第52話

 学院での学生生活が始まって、もう2ヶ月ほどが経つ。

 習得する魔法に関してはマクス様と十分に話し合って、あまり習得者のいないという幻魔法を中心に覚えることになった。光と闇、そこに天空の加護があるからこそ使える魔法だということで、かなり貴重なもののようだ。幸運にもそれらは私自身の資質にも合っていたようで、順調に使える魔法は増えていっていた。

 魔導基礎の授業はとても魅力的で、アレク先生のお話はとても面白かった。私は、基礎講座を終えた後もアレク先生の講義を受講していた。その講座はアナベルも選択していて、今は彼女と次の授業――こちらもアナベルと一緒だった――魔法具の使い方講座の教室へ移動している最中だった。

 

「ビー」


 後ろから掛けられる声を無視する。隣を歩いているアナベルが気にする様子を見せながら私に耳打ちする。


「ベアトリス、無視して良いんですの?」

「ええ。私、あの方からあのように馴れ馴れしく呼ばれるような立場ではありませんもの」

「でも、あの方諦めませんわよ」

「なにを言っても、私の言葉の意味は理解していただけない相手とは話すだけ無駄だわ。可能な限り距離を取って、私に避けられているというのをご理解いただくしかありません」

「……理解、していただけますかしらね」

 

 ひそひそと話しながら、次の教室を目指して早足に廊下を歩く。


「ベアトリス嬢、良いところでお会いしましたね」


 曲がり角、向かいからやってきた人が偶然を装って道を塞ぐ。思わず足を止めてしまったことを後悔するが遅かった。


「ユリウス様、ごきげんよう」

「ごきげんうるわしゅうございますわ、ユリウス様」


 それでは、と挨拶だけして通り過ぎようとすれば、後ろから追いついてきた人に肩を掴まれる。気安く触れないでください、と身体を捩って険しい視線を向けてみるが、そこまでわかりやすくしてみても相手はこちらに爽やかな笑みを振りまくだけだ。


「……どのような御用がおありでしょうか、エミリオ殿下」

「殿下なんてそんな。僕とビーの仲でそんな言い方は必要ないよ」

「エミリオ殿下、失礼ながら私、次の授業を受ける教室へ移動をしなければいけません。遅刻はしたくないので――」

「そんなに時間はとらせないよ。ねえ、ユリウス?」

「はい、エミリオ様」


 最初こそこのような状況に巻き込まれるたびに顔色を青くしたり赤くしたりしていたアナベルだけど、今はすっかり慣れたようで、令嬢の微笑み崩さないまま黙って私とエミリオ様のやり取りを見ている。まだ道を塞いでいるユリウス様に、エミリオ様についてきていたオリバー様が並ぶ。騎士であるレオンハルト様は、今はミレーナ嬢の護衛をしているようで姿が見えない。

 廊下の壁に背中を付けるような格好で男性3人に囲まれている姿。どう考えても平和な光景ではない。しかし、相手がこの国の王子とその側近となれば、誰も止められないというのが現状だった。

 ――先生が通りかかってくださったなら、人によっては咎めてくださるのだけど。

 今は休み時間の中頃で、そういう立場の方が廊下を歩いていることは稀なタイミングだった。

 傍から見れば私もアナベルも微笑んでいるのだし、男性陣も見事な笑顔を浮かべてこちらに穏やかに話しかけているようにしか見えない。この場に「なにをしている」と割り込める人はそう多くなかった。


「ベアトリス嬢、確か今日の三限目は貴女も空き時間ではありませんでしたか?」


 にこりと美しい笑みを浮かべたユリウス様が抱えていた缶を見せてくる。


「最近若い女性に人気だという菓子店の焼き菓子が手に入ったのです。談話室でお茶をご一緒にいかがですか? ……よろしければ、アナベル嬢も」

「わたくしも、ですの?」


 アナベルはさすがに驚いた顔になる。今まで、談話室と名付けられたのエミリオ様とミレーナ嬢が空き時間を過ごすために用意された部屋に誘われるのは私だけだった。あの部屋の鍵は、学院長とエミリオ様にユリウス様しか持っていない。中に入れる人はエミリオ様が許可を出した人間だけだ。第二王子の紋章が入ったブローチ、それをつけている人だけがあの部屋へ続く廊下への立ち入りが許可されていた。


