っていられないんですか? そちらのお部屋にお連れするお約束になっているではないですか。まだです。出ていってください」
「準備は終わっているようだぞ? それに、夫婦なんだ。私がここにいても構わないだろうが」
「いくら奥様のドレスアップした姿が楽しみだからといって、覗きは良くないと思います、旦那様」
「おいおい、アミカまでそんなことを言うのか? 仮にも主人に対して酷いじゃないか。ビー、私はここにいてはいけないのかい? ……ビー?」
女主人の許可があればいいと思ったのだろう。マクス様は私に話し掛けてくるが、咄嗟に反応が出来ずにいた。改めて呼びかけられてなにか返そうと思うのに、普段のようなゆったりとした魔導師のローブ姿ではないマクス様があまりにも新鮮すぎて、どぎまぎしてしまう。
「はっはーぁ、なるほど?」
視線を合わせることも出来ないでいる私に、自分の顎を撫でたマクス様は目を細めてにんまりと口元を綻ばせ、一人悦に入ったような顔をする。
「なんだ。我が妻は私に見惚れてしまって返事が出来ずにいるんだな? ははッ、なんて愛らしいんだろうね」
「旦那様! それ以上近付かないでください」
数歩こちらに歩みを進めたマクス様の前に立ちはだかったクララは、私の前で両手を広げる。まるで庇っているかのような行動に、マクス様は口角を下げて不満そうな顔になった。
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