第60話
「って、おっしゃるとは思いましたけど……だったら、お二人は愛し合って結婚なさったんですよね?」
求められていた答えは「はい」の一言だとわかっているのに、馬鹿正直にも言葉に詰まりかける。ほんの一瞬の戸惑いだったから、彼女に気付かれていないと良いのだけど、と思いながら笑顔を作った。
「私たちも、貴族ですので」
無理強いされたわけではないが、ただ好きで一緒にいたいという純粋な恋愛感情からの関係ではない。庶民のような自由恋愛ではない。そういう意味合いを汲み取ってほしかったのだけど
「えー。だったら愛されてないんですか? そんなこと言って、本当は溺愛されてますっていう話じゃないんですかぁ?」
そこにも無遠慮に追撃されて、結果なにも言えなくなる。
――私が? あのマクス様から愛されているか、ですって……?
まさか、と頭の中で否定しながらも、あの甘い声や視線を思い出すと頬が赤くなる。
ううん、あれは二年間の契約で、その間だけ妻のように扱ってもらえているだけで……でもなにもしてこないし、可愛がられ方は孫かペットの扱いで。
胸の奥がむずむずする。恥ずかしくなってきて思わず頬を手で押さえると、私の反応を見ている三人の顔が、少し驚いたように見えた。
「……あらぁ……」
ただでさえ大きな瞳を真ん丸にしたミレーナ嬢が少しだけにじり寄ってくる。
「うーん、でもまだ確実とは言えませんよね。やっぱりこの確認方法しかないですね」
なにやらぶつぶつ言った彼女は「ちょっと失礼します」そう言うと、私の頭を引き寄せる。驚いている間に額を合わされて、彼女はなにやら小さく唱え始めた。
「あっ」
アレク先生が慌てたような声を出した時には、ミレーナ嬢から温かなものが流れ込んで来ていた。目の前が明るい光で包まれる。
――これ……は……
頭を、優しく撫でられているような感覚。マクス様から、適正について調べられた時の感覚にとても似ている。
ふ――っと意識が遠くなりそうになる。周囲の音が小さくなっていく。目蓋がくっつきそうになった私の頭を抱え込んでいたミレーナ嬢の手が、唐突に離された。
パッと目の前の風景や音が飛び込んでくる。何度か瞬きを繰り返した私の肩は、後ろから回された腕に抱きしめられていた。
「申し訳ないが、その距離は女性であっても許容できない。離れていただこうか」
「あら」
私の肩を引いてミレーナ嬢から距離を取らせたひとの声に「遅かった」と呟いたアレク先生が頭を抱えた。
「お久しゅうございます、シルヴェニア卿」
立ち上がったソフィーが驚いた様子など微塵も見せずに綺麗な所作で頭を下げる。私の背後に、どこからともなく現れたマクス様が立っていた。
「ああ、ソフィエル・アンネ嬢。久しいな。それから、ミレーナ・カレタス嬢も、お元気そうでなにより」
ソフィーに小さく笑いかけたマクス様は私を抱き上げると、それまで座っていたところからは少し離れた場所にある大き目の一人掛けの椅子のところまで歩いていく。すぐに降ろされたので隣の椅子に腰掛けようとすれば、腕を取られて彼の膝に乗せられそうになった。
「マクス様! 皆の前です」
人前で揉めるのもみっともないが、このような姿は誰かに見せるものでもない。小声で抗議する。
「だから?」
「降ろしてください。ひとりで座れます」
「駄目だ」
「どうしてですか」
「見せつけてやろう」
抵抗空しく膝に乗せられ、離してください、と藻掻こうとしても、しっかりと腰を抱きかかえられていて動けない。逃げようとする私に顔を近付けてきた彼は、他の人には聞こえないくらいの大きさの声でさっと囁いた。
「ここは、私たちが愛し合っているのだとわかってもらうのが最良では?」
「…………」
それはそう。そうなのだけれども。
私達の関係を疑っているらしいミレーナ嬢の目の前で、はしたなくも親しげなところを見せれば、彼女の口からエミリオ様にも仲睦まじい夫婦だと伝わるだろうことは予想できる。
でもだめだ。ここはあまりにも目撃者が多い。恥ずかしさが勝る。
「ほら、私の可愛いビー。こっちを向いて」
激しく葛藤している私にマクス様はそう言って、少しでも離れようとする私の顎に指を添わせて彼の方を向かせると、先ほどミレーナ嬢にされたように額を合わせてくる。
あまりにも顔が近い。呼吸が止まる。ぎゅっと目を閉じる。
――見られています、マクス様!
羞恥心が限界を超えて気を失いそうになる。
「この距離は、同性であっても、いやどんなに幼く無害に見えるもの、愛らしい動物のように見える他種族であっても、私以外には許してはいけないよ」
「は……はい……」
「以前お菓子屋さんの前でお会いしましたよね。お久し振りです、シルヴェニア卿」
まだなにか言ってこようとしていたらしいマクス様の言葉を遮るように、ミレーナ嬢の声がした。「今はいけません」と窘めるようなソフィーの声を無視して彼女は続ける。
「一つ、質問させていただいても良いですか?」
「なんだ?」
マクス様は薄い笑みでミレーナ嬢を見返す。敵対心の見える表情ではないが、好意的にも見えない。夜会などで時折見かける類の腹の底の探り合いをしているような表情だ。
「シルヴェニア卿は、ベアトリスお姉様を愛していらっしゃいますか?」
「ああ、そんなことか。それは当然、愛しているよ」
「そうなんですね!」
安心しました、と明るい笑顔を浮かべた彼女は、私に手を差し伸べてくる。
「では、ベアトリスお姉様に心操魔法がかけられていないか、調べさせていただいてもいいですか?」
「心操魔法だと?」
「はい。まだ、お姉様にはご自分があなたを好きだと勘違いさせられている可能性があります。お二人の言葉だけでは、まだわかりませんよね。お姉様に危害を加えるつもりは一切ありません。聖女であるわたしを信じて、少しだけ調べさせていただいても良いでしょうか。痛いことはしません。不快な思いもさせませんから」
ニコニコとそんなことを言い出すミレーナ嬢に、ソフィーとアレク先生がぎょっとした表情を隠せないでいる。マクス様の正体を知っている彼らからすれば、とんでもない発言でしかないだろう。
「私はビーにそのような無粋な魔法をかけた記憶はないが……それで納得するのなら、どうぞ。ただし、額を合わせるのは遠慮していただきたい。聖女様なら他の方法でも調べられるだろう?」
「出来なくはないですけど。おでこを合わせるのが早いんですけどねぇ」
少し不満そうな顔をしながら、ミレーナ嬢は私の前に跪いた。
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