第56話
これ以上マクス様と話をしていても話は平行線でどうしようもない、と判断したアレク先生が「マスター、お忙しいところ失礼いたしました」と半ば強引に通話を切り上げた。またあとで、とウィンクしてくるマクス様に小さく頭を下げて返し、アレク先生に視線を移す。
「マスターが四六時中ベアトリス様に張り付いていられるわけでもないでしょうに」
とぶつくさ言っているところを見ると、よほど彼の発言がお気に召さないようだ。
「申し訳ありません。私だけではなく主人までもがご迷惑をおかけするようなかたちになってしまって」
ただでさえ忙しいのであろうアレク先生に心労をかけてしまうことになった件について謝罪を口にすれば、先生は驚いたような顔で私を見た。
「え? あ、ああ、いえ、大丈夫です。ああいう方だということはわかっていましたから」
根本的にはなにも大丈夫じゃないことを言いながら、アレク先生は鏡を自分の方へ向け直しつつ小さく笑みを浮かべた。
細かい話は後日二人で詰めることにして、先生の部屋をお暇して食堂へ向かう。もうお昼休みは始まっていたのだけど、今日の食堂はそんなに混み合っているわけではなかった。私を見つけてくれたアナベルが、席に座ったまま手を振ってくる。
「ベアトリス、こちらにいらして」
一緒に食べましょう、と呼んでくれるのに応えて、彼女の座っている日当たりの良い窓際の席に腰を掛ける。
「ずいぶんと時間がかかりましたわね」
「ちょっと話し込んでしまいました……それは、本日のランチセットですか?」
「ええ、日替わりメニューのサンドウィッチですわ! とても美味しいですわよ」
確かに非常に美味しそうではある。でも、その組み合わせは、新鮮そうな野菜とローストビーフがたっぷり挟まれた厚みのあるサンドウィッチに、こちらも大きめにカットされた野菜たっぷりのスープ。心惹かれはするものの、これに大口を開けてかぶりつくのは少し恥ずかしい。興味はあるけれど、まだこの厚さがあるサンドイッチを人前で食べる勇気はなかった。
――私だと認識されなかったら喜んで注文したのに。
アナベルは学院ではみんな同じ生徒、ということで、貴族令嬢があまり食べる機会のなかった庶民の食事を積極的に選んでいる。いろんな種類のパンに様々な具が挟まれたような、大きな口を開けて食べるようなものにも果敢に挑戦している。初めの頃はぽろぽろと具を落としてしまって苦労していたようだけど、サリスさんたちにコツを教えてもらって今ではとても上手に食べられるようになっていた。
以前、マクス様と変装して出掛けた時に食べた、腸詰肉が固めのパンに挟まれていたものを思い出す。
――マクス様と一緒に食べたパンは、とても美味しかったわ。またいつか、一緒にお出掛けできると良いのだけど。
そんなことを考えていると、あの時口の端についていたソースを指で拭ってくれた彼がそれを舐め取ったことを思い出してしまって一気に顔が熱くなる。
「ベアトリス? どうしましたの?」
「んっ、いえ、なんでも……」
「顔が赤いようですけれど、もしかして窓際では暑かったかしら」
「っ、そ、そうかもしれませんね」
パタパタと手で熱くなった顔を扇ぎながら、少しだけ悩んでシチューセットをお願いする。ここの食堂は、なんとも便利なことに備え付けの石板で注文すれば席まで料理を運んできてもらえる。だから自分で運ぶには不安のあるようなものでも気兼ねなく頼むことができるのはありがたい。お喋りしながら届くのを待っていると、目の前に人影が立った。
まだ料理が来るには早いはずだけど、と思いながら顔を上げると、そこにはエミリオ様とミレーナ嬢がキラキラな笑顔で立っていた。
「……ごきげんよう、エミリオ様」
立ち上がろうとする私とアナベルを手で制して、空いている目の前の席に二人並んで腰かけてくる。
第二王子と聖女が突如現れたことで食堂がざわついていることにも頓着しない様子で、二人は楽しそうに周囲のテーブルを見回す。なにを注文しようか迷っているようだ。そこにタイミング悪く注文したシチューセットが届き――二人も同じものをお願いすることにしたらしい。
――毒見役はどうするつもりなのかしら。
彼らの口に入るものはすべて調べられなければいけないはず。自分たちに用意されている部屋で、安全とわかっている料理を食べれば良いのに。
わざわざ食堂に来られて、みんなが美味しく食べているものを念入りに毒見なんてされては、楽しいお昼の時間が台無しではないか。
「ビー、ずっと話をする機会がなかったね」
「ベアトリスお姉様、お元気ですか?」
「はい」
どちらの返答とも取れるような私の短い答えにも、二人は「それはよかった」と笑顔を返してくる。彼らを無視して、彼らよりも早く食事をするわけにもいかず、目の前でシチューが冷めているのを眺めるしか出来ない。
そして私以上に可哀想なのはアナベルだ。彼女はこれ以上サンドウィッチを食べることは出来ないだろう。いくらなんでも王族の前で大きな口を開けて淑女がパンに齧りつくわけにはいかない。
自分たちの行動で周囲が迷惑するということをわかっていないのだろうか。もやもやした気持ちになっていると、じぃっとお皿の上を眺めているアナベルの後ろから腕が伸びてきた。
誰、とアナベルと揃って顔を上げれば、彼女の目の前に置かれている皿を持ち上げたユリウス様はにこりと笑いかけてくる。
「アナベル嬢、今日は天気もいいので、外で一緒に食べませんか」
彼女への助け舟だったのか、それともエミリオ様とミレーナ嬢が私に話しかけてくる邪魔になるから排除しようとしたのか、アナベルは持って行かれてしまったお皿を追いかけてユリウス様と一緒にテラス席へと行ってしまった。立ち上がりながらも残される私を気にしている様子を見せたので、大丈夫だから、と視線で伝える。
彼らにとっては邪魔者だったアナベルがいなくなったことで、たぶん他の人の順番を飛ばして先にサーブされてきたのだろうシチューに手を付けながらエミリオ様はまたいつものように話しかけてきた。
「ビーは本当に真面目だよね。そういうところが長所でもあると思うけど、無理はしなくていいと思うんだ」
ああまた始まった、と表情を変えずに彼を見る。
「ビーも食べないと、おなかが空いてしまうよ?」
「……はい、ありがとうございます」
スプーンを手に取った私に、エミリオ様は「そういえばね」といつになく作りこんだ笑みを浮かべた。
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