第32話

 冷静に考えれは「愛する夫」発言は廊下でやってしまったもので、周囲には何人もの人がいた。その中にいた先生の一人が、即時学院長に私の正体を伝えたらしい。帰り際、学院長も私のことを「マスターの奥様」と言っていたから知られているのはわかっていたけど、まさか発言の詳細までも伝わってしまっているとは思っていなかった。


「フォルマギスはその場で腰を抜かすほど驚いていたなぁ」


 驚き慌てふためく学院長に対して、マクス様は感動に打ち震えた……というのは本人の弁だ。あまりにも大袈裟すぎて、これはからかわれているのだろう。

 本人は私を契約期間は愛する妻として扱うと言っているけど、妻らしい扱いをされたことはない。可愛がっては下さっているけれども、ペットか孫か、そういうものを愛らしく思って愛でているようにしか思えない。


「あなたから夫だと言ってもらえるとは思っていなかったから、嬉しくてね」


 あくまでも書類上の夫婦関係だと考えているのだろうと思っていた、と言うマクス様に「私は最初からマクス様を夫だと思っておりますが」と答えると驚いた顔をされる。


「妻として扱うとおっしゃっていらっしゃいましたけど、私、妻らしいことを求められてもいなければ、ただやりたいことをして良いのだと言われているだけで」


 なにも求められなさ過ぎて、自分と彼の関係性について距離を測りかねているというのが実情だ。甘えて良いと言われても、今までだって社交はしなくていいと言われているから、茶会も夜会も参加していない。マクス様への夜会の招待状や、どうやら婚姻の申し込みのような手紙が多数届いているのはコレウスが持っているのを見たことがあるから知っている。しかし、夜出掛けているような素振りはないから、本当に夜会に参加することはないのだろう。

 マクス様が出席しない夜会に私一人で行くこともない。ここの立地やマクス様の立場が複雑なこともあって、特に他の家との交流も必要としていないようだ。確かに、私もエミリオ様の婚約者として出席したものでマクス様にお会いしたことはなかった。

 しかし、私の言葉にもマクス様は「ビーのしたいことをして良いんだ」といつもの言葉だ。

 でも、と困惑している私に彼は困った顔になる。


「ビーは、妻という立場をどう考えているんだい?」

「夫を支え、社交を行って、それから、その……世継ぎ、を……」

「あぁ。そうだよなぁ……そこなんだ」


 そことは? と小首を傾げれば「世継ぎを作るってことは……その、わかるだろう?」気まずそうな顔をされる。期間限定なのだから、私の純潔を奪うようなことはできないと思っているのだろうか。

 私自身は、一度婚姻関係を結んだのだからそういう関係になるのも当然だと考えていたから、初日にそういうものを否定するような態度を取られた時には本当に良いのかと戸惑った。あれ以降、本当に寝室は別で、幼い子供を愛でるように頬や額、手の甲に軽くキスされることはあっても、それ以上はない。

 ――もしかして、マクス様は単純に私がお好みではないのかもしれないわ。

 だいぶ年上ということだし、こんな小娘には魅力を感じないだけかもしれない。

 そんな風に思っていると


「ビーは知っている通り、私はエルフだからな。人間との間に子を成すことは可能なんだが」


 唸るように言ったマクス様は苦笑いを浮かべる。


「種族が違うから、そんなに簡単に出来はしない。ここで世継ぎを産んでくれなどと約束をしてしまったら、この契約結婚が数年どころでは済まなくなってしまう」

「あ……」


 エルフと人間のハーフがいるのは知っている。異種族間だと子供は簡単に出来るものではないのは知らなかった。勉強になった、なんて呑気に思っている私の耳元に、マクス様は囁く。


「それに、エルフのそういう行為は――長いからな。ビーの体力ではついてこられないかもしれない。あなたに無理をさせる気はないし、私はまだ子供は作らなくてもいいと思っているからな。世継ぎのことは気にしなくていい」


 でも、マクス様はこの城の王なのだし、いつかは子供を作る必要があるだろう。

 ――私と別れたら、きっと別の方を妻となさって、そして……

 そんなことを考えていると、胸の奥がチクリと痛んだ。

 ――なにかしら。

 そっと胸を押さえると、マクス様は私の行動に気付かなかったのか、ぎゅっと強く抱き締めてきた。


「私は……ビーがずっと第二王子の妻として相応しくなるべく努力してきていたのは見ていたよ」


 なんの話ですか。

 顔を見返すと、マクス様はパチンと指を鳴らした。目の前で彼の姿が変わる。

 短い茶色の癖毛にアーモンド型の瞳。どこにでもいそうな、好青年。その顔に見覚えのあった私は目を丸くする。


「え? え? 王城図書館の司書様……?!」

「はははッ、あなたは司書だと勘違いしていたが、あそこにいただけでそういう役目でいたわけではないよ」

「えっ、えっ?!」

「王城へ妃教育を受けに来ている最中、休憩時間も惜しんで勉強していたのを見ていた。自分から積極的に指導者に話を聞きに行ったりもしていたな。自分にできることを探して王子の仕事を手伝ったり、将来の妃としての自覚も十分にある、いつも凛とした態度で。真面目な子だと感心していた」


 マクス様はそう言って懐かしそうな顔になった。


「他の子供がわがままを言って遊んでいるような時期から、ずっとずっと将来のために頑張ってきていたのを知っている。だから――こうすることを決めた時、せめて私の手元にいる間だけでも今まで出来なかったことを思う存分してもらいたいと思ってな。こんなのは幼い希望なんじゃないか、とか、そういうことは考えなくても良い」

「いつから私のことご存じなんですか」

「うん? 私がビーに洗礼を授けたんだと言ってるじゃないか。生まれた時から知っているよ」


 子供らしい幼少期を過ごせなかった私に、あの頃できなかったことをさせてあげようという意図での「やりたいことはないのか?」という質問だったことは理解した。洗礼を授けてくださったのも聞いた。ここで、結婚した当初から疑問に感じていたことを思い出す。


「失礼ながら……マクス様っておいくつなんですか」

「私か? あー……うーん、100を越えてから数えていないな」


 それはどれだけ昔の話なのでしょうか。

 エルフ族に年齢を聞くだけ無駄かもしれない。私はそう思いつつ「元の姿に戻っていただけませんか」そうお願いしてマクス様が口元に運んできたマカロンを齧った。

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