第44話

 ミレーナ嬢はなおも真剣な顔で言ってくる。それ以上こちらに身を乗り出されると逃げ場がなくなってしまうので、そろそろエミリオ様も彼女を止めてはくれないだろうか。


「お姉様が」

「お姉様ではありません」


 どれだけきっぱり言っても、やっぱりミレーナ嬢はその言葉を受け入れる気はないようだ。


「もしかしたら、悪い魔法でもかけられているのではないかと思っているんです」

「どういう意味でしょうか」

「エミリオ様からお話をうかがって、二人でいろいろと話し合った結果思いついたんですけど。もしかして、人の心を操る魔法を掛けられているのではないかと……お姉様は、そういう魔法の餌食になっているんじゃないですか?」

「違います」

「そういうのって、ご自分では気付かないものですよね。なので、わたし一番に解呪の魔法を教えてもらおうと考えているんです。わたしなら、お姉様をそういう魔法から救い出せるんじゃないかと思うんで」

「あの」


 彼らと話していると頭が痛くなってくる。冗談で言っているのではないからタチが悪い。

 眉間を揉みたくなるのを必死に堪えながら、彼女たちに向かって、失礼だと思いながらもてのひらを向けて発言を遮る。


「私、魔法などかけられておりません。マクシミリアン様は、私にとても良くしてくださっていますので」

「だから、それも魔法でそう思わされているだけかもしれないじゃないか」


 エミリオ様までそんなことを言う。あなたは口を挟まないでください、と喉まで出かけた言葉を飲み込む。

 第一、このミレーナ嬢の勘違いは、全部エミリオ様の間違った認識をそのまま刷り込まれた結果ではないのか。どうしてそういう考えに至ったのか、もう本当に意味が分からない。私はマクス様に魔法など掛けられていないはずだし、現状に不満など一切ない。あるとすれば、エミリオ様とミレーナ嬢に話が通じないというこの一点に限る。

 

「違います」

「でも、絶対とは言い切れないですよね? ですので」


 ――もういい加減にしてくださらないかしら。


 どうしてこうも言葉が通じないのだろう。母国語は同じはずだ。使っているのは公用語のはずだ。なのに、まったく私の意図が通じない。もう嫌だ、と頭を抱えたくなる。

 自分を落ち着かせようと胸を押さえた手から、シャラッと小さな音がする。見れば、そこにはマクス様からもらったブレスレットがあった。そっと触れて、つい助けを求めそうになり。


 ――駄目だわ。助けなんて求めたら、本当に彼がここに来てしまうのだったわ。


 さっき、ブレスレットを外しただけで文字通り飛んできてくれたマクス様のことだ。本気で救いの手を求めたら、願いに応えてくれるだろう。そしてそれが今の状況をもっと面倒にするのは、目に見えていた。


「そうだ。学院が僕たちのために部屋を用意してくれたんだ。ビーにも入室許可を出してもらえるよう話してみるよ。ソフィエル嬢とも仲が良いのだろう? 彼女もあの部屋を使うのだから、二人でお茶でもするといい」

「結構です」


 今思い出した、とでもいうような調子でエミリオ様は言う。ソフィーとお喋りできる場所というのは魅力的だけど、その部屋には周囲に不必要なものが多すぎる。エミリオ様にミレーナ嬢、それから護衛のお三方。頭を悩ませてくれる存在と、話した内容をどこにどう伝えるかも知れない方々。そんな人たちの前で、リラックスしてお茶の時間を、なんていうのは無理な話だ。


「いや、遠慮はしなくていいんだ。きみの立場もちゃんとわかっているから」


 ――全然わかっていらっしゃらないですよね。

 

 どうしてかわからないが、彼はマクス様を悪人だと思っているようだ。そんな方ではないのに、どうしてそこまで警戒するのやら。

 はぁ、と漏れそうになる溜息を何度も飲み込む。


 エミリオ様も、ミレーナ様も、ソフィーも、アナベル嬢も、それからマクス様も。たぶん全員が、それぞれの善意と正義感から、私のことを慮ってくれているのだろう。

 しかし――迷惑だ。

 私は、望んで入学したこの魔導学院では自分のやりたいことを選んでいい。マクス様が、やりたいことをやっていいと言ってくれている。彼らの思い通りにならなければいけないなんてことはない。

 ――そうだわ。私には、私の意思があるのだから。

 今まではできなかったことでも、ここでなら選ぶことができる。

 身体ごとエミリオ様に向かい、笑顔を向ける。そんな私を見て、彼は安堵したように表情を緩めた。笑顔のままゆっくりと口を開き、誰にでも理解できるように一言一言明確に発音するように心掛けながら伝える。


「私は、貴族としてではなく、一般生徒としてこちらで学びたいと思っておりますの。貴族クラスは選択いたしませんし、ここで貴族の特権を使うつもりもありません」

「ビー?」


 目を丸くするエミリオ様から視線を外し、心配そうな顔で私を見ていたアナベル嬢を振り返る。


「アナベル様、私、一般クラスで学ぼうと思っています」

「え……ええ、今のお話は聞こえておりましたわ。わたくしも、様々な方と交流を持つようにと父から言われているので、一般クラスの予定ですの。もしかしたら、同じクラスになるかもしれませんわね」

「……ですから、その」

「はい、なんでしょうか」


 にこっと笑いかけてくれるアナベル嬢に、お願いしたいことがある。でも、初対面で急にこんなことを言っては迷惑だろうか。少し躊躇った後で、下から窺うようにしながら小声でお願いをする。


「学院での同級生として、その……可能ならば、お友達として。ご迷惑でなければ、ベアトリス、と呼んでいただけますか?」

「っ、わ、わたくしが……ですか?!」

「無理なお願いでしょうか?」

「いえっ、いえっ! わたくしでよろしければ、ぜひっ」


 差し出した手をぎゅっと握り返してくれたアナベル嬢は「では、わたくしのこともアナベルとお呼びくださいまし」頬を赤らめて、そう言ってくれた。

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