第34話

 マクス様? と呼びかければ「なんだい?」と柔らかな声で返される。


「先程、私が学校で言った内容を直接聞きたいとおっしゃっていらっしゃいましたよね」

「あぁ、言ったな」

「正確ではなくても大丈夫ですか?」

「うん? あぁ、本当に言ってくれるのかい?」


 自分で直接聞きたいと言っておきながら、私がその言葉を口にしようとすれば驚いた顔になる。冗談だったのだろうか? 例え本気でなかったのだとしてももったいぶるほどの話ではないし、学院での話はそれとなくしようと思っていたから、妙な表情を浮かべている彼の膝の上で改めて真っすぐその瞳を見つめて口を開く。


「どこからお話すれば良いですか?」

「うん?」


 少し緊張したような空気だったマクス様の表情が気の抜けたものになる。


「最初から? それとも最後だけで良いですか?」

「あぁ……うーん、それならば最初から?」


 にこりと微笑んでみせた彼に、なるべく正しい言葉を思い出しながら話す。


「エミリオ様やミレーナ様と入学式後に廊下でお会いしまして、以前のように……つまり王立学院でエミリオ様の婚約者としてそばにいた時のように、魔導学院でも共に過ごそうと言われまして」

「あれはまだビーを諦めていなかったんだよな。手放すのが惜しくなる気持ちはわかるが、それにしてもしつこい。ビーを自分のものだと勘違いしているのではないのかな」

 

 顔をしかめたマクス様は軽く鼻を鳴らした。 


「ええ。ですので『今は夫がいる身なので誤解を招くような行動は慎みたいです』とお伝えしました。夫という言葉にエミリオ様は驚かれたようですが、続けて『私は皆様のお友達ではありませんし、既婚者なので関わらないでください』と言った私に、彼は『なんの冗談だ?』と」

「まぁ一瞬で理解はできなかっただろうな」


 うんうん、と頷くマクス様に


「ですから、私はこうハッキリと宣言させていただきました」


 言葉を区切ると、彼はなにかを期待しているように見える目で見つめ返してくる。その反応が可愛らしく思えてしまって頬が緩んだ。

 そのまま少しの間彼を眺めていると、焦らしすぎたのだろうか、早く、と急かすように軽く体を揺さぶられた。


「私の名前はベアトリス・シルヴェニア。シルヴェニア卿の妻です。愛する夫を不安にさせたくはありません。私のことは放っておいてください」


 じわじわと目を丸くしたかと思いきや、突如「ぅ……っ」と妙な声を出したマクス様が私の胸元に顔を埋めてくる。そのままぎゅうぎゅうと強く抱きしめられるから呼吸が出来なくなりそうだ。思わずぺちぺちと彼の背中を叩く。


「どうなさったんですか、マクス様。これ、苦しいです。苦し……」

「あぁ、すまない。少々堪えられなくなってしまってな」

「なにをですか」

「いや……いや……あぁ……いや、その……なぁ?」


 喘ぐように言葉を切って上擦る声で呟いたマクス様は「ベアトリス・シルヴェニア」と私の名前を呼ぶ。


「はい」

「あぁ……良い、とても良い名前じゃないか」


 今更? と小首を傾げる私に、彼はまたその名前を呼んで瞳を潤ませる。ビー、と優しく響く声。その顔の距離は、いつになく近い。


「あんな形で娶ってしまったというのに、あなたは私を夫と認めてくれるのだね」

「私の夫ではなかったのですか?」

「いや、確かに書類上は――」

「それだけでなく、マクス様は私を妻として愛してくださるとおっしゃいました。ですから私も、マクス様に妻としての夫への尊敬と愛情をもって誠意のあるお付き合いを……」

「あー、なるほど」


 徐々に近付いてきていたマクス様の顔が止まる。小さく呟くと苦笑いをして私を抱き直す。甘かった雰囲気が霧散してしまって、なにか私は発言を間違ってしまったのかしらと不安になる。

 でもそんな私の不安を解すように、マクス様は優しい顔で話の続きを促した。


「それで、あの第二王子たちから困ったことは言われなかったのかい?」

「どうして私が結婚しているのかわからないとおっしゃっていました。以前のように気安く触れてこようとなさるので、それもやめていただくようにお伝えしました」

「以前のように……」


 マクス様の声が低くなる。


「私はもう結婚しておりから、夫以外の男性に不用意に触られたくありませんとはっきり言ったのですが、通じているのかはよくわかりません」

「んんっ、そこまで言われても理解できないだなんてことがあるか?」

「私がエミリオ様を明確に拒絶したことなどありませんでしたから、驚かれたのではないでしょうか。それどころか、傷心の私を保護してくださっていることになっているマクス様が、憔悴している私にその状況を利用して言い寄ったのではないかという侮蔑まで」


 話しているうちにエミリオ様の言葉を思い出して腹が立ってきた。

 マクス様がそんな卑怯なことをするはずがない。そもそも、が傷ついているという前提が間違っているのだけど、社交界にはそのように伝わっているのだからその部分に関しては大目に見るとして、傷心の女性に言い寄って慰めるフリをしながら自分のものにするなんて下品なことを、この人がするはずがない。


「ビー? 怒っているのかい?」


 フンッと眉間にシワを作りながら鼻から息を吐けば、それを見ていたらしいマクス様に笑われる。

 淑女らしからぬことをした、と恥に思えば、すぐに彼は「私のために怒ってくれているのか」と嬉しそうに笑って私の頭を撫でる。


「しかし、そう思われても仕方がない状況ではあるだろうな。傷心の公爵令嬢が療養しているはずの地の領主がその女性を娶ったなんて話を聞いたら、誰だって領主が無理矢理にその心と身を暴いたのだと思う」

「そんなことされていません!」

「人が妄想をすることについて、その内容がどんなに真実から離れていて下賤なものだったとしても、誰にも止められるものではないよ」

「でも、そんな、マクス様が悪く言われるようなことは私は嫌です」

「私は、ビーがそうやって私を想ってくれるだけで十分だよ。なにを言われてもこの地位が揺るぐことはないからね。あなたはなにも心配しなくていい」


 大丈夫、と笑ってくれるマクス様になにもできない自分が情けなくなった私は、彼の首にぎゅっとしがみつく。唐突な私の行動に、狼狽えたように「ビー?」と言いながらそっと背中を撫でてくれる手の優しさに、鼻の奥が少しだけ痛くなった。

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