第46話
ふぅ、と短く息を吐く。
今日も今日とてクイーンに舐めまわされた私は、帰宅後お風呂に直行していた。
「クイーンに舐めないでってお願いすることはできないかしら」
「無理じゃないですか? あのにおいは私も少し耐えかねますからねぇ」
クララはなんともあっさり言ってくれる。
「ここはある意味クイーンたちの縄張りでもありますから、そこに気に入らないにおいを持ち込まれたくないんですよ」
「でも、それにしても」
「消毒ですよ。綺麗にしてくれてるんです。べたべたにはなってしまいますけど、ペガサスの唾液には不浄なものを清める効果が――」
「あるの?」
「ありませんけど」
「クララ。変なことを言って奥様を戸惑わせないでちょうだい」
お疲れでしょう、と丹念に手足を揉んでくれていたアミカが「それ以上はやめなさい」とクララを制止する。からかわれたのかと思ったのだけど、決してそういう意味ではないようだった。
「いわゆる浄化の作用などはないですが、その……」
アミカは少し言い淀んだ後、申し訳なさそうな顔をする。
「クイーン本人の意図としては、消毒といいますか、ある意味お清めのような意味で奥様についているにおいや残留思念のようなものを舐めとっているのだと思います」
「残留思念って、なに?」
「奥様に対するよこしまな思いですよ。そういうのを飛ばされている時には、相手のにおいがしたりするじゃないですか」
クララが私の疑問に応えてくれる。しかし、そんな話は聞いたことがない。それって、思いを寄せられている時には、気持ちを寄せてくれている人のにおいがするということなのだろうか。様々な人から思われている人など、とんでもないことになっていそうだけど。
――その話が本当だったら、私は今まで誰からも好かれていなかったということね。
わからなくもない、と納得していると、アミカが「奥様?」と顔を覗き込んできた。
「人間は、そのようなにおいを感じ取ることはできませんので、奥様が今まで誰かから愛されていない、思いを寄せられたことがないなどという意味ではないです」
どうやら考えていることを読まれていたようだ。そうなの? と聞けば、非常に真剣な顔で彼女は頷く。
「奥様が誰からも愛された・恋された経験がないということはないと思います。第二王子の事実上の婚約者ということで遠慮はされていたでしょうけれど、それでも幾人かは惹かれていた方がいらっしゃると思います」
「そうかしら。私、皆から遠巻きにされていたような気もするわ」
「それは、だから第二王子の婚約者でいらっしゃったからですよ。そんなご令嬢に手を出そうとする愚か者はいないでしょう」
「そう……そうね。そうだといいのだけど」
でも、誰かに好かれるような態度を取れていたとも思えない。納得のいかない私にアミカはなおも続ける。
「相手の性別やその感情がどこに起因するかは関係なく、なにかしら強い思いを向けられた時ににおいます。恋愛感情に限られた話ではなくて、執着ですとかそういう感情も」
「第二王子の奥様に対する執着はなんなんでしょうね。ただの恋愛感情でもなさそうですし……」
「エミリオ様が私に恋愛感情を持たれているなんてことは、絶対にないわ」
変なことを言い出したクララにきっぱりと言い切れば、彼女は口をぎゅっと閉じた。言いたいことがあるのかと思ってクララに尋ねようとして、ふと引っ掛かりを覚える。
アミカは、人間にはにおいを感知できないと言っていた。しかし、クララは「あのにおいは私も耐えかねる」と言ったような……?
『あそこにいるのはみんな、魔導師の塔に所属している人間か、エルフかハーフエルフのはずですけど。だからみんな魔法使えてますよね?』
朝、テオドールさんから聞いたことを思い出す。
――と、いうことは?
「ねえ、クララ。私、今朝初めて知ったのだけど」
「はい、奥様。なんですか?」
髪を拭いてくれているクララをゆっくりと振り返る。
にこにこと笑っている顔はいつも通り。明るいコーラルピンクの髪はツインにされて三つ編みされている。大きな瞳はオレンジがかった薄いブラウンで、何でも言ってください、とでも言いたげにキラキラしている。耳は短い。どう見ても、人間。正面にいるアミカのブルーグレーの髪も瞳も、当然耳の形にも特に変わったところはない。
彼女たちが魔法を使いこなして仕事をしているという部分以外は、ごく普通のうら若き乙女だ。
「奥様?」
じっと顔を見ていると、アミカも「どうかなさったのですか?」と小首を傾げる。
「あのね、ここにいる人たちって、人間は魔導師の塔の所属で、それ以外はエルフかハーフエルフだって聞いたの」
「はい、その通りですが……」
「奥様、ご存じなかったんですか?」
「知らなかったわ。誰も教えてくれないのだもの」
目を見合わせたクララとアミカは、揃ってマクス様が説明しているものだと思っていた、と口にする。マクス様からは、ここについてほとんど説明を受けていない。隠していたわけではなくて、私が聞かなかったから言わなかったのだろう。契約妻だから、教える必要などないと思われていたとは思いたくない。
お風呂から上がった私の髪を魔法で乾かしてくれながらクララは言う。
「先ほどのお話ですけど、私はハーフエルフです」
さらっと言われた事実に驚いたが、髪を弄られている状況では振り返れない。鏡越しに視線を合わせようとするのに、真剣に私の髪の手入れをしている彼女とはなかなか目が合わない。
「クララもエルフだったの?」
「ハーフエルフですよ、奥様。母がエルフで、父が人間なんです。一応精霊との契約なしに魔法は使えますけど、簡単なものしか習得できなくて」
「真面目にやればもっと上級の魔法も覚えられると言われているのに、面倒くさがって覚えないのはあなたでしょう」
もったいないと言うアミカに、クララは朗らかに笑って首を横に振る。
「いつもそう言ってくれるけど、覚えるためにはお仕事休まなくきゃいけなくなるじゃない。私、ここで働くのが好きなの。それに上級と言ってもこういうお仕事をするのに役に立つ魔法を覚えられるわけではないし」
その言い方は柔らかだけど明らかに拒絶している調子で、いつも通りの落ち着いた表情のままのアミカはそれ以上なにも言わなかった。
会話が途切れたところで、改めて質問してみる。
「ねえ、クララ」
「はい」
「ハーフエルフって、耳が尖っているのが特徴だと記憶しているのだけど……」
「純血のエルフ族ほどではないですけど、尖ってますよぉ」
ほら、と彼女は髪をかき上げる。ゆるく編まれたおさげ髪で隠されていた耳の先端は、よく見ると少しだけ尖っているようだった。
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