第31話
お風呂から上がれば、またしてもクララが「これも旦那様はお好きだと思います」と言って持ってきてくれたドレスが用意されている。
毎日こうやって用意されているものを見ているうちに、徐々に彼の好みがわかってきたような気がする。
全体的には落ち着いた清楚な雰囲気で、でもどこか一か所少しだけ色っぽいパーツがあるもの――例えば胸元がレースでちょっと透けているだとか、袖の二の腕部分にカットがあって動くたびに肌が見えたり、フリルで隠されているけれどスカートをよく見ると結構深めにスリットが入ってるとか。
色合いで言えば、濃い色よりも春の花々のような淡い色がお好きなようだった。
夕食の準備が整っている部屋へ入った時には、マクス様はやっぱり私を待たずに食前酒に手を付けていた。
――よっぽどお好きなのね。
この姿は毎日のことだ。
法律的にお酒をいただくことに問題はないから、私も少しだけ甘い食前酒を口に含む。
「あぁ、そのドレスも似合うな。うん。私のビーはなにを着ても似合う。愛らしい。こんなに可愛らしい妻を迎えることができて私は幸せものだな」
「……マクス様、酔っていらっしゃいますか?」
「まさか。この程度で酔うわけがない」
だったらどうして今日も今日とて私をそう褒めるのか。今日に限っては、ここまで機嫌が良くなるようなことがあったはずがない。むしろ逆。エミリオ様たちへの対応を考えなくてはいけなくなったのだから、面倒事が増えた状況だというのに。
「ふっ……」
マクス様は私の顔を眺めて笑い出す。あまりにも幸せそうに見えて、いつもよりも幼い表情にちょっとだけドキドキしてしまった。じぃっと私を見つめながらお酒を飲んでいるからか、その熱い視線がなんとも落ち着かない。
「あの、私の顔に、なにか?」
「いや、私の妻は最高だと思って――ふふっ」
明らかにいつも以上に機嫌が良い。普段から朗らかな方ではあるが、ここまでではない。
後ろに控えているコレウスも気味悪そうな顔をしながらマクス様を見ている。そんな顔を旦那様に向けていいのかしら、と思わないでもないけど、マクス様の視界に入る時にはスンとした顔になっているからバレてはいないのかもしれない。
今日のお肉も柔らかくて、ソースも絶品。添えられているハーブは庭園で育てられているものだ。お野菜たっぷりのスープも、私たちの体調を気遣ってくれるキーブスの想いを感じられて、心身共に満たされる気分だ。実家でのご飯も美味しかったけど、私にはアクルエストリアの味付けが圧倒的に好みだった。
「なにか良いことでもありましたか?」
終始ご機嫌な様子のマクス様が気になって仕方がなくなって、食事をしながら尋ねてみる。うん? と口に運んだサラダを飲み込んでから、彼はまた頬を緩める。
「良いことか? あったぞ。気になるか」
「気になります」
――なにがあったのか教えてもらえるのかしら。
期待して彼の瞳を見返すと、同じようにこちらを見返してきた彼はとろけるように笑う。そのような甘い表情で笑いかけられるのには慣れていない。ドキンと胸が高鳴ってしまったのに動揺して思わず視線を外せば、ははっと軽やかに笑ったマクス様は
「食事が終わったら教えてあげよう」
とまた嬉しそうな顔でワインをお代わりした。
食事を終え、食後の甘いものは寝室に運ばれる。寝室で食べると言い出したマクス様の言葉にあわせてこちらに用意されたようだった。
ソファーに腰掛けたマクス様は当然のように私を膝の上に座らせる。
――やっぱりペットかなにかのように思われているのではないかしら。甘やかし方がおかしいわ。
頭を撫でたり顎下をくすぐったり、どう考えても猫か犬を可愛がっているようにしか思えない。
「マクス様、くすぐったいです」
「あぁ、すまない。つい」
くすくす笑いながらマクス様は優しく私の腰を抱き寄せる。薄いドレスの生地を通して、彼の体温を感じてまたドキドキしてしまう。
これは契約結婚で、私と、私の家と、この国のために仕方なくマクス様が私と婚姻を結んでくれただけ。妻として大切にしてくれると宣言してくれているから、可愛がってくれているだけ。自分に何度も言い聞かせないと本当の夫婦のように勘違いしそうになる。
「それでマクス様、今日はなにがあったのですか?」
「うん。年甲斐もなくはしゃいでしまうくらいに嬉しいことがあったんだ」
すりっと鼻先を首筋に摺り寄せられる。上がりそうになる声を噛み殺し、両手で口を押えながらマクス様を軽く睨むと、彼は楽しそうに目を細めてぎゅうぎゅう強く抱きしめてくる。苦しいです、と言えば力を抜いてくれるのだけど、またすぐにぎゅうううと抱きしめられた。
「もう、苦しいですってば。そんなに上機嫌になるだなんて、どれだけ嬉しかったんですか」
「はははっ、それはもう。コレウスが気持ち悪がる程度にははしゃいでいるぞ」
少し離してください、とマクス様を押し返す。
――やっぱりコレウスが変な顔をしていたのには気が付いていらしたのね。
執事にあんな顔をされても気にならないほどだなんて……いや、ここの使用人たちとマクス様の関係を見るに、ご機嫌でなくても気にしなさそうではあるわね、などと思っている私の耳に、甘ったるい声が注ぎ込まれる。
「実は、私の可愛い妻がな、今日私を夫だと認めてくれたんだ」
「……はい? 私がですか?」
予想外の言葉に目を丸くした私は、彼の胸を押した格好のままその空色の瞳を見返す。
「ああ、今日から通いだした学校でな。初日に自分はマクシミリアン・シルヴェニアの妻になったのだと、私を愛する夫だと元婚約者の前で言ってくれたのだと聞いてなぁ。いやぁ、それは直にこの耳で聞きたかった」
と、いうことで。
マクス様はにんまりと微笑む。
「その口で、直接聞かせてくれないか?」
「えっ、えっ?」
「私を愛する夫だと言ってくれたんだろう?」
どこからその噂話を聞いたんですか、と問い返す自分の声は、恥ずかしさのあまり情けないくらいに細く震えていた。
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