第55話

 アレク先生の真剣な瞳に射貫かれるような感覚。どくどくと喉元で心臓が鳴っている。

 

「まだベアトリス様が光の精霊の力をどこまで使えるかはわかりませんが、仮に神聖魔法にも等しいような力を使えるようになってしまった場合、教会が放っておくとは思えません」


 聖女伝説を信仰する人の多いこの国において教会の持っている力は大きい。王室と対立しているわけではないが、同じくらいの影響力を持っている。いや、平民だけに限るのであれば、より直接的な影響力だと言っていい。

 貴重な癒しの力の使い手として保護する、などと言われたら、簡単にその申し出を断ることはできないだろう。大々的に公表されてしまったら、その力を自分だけのために使うのか、などと責められるかもしれない。


「教会が、私を利用しようとする可能性があるということですか」

「それだけではなく、聖女に第二王子の婚約者の座を奪われた令嬢が癒しの力を持つ召喚魔導師だった、などという話は、面白い人も面白くない人も数えきれないくらいいるでしょうね」


 聖なる乙女の教育を受けていないが故に教会の手に完全にあるわけではない聖女――第二王子の現婚約者。それから光精霊の癒しの力を使える召喚魔導師。どちらかと言えば、私も立場的には王室に近いところにあると思われているだろう。二人をエミリオ様の正妻と側室に、などという話が出たら……と想像してゾッとする。しかも、エミリオ様は私に妙な執着を見せている。王室側から焚きつけられたら、彼はどうするのだろう。


 癒しの力を神聖魔法を持つ聖職者たちしか使えないというのは、王室にとっては不利益も多い。幼馴染で気の置けない存在だからという口実で、司祭であるオリバー様を警護役として今も近くに置いているエミリオ様だけれど、そのうちに彼は教会の中枢を担う存在となる。今は修行期間として、高位貴族との顔繫ぎの意味もあってオリバー様もあの立ち位置にいることを拒んではいないが、そのうちに彼は完全に教会側の人間になることがわかっている。

 あちらに戻ってしまえば、安易に呼び出すことはできない。オリバー様の神聖魔法をエミリオ様が意のままに使わせることはできない。教会の手中にない癒しの力を持つ人間は、王室からすれば喉から手が出るほどに欲しいものだろう。彼が私を側に置く理由が出来てしまうのかと気が重くなる。


「今はそう簡単にあちらも手を出しては来ないでしょうけれど」


 今は王家の力の及ばない学院に入学していて、更にはシルヴェニア卿を結婚しているからそう簡単に変な話は出ないだろうが、マクス様と別れた日にはどのような扱いを受けるかわからないということだろうか。アレク先生がそこまで知っているとは思えないけれど、私にとってはそのような意味としか思えない。


「なにがあるかわかりません。慎重に進めていきましょう。ベアトリス様も、周囲に召喚魔法や精霊と会話できることについては口外しないように気を付けてください」


 アレク先生は私とマクス様に向かってそう言い、私はその意見に同調して頷いた。


 の、だが。


『ビーには私がついているんだ。なにを心配することがある』


 マクス様は信じられないほどに軽い調子で言う。


『教会にも王室にも手出しなどさせるものか』

「マスター、そうはいっても」


 なんでもないことのように言う彼に、アレク先生は困ったような顔になる。

 マクス様は自分さえついていれば私に危害が加えられることはないと思っているようだ。自信しかない発言を受けて、アレク先生は文字通り頭を抱える。


『ビーはなにも心配しなくていい。あなたの進む先を邪魔するものはないよ』


 安心させるように笑いかけてくる顔に胸が高鳴る。あの顔を見ていると、本当に大丈夫そうだと思えて来てしまうから不思議だ。


『私が護る。約束しよう』

「マクス様……」


 ――それは、たとえ別れたとしても、護ってくださるということですか?

 今でも分不相応に大切にされている状況だというのに、離縁して他人となった私にも力を貸してくれるといっているようにしか聞こえない言葉に戸惑う。

 今は妻という名目がある。でも、将来的にはそこまで彼にしてもらう理由はなくなってしまうのに。

 魔導師の塔のマスターで、エルフ族の族長でもあって、愛の女神の子孫だという彼に、ただの人間である私がそこまで目をかけてもらうわけにはいかない。


「でも」


 言いかけたところでアレク先生が口を開く。


「くれぐれも大立ち回りはやめてくださいね、マスター」


 教会は、遺物と呼ばれる不思議な力を持ったものを使って奇跡を起こすとも言う。いくらマクス様が有能であるといっても、奇跡の力や神聖魔法の使い手を何人も相手になどできないだろう。彼が傷つくところを想像して、顔から血の気が引いていくのを感じる。

 ――駄目。私などのために、マクス様が傷つくことなどあっては……


『私を誰だと思ってるんだ?』


 しかし、そんな私の不安をも彼はあっさりと跳ね飛ばす。


「わかってます。ぼくが心配しているのは、ベアトリス様に手を出そうとした側の無事です」

『ははッ、大丈夫だ。やりすぎないようにするから』


 え、そっち?

 と驚いてアレク先生を見れば「マスターが本気になれば、国の一つや二つ吹き飛びますよ」と真面目な顔で言ってくる。

 

「大袈裟に言ってらっしゃるのですよね?」

「エルフ族や魔導師の塔のマスターの怒りを買って滅ぼされた国の話を聞いたことはないですか?」

「…………」


 記憶を探れば、確かにそのような物語を読んだことがあるような。


「なのに、何故マスターには出来ないと思われるんですか。今度、ベアトリス様にマスターの過去のお話をお聞かせしなくてはいけませんね」

『やめてくれ。若い頃の話だ。ちょっとやんちゃしていた頃のことじゃないか。恥ずかしい』

「恥ずかしがる部分を間違っています、マスター」


 肩書が多すぎる、とても才に溢れた方だという認識ではあったけれど、私の想像以上に、マクス様はとんでもないお方のようだった。

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