第49話

 マクス様の長く艶やかなシルバーブロンドの髪が目の前で揺れている。わたしを導いてくれている手の指は長く、男性にしてはすらりと細い印象だ。剣を握ることのないてのひらの皮膚は柔らかい。体温は、私よりも少し低い。

 彼の深く響く声が暗い石造りの階段に反響して耳をくすぐり、それがなんとも心地良い。

 でも、これも期間を区切られているものだ。数年後にはこの手がこうして私を支えてくれることはなくなるのだろう。


「どの魔法の習得を選択するか、焦る必要はないからじっくり考えていけばいい」

「はい」

「光と闇、それに天空。なかなかに面白いものが覚えられるはずだ。あなたが興味のあるものがあれば良いのだけれど」

「はい」

「その組み合わせでいくと、非常に珍しい魔法もある。もし魔導学院に扱えるものがいないなら、私が直接指導することも不可能ではない。困ったことがあったら、遠慮せずに言っておくれ」

「はい」

「ビー? 聞いてるか?」

「はい」

「聞いていないな」

「はい」

「……あなたは私を心から愛しているかい?」

「はい……え?」

「そうか、愛してくれているのか。私も愛しているよ、ビー。これは相思相愛というやつだ。蜜月といっても良い。私たちのような立場で、政略結婚ではなく愛のある夫婦生活が送れるというのはなんとも幸せなことだな」

「はい?!」


 耳に入ってきた言葉がやっと脳に意味を成して届く。

 やってしまった。まだ先のことに思いを馳せてしまっていた。彼の言葉に生返事していたことに気付いて血の気が引く。

 失礼なことをしてしまったという後悔と、頭に届いた言葉の意味に驚き、繋がれた手に注がれていた視線と気持ちを慌てて持ち上げる。目の前に、私を覗き込むような姿勢でニマニマ笑っているマクス様の顔があった。

 近い。一瞬で頬が熱くなる。

 ――私、今、なにを言って……


「ふははっ! いや、嬉しい言葉を聞いた。私を愛してくれているとはな。次はあなたのその愛らしい唇から紡がれる言葉で直接聞きたいと望むのは、あまりにも欲が深いかな」

「マクス様! からかわないでくださいまし」

「からかってなど……」

「ちゃんとお話を伺っていなかったことは謝りますから、ですから」

「――だから、からかってなどいないよ」


 私の言葉を遮る声は静かに、しかし明らかに私の言葉を否定している。

 立ち止まったマクス様が階段の上から見下ろしてくる。いつもよりも広がった身長差。彼を見上げているこの姿勢はまるで、と想像してしまったことを頭から追い出す。


「私は最初から、あなたを妻として愛すると言っているじゃないか」


 彼の瞳には慈愛が溢れている。私を、愛しそうに見ている。でもそれは


「契約上の妻としてですよね」

「うん? まあ、契約と言えば契約なんだが」


 マクス様は眉と口角を下げる。あまり深く掘られたくない部分なのだろう。

 妻と言っても、あくまでも形式上の話で、彼の言う『愛』というのは、子供や愛玩動物、庇護下にある存在に注がれるそれだ。決して、恋愛という甘く苦いのだという感情は伴っていない。彼の態度からもそれは明らかで、私たちは、この城の使用人たちが望むような関係ではない。

 ちくっと小さく痛む胸を無視する。


「マクス様がいらっしゃらなかったら、今頃私もこの国も大変なことになっていたと思います。あの時、私に救いの手を差し伸べてくださってありがとうございました」

「なにを今更言っているんだ。そんな風に言われるようなことをしていないぞ」

「今更だったとしても、これは何度でも感謝しなくてはいけない事実です」

「感謝なあ……そんな大したものでもないだろうに。むしろあなたにご家族から離れての寂しい生活をさせているのではないかと思っているくらいだ」

「ここの方々はとても良くしてくださいますから、寂しくはありません」

「そうかい?」


 むしろ、ここにずっといられないという事実が寂しい。

 でもそんなわがままを言ってはいけないだろう。

 ぎゅっと手を握れば、彼はその手を数秒見つめてから持ち上げ、そっと私の手の甲に唇を押し当てる。


「私の元にいる間は、危険のないように守る。あなたは私たちの家族だ」

「家族……はい」


 家族だと思ってもらえるのは嬉しい。でも、たぶん今の私が望んでいるのはもう少し違う意味の家族なのだろう。そのことに、少しずつ気付き始めていた。

 階段を上り始めたマクス様は黙ったままだ。扉を開けて廊下に出るとそこにクララとアミカがいた。ふたりは私たちの繋いだ手を見て、わぁ、と小さな声を上げる。勘違いされる、と焦って離そうとした手は、しかしマクス様にしっかり握られていて外すことが出来ない。


「加護は授けてもらえたのですか?」


 クララが尋ねてくる。彼女たちも食後に精霊との契約を結ぶ儀式を行うことは知っていた。そろそろ戻ってくる時間かと思って部屋で控えていようと移動しているところだったようだ。


「ええ、無事に光の精霊と闇の精霊から加護を頂けたわ」

「おめでとうございます!」

「おめでとうございます、奥様」

「ありがとう」


 弾んだ声のクララとは違って、アミカの声は落ち着いている。その瞳を見ているとどうしても気になることが出てきてしまった。

 思いついたことをすぐに口にしてしまうのは非常に淑女らしくないし、愚かなことだと言われてしまうかもしれない。よく考えてから口にしなければいけないというのもわかっている。しかし、ここでは自由に発言が許されている。マクス様は、咎めたりはしないだろう。


「マクス様」


 彼の手を少し引く。「ん?」と私を見下ろしたマクス様を見て、気になってしまったことを尋ねる。


「なんだい?」

「人工精霊は、人間に加護を与えることはできないのですか?」

「人工精霊?」


 なにを言い出した、と言いたげな顔をしていたマクス様は、私がどうしてそのようは発言をしたのがに思い至ったようで、すぐに「ああ」と頷いてアミカを見た。

 その場の全員から見つめられた彼女は、珍しくも少し驚いたような顔をしていた。

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