第58話
――このひと、なにをいっているのかしら。
全身冷たくなって、次にカァっと頭の中が熱くなる。
「いつ? どこで出会ったのかな? 彼は年に1回、夜会に顔を出すくらいであまり社交的な人ではなかったと記憶しているんだけどなぁ。それとも、きみの家とは個人的な付き合いがあったのかな? そんな話は聞いたことがなかった。僕は、なにも聞いていなかったよ」
畳みかけるように言われては反論の余地などない。それ以上に、あまりにも見当違いな発言に言葉を無くす。なにを言われているのかを理解しようとするが、突拍子のない話すぎて咀嚼するのに時間がかかる。心臓が耳元で鳴っている。うるさい。自分の鼓動で、なにも聞こえなくなりそうだ。
黙り込んでいる私をどう捉えたものか、エミリオ様はにこにこと覗き込んでくる。
「ビー? どういうこと?」
「マクシミリアン様とは、特に面識はありませんでした。イウストリーナ家としても、シルヴェニア卿とのお付き合いは、ありません。当然、エミリオ様との婚約期間中、彼に限らず、男性と、二人きりで会ったことなど、ありません。疑わしいとおっしゃるのなら、どうぞお調べください」
エミリオ様が話している内容、彼に対して疑われているのだという事実を目の前に頭に血が昇りそうになる。喉が震えそうになる。つっかえつっかえ、なんとか言葉を絞り出して必死に平静を装う。
「じゃあ、僕に内緒で親交を深めていたわけではないんだね?」
「っ、もちろんです」
「それなのに、僕との結婚がなしになったその日のうちに結婚してるんだ? 不思議なこともあるものだね。なにか、裏があるようにしか思えない」
結婚誓約書には日付も書かれている。直接確認されてしまっては、いつ結婚したかというのを誤魔化すことはできない。どうしてこんなことになったのかという説明はできるけれど――この調子では信じてはくれないだろう。私1人では、正しく説明できる自信もない。
自分を落ち着かせるために手首を握れば、そこにはマクス様から渡されているブレスレットがあった。華奢な金属の感触だけで、1人ではないと励まされた気になって少しだけ頭が冷えてくる。
――マクス様……
その顔を思い出して、ふっと口元が緩みかける。そのタイミングで、エミリオ様は優しい声色で尋ねてきた。
「僕と結婚出来ないのなら、相手は誰でもよかった?」
は、と声にならない息が漏れる。
この人、本当になにを言っているのだろう。
自分の顔色が悪くなっていっているのがわかる。一度落ち着いたはずの心臓が、バクバクと変な脈を打つ。
「もう、なにもわからないよ。どうしてきみとシルヴェニア卿が結婚しているのかも、その宣誓書が僕たちの結婚式当日に提出されているのかも」
私は黙ったまま、エミリオ様を見つめ返している。
「なにも言えない? もしかして、実家を盾に取られてるのかな」
「そんな……ことは、ありません」
「大丈夫だよ。ビー」
手を伸ばしてきたエミリオ様に、強引に手を握られる。やめてください、と言えはしても、王族相手に振り払うなんてことは、人目を考えるととてもじゃないができない。しかし、将来の妻の目の前で他の女に対してのこの態度はないのではないだろうか。
「私は、シルヴェニア卿と結婚しておりますので、そのような誤解を招く行為は……」
忘れそうになるけれど、ここは食堂の一角。周囲にこの会話も聞かれている。こんな人の多い場所でする会話ではない。声をひそめる私に、エミリオ様はなおも完璧すぎる笑顔を向ける。
「うん、それはもう聞き飽きたよ。言わなくていい。ああ、それから、この会話は周りには聞かれていないよ。さっき、静寂魔法をかけたんだ。安心して話していい。誰も、僕たちには注意を向けていない。知覚していないよ」
――静寂魔法? いつの間に……?
通称、サイレントという魔法のことを言っているのだろう。風魔法の一種だったと記憶している。周囲に風の結界を張り巡らせて、音が漏れるのを防ぐ。だが、エミリオ様が呪文を唱えた様子はない。
――魔法具、かしら。
わからないけれど、少なくともこの会話を聞いているのは、私たち――エミリオ様と私だけということ? 黙々と食事を続けているミレーナ嬢には聞かれていないから、こんな会話内容や手を握るなんてことをしているのかもしれない。
気付かれていないにしても、手を握るのはやりすぎだ。そして周囲に気付かれていないのなら、人目を気にせずに王子の手を振り払うこともできる。力任せに引き抜こうとするが、男性の力には勝てず手は握られたままになる。
「ねぇビー? もしもきみの結婚に不正があるのなら……そんなものは無効になるんだよ。イウストリーナ家とシルヴェニア卿との間になにか取引があったのかな。イウストリーナ公爵が大切にしていたきみを交渉材料にはしないと思うのだけど、シルヴェニア卿がなにを言ってきたかはわからないからね」
「エミリオ様、私は」
マクス様と私が結婚していたからといって、エミリオ様にとって都合の悪いことがあるようには思えない。第一、これでは彼が私とシルヴェニア卿を離縁させたがっているように聞こえてしまう。元婚約者に執着しているように見えるではないか。
有り得ない。
一体なにが気に入らないのだ、この王子様は。
「ビーが我慢する必要はないんだ。僕はこの国の第二王子だ。僕を信じて任せてくれたらいい」
助けてあげる、という言葉に、ゾッとする。
「エミリオ様、誤解が生じているようなので申し上げますが、私は何一つ無理はしておりませんし、強要もされておりません。私は――」
マクシミリアン様を、愛しております。
そう言い切れば良いとわかっているのに、言葉にするのを躊躇ってしまった。その迷いに付け込まれる。
大丈夫、と両手で私の手を握った彼は、すりっと親指で手の甲を撫でてくる。悲鳴を上げそうになるのを必死に堪えた。
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