第61話
ミレーナ嬢は私に両方の手のひらを上に向けるように言うと、そこに自分の手を重ねてくる。
楽にしていてくださいねという言葉と同時に、パチンと音がしてブレスレットが外れた。膝の上に落ちたそれは、金具が壊れた様子でもない。なぜ外れてしまったの、とスカートの上にあるブレスレットを見つめる私の前に、ミレーナ嬢の顔が出てくる。
「わたしの目をしっかりと見てください、お姉様。変なことはしませんから、楽にしていてくださいね」
頷いて、言われる通りに見つめ返す。重ねられた手のひらから入り込んできた自分のものではない魔力が、身体の中を駆け巡る。
――これが調べられているという感覚なのね。
なにやら少しくすぐったくも感じる。しばらくして、頷いてから手を離した彼女は
「本当になんの魔法もかけられていないようですね。心操魔法だけではなくて、魅了などもかけられていません」
立ち上がってスカートを払った。
「お姉様が思考を操られているわけではないと確認できました」
「わかってくれたのなら良かった。これで満足していただけただろうか」
外れてしまったブレスレットをつけ直してくれながらマクス様はミレーナ嬢に言う。これでよし、と金具を嵌め終えた彼は両手を握ってきた。
――彼女が納得してくれたのなら、もう周囲が目を覆うほどの仲睦まじさを装う必要はないのでは?
もういいではないですか、と、離してもらおうとした時、にこやかに聖女様は言った。
「今のようにぴったりとくっついて魔力の流れを追うだなんて。後ろから追いかけられているような気分で、あまり気持ちのいいものではなかったですよ」
「私には、あなたがなにを言っているかよくわからないのだけれど。どういう意味だろうか」
うふふ、と笑ったミレーナ嬢は、ぱたぱたと手を振る。
「誤魔化す必要はないですよ、わかっているので。警戒しないでください。わたし、お約束通り、魔法が掛けられていないか、呪いがかかっていないか、調べることしかしてませんよね」
「聖女を疑うつもりなど最初からないのだが?」
そう返すマクス様に、ミレーナ嬢は「あ、もしかして、わたしがエミリオ様の回し者なんじゃないかって思ってます? 違いますよぉ。わたしはただ、お姉様と仲良くしたいと思ってるだけです」と明るい声を出す。
「王家の関係者だと、そんなに信用できないですか?」
「いやいや。疑ってなどいないと言っているじゃないか」
少しだけ首を回してマクス様の顔を見れば、私を抱きかかえまま、ただ薄く笑っているだけ。しかしその態度で、私がミレーナ嬢からなにがしかの魔法をかけられることを警戒して、肌が触れる位置から退かなかったのだと知る。
神聖魔法について、私は誤解していたのかもしれない。マクス様がミレーナ嬢が私になにかしないか警戒したのであれば、使い方によっては癒しだけではない効果を生むこともできるということなのだろう。
そういえば、ソフィーだって手を触れるだけで相手の思考が読めると言うじゃないか。彼女に触れられている間、変なことを考えていなくてよかった。そっと胸を撫で下ろす。
「それにしても、お姉様が変な魔法の餌食になっていなくて良かったです。とはいえ、魔導師の塔のマスター自らがかけた魔法をわたし程度に突破できるのかと聞かれたら疑問が残りますけどねぇ。でも、シルヴェニア卿はお姉様を愛していらっしゃるようですし、たぶん大丈夫。ですよね?」
「え……?」
ミレーナ嬢の発言に、思わず驚きを口にしてしまったのは、私だけだった。
「あ、これって言っちゃいけないことでしたっけ?」
口を押えるミレーナ嬢の後ろで、私じゃない、とでもいうようにソフィーは激しく顔を左右に振っている。ではどこからその情報が? 教会? そもそも、この情報って秘密にされているものだったかしら。
「いや、別に秘密でもなんでもない。まあ、あまり知られてはいないかもしれないが」
「あ、秘密じゃないんですね。良かった! でも、どちらにしろ、ここに居る方の前なら言っても大丈夫でしたよね」
「あの、ぼくの存在を無視してさっきから話をされてますよね、皆さん」
一応部屋主なんですがね、と黙っていられなくなったらしいアレク先生が窓際で苦笑いをしている。
「先程から、第三者が聞いていいものか悩む話題ばかりです。ここはぼくの部屋ですが、今の話を一番聞いてはいけないのはぼくなのでは?」
「先生は大丈夫ですよ」
ミレーナ嬢の答えはまたそれだった。
「ミレーナさん、さっきから大丈夫大丈夫と言いますけど、どうしてそこまでぼくは信用されてるんです? 今まで特にぼくの授業を選択していたわけでも、ここに質問に来たりもしていませんよね。講師として慕われている実感はないのですが」
「だって先生は人間じゃないですもの。人間同士の争いごとなどにはあまり興味がないでしょう?」
は――、とアレク先生の笑いが引き攣る。ゆっくりとミレーナ嬢を振り返ったアレク先生は「今、なんと?」一言一言区切るようにして、言った。
「ですから、エルフ族は人間たちのいざこざには興味ないですよね? だから……あ、これが言っちゃいけないことでしたか?!」
部屋の中が不自然なほどに静まり返っているのに気付いたらしいミレーナ嬢は、やっちゃったー、と言いながらしゃがみこんだ。
アレク先生は青い顔をして硬直している。それこそ、秘密事項のはず。
ソフィーはぽかんと口を開けたまま、床で「わぁ、ごめんなさーい」と頭を抱えているミレーナ嬢を眺めている。
「ビー、ちょっとそっちに座ってもらえるかい?」
私を隣の椅子に座らせたマクス様は、目の前の床で小さくなっているミレーナ嬢の前に跪くとその顔を上げさせる。彼女の小さくとがった顎に指先をかけて、じっと瞳を覗き込む。
徐々に顔が近付いていく。
ふたりは見つめ合っている。
――あら……?
それを見ているだけなのに、なんだか、胸のあたりに違和感がある。なにかしら、と胸をそっと押さえた。
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