「ええ、こちらをどうぞ」


 ユリウス様はアナベルに金色のブローチを差し出す。彼女はそれを見てわずかに表情を曇らせた。

 今日の今日まで失礼なほどにアナベルのことは無視していたというのに、どうやら彼らは、頑なにブローチを受け取ることを拒絶している私の周囲から懐柔する作戦に出たようだ。


「ベアトリス嬢のご親友であるアナベル嬢であれば、十分に入室の資格はありますから」


 それを言う口調は非常に軽やかで、彼に自分が失礼なことを言っているという認識はないのだろう。まったくこの方々は……と、小さな頭痛を覚える。近くにいた時にはなぜ気付かなかったのか。自分自身の鈍さにほとほと呆れる。

 少し悩んだ様子のアナベルだったが、私をちらっと見てきた時には心は決まっていたようだ。力強い視線を見せてくれたので、やっておしまいなさいとばかりに小さく頷いて返す。背筋を真っ直ぐに伸ばしなおして華やかな笑みを浮かべた彼女は、よく通る柔らかな声で言った。


「エミリオ殿下、ユリウス様。わたくしの理解がみなさまのお考えに至っていないようでしたら申し訳ございません。今のお言葉の意味を自分に解釈いたしましたところ、どうやらわたくし、アナベル・レオニータ個人には、そちらを受け取る資格が残念ながらないようです」


 にこやかに、しかしハッキリと彼女は言い放つ。


「またの機会を頂けるのでしたら、その時はわたくし自身を見て評価していただけたら嬉しいですわ」


 まさか伯爵令嬢にまで断られると思ってなかったのだろう。ユリウス様のなだらかな額に一瞬青筋が立ったように見えた。アナベルは、ベアトリスのおまけ扱いならばそんなものはいらない、と断ったのだ。

 一応周囲に人がいる場所でのそんな発言は、彼らにとってもプライドの傷つけられるものだろう。しかし、この学院内では生徒は皆平等だ。貴族の上下関係は、生徒である限り限りなくフラットにされる。もちろん個人個人が自分の考えで相手にへりくだるのは自由だ。家庭の方針で平民と過ごすことなど許されないのであれば、本人が身分の入り混じっている状況を望まないのであれば、貴族クラスが用意されているのだから、そちらにずっと居れば良い。

 さすがに王族に平民のようなやり方で接してくる人はいなかったが、私は皆と公平にお付き合いしたいと宣言したおかげもあって、貴族のご令嬢やご子息、平民の方まで話しかけてくれる状況になっていた。アナベルからも「少人数よりも、可能ならば多くの集団に紛れていた方がエミリオ様も話しかけてきにくいのではないかと思いますの。ベアトリスがお嫌でなければ、お友達をたくさん作るのも良いかもしれませんわね」とアドバイスをもらっていたから、積極的に友人作りに励んでいた。

 新入生の方々は皆とても親切だった。元々国民の多くが私とエミリオ様が元婚約者同士だということも、どうして婚約破棄になったかも知っていたから同情的だったというのもある。その必要はない、と言えば、初日に私が結婚している事実を彼らに告げたということを知っている人たちの間でなにをどう曲解されたのか、変な噂話が生まれていた。

 今では学院内の一部の人は「マクシミリアン・シルヴェニア辺境伯は密かにベアトリス・イウストリーナ嬢にほのかな想いを抱いていて、婚約破棄されて傷心している彼女を好奇の目から守るために引き取り、その優しさに触れたベアトリス嬢と真実の愛で結ばれた」という話を信じているようだった。市井ではエミリオ様とミレーナ嬢の真実の愛の話も出回っているようだから、学院内ではどちらを本当とするかの論争が巻き起こっているらしい。

 エミリオ様が私にしつこく勧誘をかけていることを見た人はいるものの、そんな話をしたら不敬とされるかもしれないから口外することはほとんどない。面白いことに、見る人が見れば私がエミリオ様に怖い顔で迫っているようにも見えるようで、王子様と聖女様の真実の愛の物語支持者からは私はすっかり悪役令嬢扱いされているようだった。

「ベアトリス、面白がっている場合ではありませんわよ」とアナベルは呆れているようだけど、どちらも真実ではないのだから、どうしようもない。

 私の学院生活は、エミリオ様がまだマクス様を悪者だと思っていることとミレーナ嬢がお姉様と慕ってきて交流を深めたいと言ってきていること以外は、おおむね順調だった。

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