第43話
目が合ったエミリオ様が「あ。」と声を出す。その声に、集団の視線が一気に私の方を向いた。
――ですよね。
魔法について専門的に学んでいない彼らも初級講座から受けなければならないことはわかっていた。貴族は希望すれば別の講義を特別室で受けることもできるが、この基礎講座だけは短期間で終わることもあって全員同じ教室で受けると説明を受けていたからその時から覚悟はしていたけれど、しかしこの狭い教室でこの集団と遭遇すると少し身構えてしまう。
反射的に笑顔を作って返せば、エミリオ様の後ろに控えていた方々はなんとも言えない顔になった。私の笑顔が明らかな拒絶感を表していたのかもしれない。淑女らしからず、うっかり感情を隠し損ねてしまったようだ。
しかしそんな私に対し、いっそ無邪気とも思えるような笑みを浮かべるエミリオ様からそっと視線を外す。顔をわずかに向けた先にいたアナベル嬢は、はらはらした様子で落ち着きをなくしていた。制服の裾を弄っているのを見ると、第二王子の登場に緊張しているのかもしれない。
「ベアトリス様、わたくしにできることがあるなら、なんでもおっしゃってくださいまし。家名に力はありませんが、物理的に壁になるくらいはできましてよ」
こそっと話し掛けてくるアナベル嬢は、今さっき私とマクス様が運命的なロマンスの末に結ばれたと脳内で変換したところだ。だから、元婚約者とその新しい結婚相手となる聖女様とは積極的に交流を持ちたくはないのでは? と考えてくれたようだった。
その気遣いは有難い。彼女の想像とは別の意味合いではあるけど、私は彼らと親しくするつもりはない。必要な交際であるのなら当然嫌がりはしない。しかし、不必要な馴れ合いまでもする必要はないはずだ。
今の私に、エミリオ様のお側にいなければいけない理由はない。なによりも下手に側にいると、私がエミリオ様に対して未練があるだとか、聖女様に害をなすのではないかだとか、痛くもない腹を探られることになるのではないかと思うと憂鬱になる。
と、いうことを言ってみたところで「ビーはそんなことしないだろう? 事実でないなら無視すればいい」とエミリオ様は朗らかに笑い飛ばすに違いない。彼の考えではなくて、私たちのことを詳しく知らない人たちが口さがなくする噂話のことを心配しているのだ。事実だけが世の中に流布されるわけではない。それは十分に理解しているだろうに、どうにもこうにもこの
『第二王子と公爵令嬢の結婚式当日、しかも式の最中に宣言された婚約解消。誰もが待ち望んでいた聖女様がこのタイミングで現れ、彼は聖女様と結婚しなければいけない立場だったというのが理由』
という世間にとって注目の的でしかない出来事に関しては、事実誰も悪くないということもあって彼の中ではあっさりと綺麗に終わったことになっているようでもある。
エミリオ様がここまで話を聞いてくれない方だとは思っていなかった。彼の発言に異を唱えたことなんてない。そのせいでこういう部分に気付いていなかったのだとしたら、あの頃の私に、ちゃんと目を開いて耳を澄まして周囲を確認するように、と言い聞かせたい。
こちらの言葉の意味を理解するつもりが限りなくゼロな人たちからはすぐにでも逃げ出したいのが本音だ。けれど、本当に彼女に壁役になってもらうわけにもいかない。か弱い乙女に庇ってもらったところで、エミリオ様が本気で追いかけてきたら逃げることはできない。そもそもの基礎体力が違うのだからすぐに追いつかれてしまうだろうし、護衛の皆様を考えれば男性四人の盾としてうら若きご令嬢を突き出すなんて、あまりにもひどい話だ。そんな非人道的なことできるはずもない。
私はアナベル嬢を安心させるように笑顔で返す。
「お気遣いありがとうございます。ですが――」
「ビー! やっぱりきみもここにいたんだね」
軽やかな足取りで躊躇するような様子もなく近付いてきながら、エミリオ様は私たちの会話に強引に割り込んでくる。これも、本人に邪魔をしているという意識はないのだろう。なんとも機嫌の良さそうな笑みで、私たちの近くに遠慮もなしに寄ってきた。
その半歩ほど後ろには、私に向かってキラキラとした視線を送ってくるミレーナ嬢。
――なんですか、その笑顔は。
なにをどう考えれば、私に対してそんな無邪気な笑みを向けられるのか。
――なにをどう考えれば……って、考えるまでもなく、これは私をお友達だと思っているから――よね。
ここまでくると『私はあなた方のお友達ではありません』と紙に書いて身体に貼り付けておきたくなる。そうしたら、その字を見るたび、私が彼らの友達ではないと思い出してもらえるかもしれない。
私が立ち上がれば、慌てたようにアナベル嬢も席を立って彼らに頭を下げる。視線を上げれば、集団の最後方にまたしても申し訳なさそうなソフィーの顔が見えた。
周囲が団体である彼らのために、席を移動してくれたことに気付いているのだろうか。隣に腰を下ろしたエミリオ様は、私の顔を覗き込むようにして言う。
「またこうして教室で机を並べることができるのを、僕はとても嬉しく思っているよ」
「身に余るお言葉ですわ。それからエミリオ様、私はもう婚約者ではありませんし既婚者ですので、そのように身近な人の呼ぶ名でお呼びにならないでくださいませ」
「なにを言ってるんだ、ビー。僕たちは幼馴染じゃないか」
「幼馴染であったとしても、ですわ。誤解を招きます」
伝わって、と強い気持ちでエミリオ様をキッと睨む。しかし、彼はまったく気にした様子もなく屈託のない笑顔を向けてくる。
「僕たちをそんなうがった見方をしてくる人たちなんていないよ。円満婚約解消だというのは皆が知っているんだからね」
――ほら、やっぱり。
どちらかが不誠実なことをしたわけではないのだから、今まで通りの付き合いをすればいいと本気で思っているのだ、この王子様は。
「そうでしょうか」
「当り前じゃないか」
「あの……」
エミリオ様の隣に座り彼の後ろから顔を出してきたミレーナ嬢が、会話の合間を見つけて眉をひそめて話しかけてくる。彼女は誰を気にしているのか、きょろきょろと教室中を見回していた。
「お姉様」
やはりその呼び方なのね、とうんざりしながらも顔には出さずに冷静に彼女に伝える。
「私は、ミレーナ様から『お姉様』などと呼ばれる立場ではないとお伝えしたはず――」
「エミリオ様からお話はうかがいました。大丈夫ですか?」
「……はい? なにがでしょうか」
ミレーナ嬢は真剣な顔で、ひそひそと話し続ける。話しながら私の方へ乗り出してくるので、自然とエミリオ様の身体が近付いてくる。つい逃げるように身を引くとアナベル嬢にぶつかりそうになった。
振り返ると、そっと私の肩を押さえた彼女は不自然にならないように一緒に距離をとってくれた。ごめんなさい、と小さく謝る私に、大丈夫ですわ、と彼女は笑って背中を支えてくれる。手が離れないところを見ると、心身ともに支えてくれている気なのかも知れない。
「ベアトリスお姉様が結婚なさったという、あのシルヴェニア卿のことです。ひどいことはされていませんか?」
「いません」
「ここには、彼の気配はないようです。安心して本当のことを言ってください」
「本当のことしか話していません」
背中に触れているアナベル嬢の手がピクリと反応する。エミリオ様とミレーナ嬢の私の現状に対する理解が、アナベル嬢のそれと異なっていると気付いたようだ。宥めるように背中を撫でてくれるのを感じる。彼女は彼女で私を心配してくれているようだった。
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