第36話

「ビー、まだ起きているのかい?」

「マクス様……」

「開けても良いかな?」

「はい、どうぞ」


 彼の部屋に繋がっている扉が開いて、マクス様が入ってくる。あちら側の灯りはもう落とされているようだから、もう休むところだったのだろう。起きている気配がしたから、と言いながら私の近くにやってきたマクス様は許可を求めてからベッドに腰掛ける。


「眠れなくなってしまったか」

「明日のことを考えていたら、目が冴えてしまいました」

「あぁ、そういうこともあるな。ははッ、そんなに強く枕を抱きしめるくらいなら、私を抱きしめてくれたらいいのに」


 冗談のように笑いながら軽い調子で告げられたマクス様の言葉を小さく繰り返す。

 ――さっき、彼に触れていたら安心して眠くなってしまったのだったわ。

 彼の体温を感じていたら、寝られるかもしれない。


「あの、マクス様、お願いがあるのですが」

「なんだい? 私にできることならなんでも――」

「今おっしゃったことを、本当にさせていただいても良いでしょうか」


 は、とマクス様の目と口が開きっぱなしになる。時々この表情をされるのだけど、私の発言はそんなに突飛だろうか。それとも、今の言い方では伝わらなかったのかもしれない。そう思いながら改めてお願いする。


「少しの間、この枕と位置を代わっていただけますか?」


 枕を差し出しながら言えば、マクス様は枕と私をゆっくり見比べる。


「あ~……っと、それは、その……私を抱きしめさせてくれという、意味、だと理解すればいい、のかな……?」


 戸惑いが明らかな彼の様子を見て、甘えて良いと言われたからといってここまでは許されてはいなかったのだろうと理解する。枕を抱き直して目を伏せる。


「駄目ですよね、やっぱり」

「いやっ!」


 諦めの言葉を口にすると同時に響いた大きな声に驚いて肩が跳ねる。


「あぁ、驚かせてすまない」


 マクス様が優しい声で言って少し距離を詰めてくる。上半身をこちらに寄せて、私の顔を覗き込む。薄明りの中で、彼の空色の瞳が柔らかなオレンジに揺れる。


「あなたからそんな可愛いおねだりをされるとは想像もしていなくてな。正直、驚いてしまった」


 彼は私の手から枕を取ると、自分の横に置く。それから「私はどうすればいい?」と聞いてくるので、座っている位置をずらして隣を手で叩けば一瞬引きつったような顔をされたような気がするが、部屋が完全に明るいわけではないから気のせいだったかもしれない。


「失礼するよ」


 彼は私の横に並んで座ってくる。それから? と促されるので横になってその姿を見上げれば、私を覗き込んだ姿勢のまま、マクス様は硬直していた。

 ――枕の代わりをしてくださるのではなかったのかしら。

 

「寝なければ明日に響きますので、このような姿勢でも良いでしょうか」

「あ……あぁ、眠るためだな。うん、いわゆる抱き枕というやつだな。うん、知ってるぞ」


 なにやら言い聞かせるように少々上擦った声で言った彼は、私の掛け布団を整えてからその上に座り直し、そっと身を横たえた。


「この場合は、私が抱きしめられれば良いのかな。それとも、抱きしめた方がいいかい?」

「でしたら、私から」


 お願いしたのは抱きしめていた枕の代理だ。ならばこちらが抱きしめるのが道理というもの。と、言ってみたところで、元婚約者のエミリオ様とも寝台の上に共にいた経験などないし、改めてこの状況を冷静に考えると、とんでもないお願いをしてしまったのだと自覚する。向き合ってみたものの、彼の顔を見ることができず、ちょっとだけはだけたようになっている彼の胸元から視線を逸らすのでやっとだ。


 眠れないと思っていた割には、頭は半分眠っていたようなものだったと気付いた時には遅い。


「どうした?」


 なかなか彼を抱きしめられずにいる私にマクス様の声が降ってくる。意を決して彼の胸元に、えいっと額を当てる。夜着の襟元を小さく掴むと「そんなものでいいのか?」と言われる。

 多分これでは少し足りない。でも、これ以上にこの状況で大胆な行動はできそうにない。

 ――どうすればいいの。余計に目が冴えてしまいそうだわ。

 そのまま小さく震えていると、ふっ、と空気が揺れて彼の手が私の背中に回ってくる。腰におろされた腕に抱き寄せられて体が密着する。ひっ、と漏れそうになった悲鳴を飲み込む。


「こういうのをお願いされたのではなかったのかな? 少々姿勢は違うようだが」

「違いません、大丈夫です、これで」

「これだと枕というよりも布団と言った方が良いかもしれないな、ははッ……あなたが眠るまでここにいてあげるから、安心しておやすみ」


 こくりと頷けば、頭に軽く口付けられる。途端に流れ出す甘い雰囲気に飲まれてしまう、かと思ったのだけど、やっぱり疲れていたのだ。黙って彼の体温を感じていると、また徐々に思考が朧気になり瞼が重くなる。

 マクス様にもう少しだけ体を寄せると、トクトクと鳴る心音が聞こえてくる。

 ――少し早い……?


「エルフ族は、人間よりも鼓動が早いのですね」


 ぼんやりと呟けば「いや、人間よりも長寿だからか、人よりも遥かに遅いはずだが」彼の声がそう答える。


「でも、マクス様の鼓動は早いように思えます」

「……言わないでくれ」

「?」


 ぼうっとしたままに見上げると、顔を背けられている。しかし、見えている頬や耳はほんのりと赤いようでもある。それもまた口にしてしまっていたようで


「それも言うな」


 と唸ったマクス様に柔らかく抱きしめられる。ほぼ無意識に体を摺り寄せてその体温に身を任せる。ほのかな花かハーブのような香りは、香水だろうか。それとも彼の香りなのだろうか。とても安心する香りだ。胸いっぱいに吸い込んで、大きく息を吐くとそのおかげで全身から力が抜けていい感じに眠くなってくる。


「あぁ、もう私としたことが……なんてざまだ……」

 

 なにやらボヤいているマクス様の声が子守歌のようになって、私はまた無事に眠れたのだった。

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