第35話
すんっと鼻を啜るとギョっとした様子で体を離したマクス様が慌てて顔を覗き込んでくる。
「泣いているのか? そんなにあの王子たちから嫌なことを言われたのか?」
「そうではありません」
泣きそうになってしまった顔を見られるのが恥ずかしくて、マクス様の肩に顔を押し当てる。宥めるように何度か背中を往復した手が、私がその体を抱き返せばやっぱり戸惑うように一瞬止まった後で優しく背中に当てられて引き寄せられる。
「ならばどうして泣いているんだ?」
囁くように耳元で問われる。心配させたいわけではないから、気持ちを落ち着けて顔を上げた。バチッと視線が合う。思ったよりも近い位置にあった顔に今度はこちらが驚かされる。
「泣いていません。大丈夫です」
笑顔を作ればマクス様は安心したように眉尻を下げて「嫌なことや困ったことがあったら、なんでもすぐに私に言うんだよ」と言い聞かせるように言って額を合わせる。
目を閉じると、触れ合っているところから癒しの力のようなものが流れ込んでくるように感じる。もしかして、私が疲れているのではないかと思ってなにかしてくださっているのかもしれない。温かな力に安心してしまって、私はまた目を閉じた。
しばらくそのままでいると、体の力が抜けそうになる。自分で思っていたよりも初登校日で気が張っていたのかもしれない。急激な眠気に襲われて脱力しそうになった私を横抱きにしたマクス様がベッドに運んでくれているのを感じながら、半覚醒とも言えないほどのほぼ夢うつつな状態ではなにか言うことができなかった。
目を閉じたままの私の額になにかが触れる。
「その服のままでは寝にくいだろう。クララとアミカを呼んでくるから着替えさせてもらうといい」
おやすみ、と囁いた声が遠くなる。しばらくしてそっと部屋の扉が開いて誰かが入ってくる。
しーっと静かにするようにと言っている声はアミカのものだろう。なにやら不満そうにブツブツ言っているクララがなにを言っているのかはわからない。
ふわっと体が浮いたように感じる。しかし抱き上げられたようではない。
続けて、あっという間にドレスが緩められて一瞬で夜着に着替えさせられたようだ。
そのままベッドに横にさせられると、体の上に布団がかけられた。
かちっ、と小さな音がして扉の開く音がする。
「眠っているようだな」
マクス様の声。
「ええ、眠っていらっしゃいますね」
答えたのはアミカだ。
「奥様がおやすみになるの、少し早くないですか?」
と、言いかけたクララが変な声を出して口を噤む。きっとアミカがその発言を遮ったのだろう。
早い、というのはどういう意味だろう。たしかにいつもより少しだけ早い時間ではあるけれど……などと考えているうちに、私は完全に寝入ってしまった。
「……ん……」
真っ暗な部屋の中で覚醒する。
いつもは薄明かりがついている部屋の灯りが完全に消えている。マクス様は、私が完全に灯りを消さないことを知っているから、クララかアミカが消してくれたのだろう。いつもは安心して眠っている部屋なのに、この広さが急に不安になる。
自分で明るくしたいと思うのだけど、この部屋の照明は全部魔法で制御されているようだから、魔法をまだ習っていない私では対処のしようがない。どうしようかと悩んでいる間に暗闇に目が慣れてくる。よく見ると、マクス様の部屋に続くドアの方が少し明るいように思えた。
――もしかして、まだ起きていらっしゃるのかしら。
マクス様が起きているのなら、頼めば灯りをつけてくれるかもしれない。
私は枕を抱えたまま、その扉の前に立つ。軽くノックをすれば「ビー? 起きてしまったのか」とマクス様の声がして扉が開いた。明るい部屋を背に、マクス様のシルエットが浮かぶ。
「どうしたんだい、そんな不安そうな顔をして」
怖い夢でも見たのか、と聞いてくる彼に、枕で顔を隠すようにしながら小声で要望を伝える。
「恥ずかしいお話なのですが、あの……部屋の灯りを誰かが消してくれていたようで……」
「あぁ。いつもは私がビーの部屋の灯りを落としていたからな。知らなかったんだろう」
パチン、と指を鳴らす音がすれば私の部屋が薄明りに照らされる。ほっとして枕を下げると、彼は笑いを堪えるような顔をしていた。真っ暗が怖いだなんて、子供っぽいと思われたのかもしれない。
「これで寝られるかな?」
「はい、多分」
「私はまだもうしばらく起きているから、また困ったことがあったら声をかけておくれ」
ありがとうございます、とお礼を口にすれば、彼は微笑んで扉を閉めた。ベッドに戻って横になってみたものの、さっき呆気なく眠りについた反動だろうか。今度は眠気が全然やってこない。
今度は明日のことが気になってしまっているのかもしれない。
明日は属性・適性などの検査がある。私の属性についてはマクス様に見ていただいているから、それについては不安になってはいないのだけど、果たして光と闇という真逆の属性を持っていることにどんな意味があるのか。天空の加護、というものがあることによる影響は? などと考え出したら眠れなくなる。
どんな人たちと講義を受けることになるのか、どんな内容の授業なのか、それによって私ができるようになることは?
考えても仕方のないことなのに、期待と不安で頭の中がいっぱいになる。
――駄目だわ。寝られない。
初めての授業中にうたたねをするなんてみっともない姿を見せたくはない。講師の先生方は私がマクス様の妻だと知っている。私の恥ずかしい行動は、そのままマクス様の評価につながってしまうということで……なんて考え出したら、余計に目が冴える。
「……っ、無理だわ」
ベッドの上で身を起こす。
もう、どうしようもない。しかし、寝られないんですなんて言ってマクス様に頼るのも情けない。枕を抱えたまま途方に暮れていると、コンコン、と小さなノック音がした。
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