第54話

『ん……アレクか。どうした?』


 鏡の向こうから聞こえたのは、いつもよりも少し低いマクス様の声。学校で彼の声を聞けるとは思っていなかった私は、思わず鏡を覗き込みそうになった気持ちを抑える。


「マスター、お忙しいところ失礼いたします」

『構わない。なんだ?』


 お仕事中のマクス様に確認しなければいけないほどの事態なのだろうけど、精霊たちが姿を見せてくれたことも、声を聞かせてくれたことも、そんなにおおごととは思えない。私は彼女たちを呼び出すのにエルフの長であるマクス様の力を借りている。他の人たちと同じ条件だったら、きっと彼女たちも姿を見せてくれていないし、名前も教えてくれなかっただろう。

 あれは不正行為だったのでは? 公平ではなかったのでは? と不安になってくる。落ち着かない気持ちを抑えようと、お茶を飲みながら彼らの会話に耳を澄ます。

 

「マスター、ベアトリス様と精霊の契約時に通常と違うことが起きたのでしたら、こちらに報告していただかなければ困ります」

『ビー? ビーがどうかしたのか? 契約に問題はないはずだ。非常にうまくいったはずだが』

「どうしたもこうしたも、契約時に姿を見て声を聴いて、それどころか会話も交わしているというではないですか」

『ああ』

「ああ、じゃありません。精霊は、人間には簡単に姿を現すこともなければ、自ら話しかけることなど極稀なことなのですよ。お忘れですか? ベアトリス様は人間です。我々エルフとは違います」

『……ああ』

「ああ、じゃないんですよ、マスター」


 忘れてましたね、と大きな溜息を吐いたアレク先生は頭を抱える。


「名前を預かり、そして精霊から『いつでも呼んでいい』と言われているということは、彼女は召喚魔法が使えるということです。あれは学んで身に着けるものではありませんから、望むと望まざるとにかかわらずベアトリス様は召喚魔導師になってしまったということです。今のままの授業の選択ですと、召喚魔法の鍛錬はほぼできません。なによりも、今この学院には召喚魔法の専門家もいません。ベアトリス様の指導を出来る者がいないのです」


 召喚魔導師という言葉に唖然とする。私が? と困惑するしかない。存在するという話は聞いていたけれど、その数は非常に少ない。様々な魔法を教えるために多くの魔導師がいるこの学院であっても召喚魔導師はいないとなると、それがどれだけ珍しいものかは言うまでもない。


『塔にならばいるぞ。見繕ってだれか派遣しようか?』

「そういう問題ではありませんよ、マスター」

『ああ、私が家で指南すれば早いということか。ふむ、それもいいな。ビーには長時間勉強を強いることになってしまうが――』

「そういう話でもありません」

『だったらなんだと言うんだ』


 アレク先生は眉間を揉む。どう言えばマクス様に理解してもらえるのか迷っているようだ。いつものエミリオ様に対する私自身を見るようで、他人事とは思えない。

 ――同じ言語を使っているはずなのに通じない時の歯痒さ……とてもわかります、アレク先生。

 なにかフォローはできないかしらと考えていると『……ビーは』とマクス様に名前を呼ばれる。


「はい」


 私自身を呼ばれたのだと思って返事をすれば『なんだ、ビーもそこにいるのか』とマクス様の少し力の抜けた声が聞こえてくる。

 ――あら、もしかして私を呼んだわけではなかったのかしら?

 自意識過剰だったようで恥ずかしくなる。しかし、声を出してしまったものは仕方がない。アレク先生が私も映るように鏡の位置を変えたので、こちらからもマクス様の顔が見えるようになった。

 

『やあ。元気そうだな』

「登校してからまだ数刻しか経っていませんよ、マクス様」


 久し振りに会うかのような言葉と表情に、くすりと笑ってしまう。


『ほんの数時間でも、離れているのは寂しいものだぞ』


 マクス様は、仲のいい夫婦を主張するためかそんなことを言い出した。どうして今? と疑問に思う。

 

「マスター、奥様とイチャつくのはあとにしてください」

『ん? うん。ではあとでにしよう』


 彼はそう言うとウィンクまでしてくるものだから、私は苦笑いを浮かべるしかない。あくまで契約の仲なのだ。アレク先生の前でまでこんなことを言う必要はないのに。

 ところで、とマクス様は羽根ペンをくるりと回す。


『ビーは、今の話についてどう思っている?』

「私に与えられた可能性ならば、可能な限り習得したいという気持ちに変わりはありません」

『なるほど? ならば召喚魔導師としてやっていかれるように私も手伝おう』


 あっさり言ったマクス様に、アレク先生はまた悲痛な声を出す。


「召喚魔法ですよ? マスター。他の古代魔法とは話が違います。あれは術師の魔力や生命力を媒介にして精霊たちをこの世に顕現させるものです。使い手には強靭な肉体や精神力が必要となります。精霊たちの力をどこまで引き出せるかは、精霊側の意思に加えてそれを許容できるだけの力が必要になります。簡単におっしゃらないでください。仮に暴走するようなことがあった際にはそれを自動的に止められるような術をご本人にもかけなければいけません」

『わかっている。それで?』

「それで……って……ベアトリス様の命が様々な意味で危険に晒されるかもしれないものなのに、そんなにあっさりと」

『ベアトリス本人が望むなら、僕は出来るだけ受け入れ、実現させるために助力は惜しまないと彼女に誓ったからなぁ。それに精霊たちから愛されてしまったのなら、本人の意思に関係なくなってしまうのが召喚魔導師だ。で、あるのなら。私たちに出来ることは、彼女が安全にその力を磨くことの手伝いだけだ。違うか?』


 迷いなく言い切るマクス様だが、その口調は限りなく軽い。アレク先生はギリッと奥歯を噛みしめる。ベアトリス様、と彼は真剣な表情で語りかけてきた。


「具体的なことを申します。光の精霊は精霊族の中でも神に近いと考えられています。一般的に人間が習得できる光魔法に加え、広範囲への強力な攻撃も可能です。彼ら独自のものとして癒しの力を持っています。神聖魔法の使い手でなくても、光妖精の召喚者は周囲に癒しを与えることが出来ます」


 アレク先生が声をひそめる。


「一般的には、神聖魔法の使い手以外で人間が癒しの力を持つことはできないと思われていますが……」

「私もルクシアの癒しの力を使えるようになったかもしれない、ということですね」


 私が聖なる乙女の素質がなかったことはみんなが知っている。急に癒しの力を使えるようになったら怪しまれるだろう。神聖魔法の使い手は他の魔法に比べれば少ない。癒しの力は貴重なもので聖なる力だとされている。だからこそ、教会で手厚く保護されているのだ。

 話をしながら、自分の頬が強張っていくのがわかった。

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