第30話

「それにしてもマスターも人が悪い。ベアトリス様が奥様だともっと早く教えてくだされば、こちらとしてもそれなりの対応ができましたのに」

「ビーはそういう特別扱いは望まないよ。だろう?」

「はい」


 むしろ、特別扱いは絶対にやめてほしい。ただでさえ、第二王子と聖女様が入学してきている状態で気苦労も多いのだろうから、そこに加えて魔導師の塔のマスターの妻などという立場の小娘の相手は先生方のご苦労と思うと申し訳なくなる。私の希望としては、他の生徒と同じように扱ってもらいたい。まずは、その「ベアトリス様」をやめてほしいものだ。


「私のことは、他の生徒のみなさまと同じように扱っていただきたいです。呼び方も他の方々と同じようにお呼びください」

「しかし」

「本人がいいと言っているんだからごちゃごちゃ言うんじゃない」


 失礼な呼び方はできないと言う学院長にマクス様はビシッと指を突きつける。


「それに『マクシミリアン・シルヴェニア』について詳細を知っている家の方が少ない。ただの辺境伯夫人を第二王子や聖女を他と同じように扱うことに違和感を覚える者もいるだろう。詮索はされたくないんだ。彼女のことは、一般生徒と同じように扱ってくれ」

「そこまでおっしゃるのなら」


 渋々頷いた学院長に、マクス様はじっとりとした視線を投げる。

 まだなにか、と引きつる学院長に大きな大きな溜息をついてマクス様は私の手を取った。


「それよりもなによりも、あの第二王子と聖女が入学するのなら、私にも事前に連絡がほしかったよ。ここなら安全だし王族の手からも離れた場所だから……と思ってたのになぁ」

「も、申し訳ございません。エミリオ殿下から、こちらへの入学希望のご連絡をいただいた際に、もしかしたら後日もう一人、ベアトリス・イウストリーナ様もこちらに通うことになるかもしれないと事前に通達されておりまして。その……マスターからのご連絡をいただいたのがその直後でしたので、てっきりそういうことなのだと」


 それは、学院長も誤解するだろう。

 エミリオ様は、結局私を諦めていなかったらしい。彼とミレーナ嬢の補佐のため、自分たちが通うことになったここへ私を招待する気だったようだ。

 いくつかのタイミングと偶然が折り重なった結果の今日の出来事について、マスターから少々咎めるような言い方をされて委縮し、しどろもどろになっている学院長へ同情を禁じ得ない。


「それにしても、どうして聖女であるミレーナ嬢がここに通うことになったのでしょう。私、てっきり教会か王城で厳重に保護されて教育を受けるのだと思っていたのですけど」


 私の疑問にマクス様は、思い切り口をへの字にした。


「王家は教会に聖女を預けたくない。教会は王家だけで聖女教育をされるのに不安がある。だからどちらにも与しないここに預けてきたんだろうな。まさか王家が聖女を囲い込まずにこっちに投げてくるとは想像していなかった。まったく、あの国王はなにを考えているんだかわからんな」


 そうですそうです、と学院長が頷く。ご理解いただけましたか、と言いたそうな顔をしてるけれど、マクス様に完全に無視されてがっくりと肩を落とした。

 ――ああっ、そんなに落ち込んだ顔をなさらないで、学院長……! 多分マクス様は学院長に怒っていらっしゃるのではないと思います。

 じとりとした目をしたままのマクス様だけど「第二王子がビーに付きまとわないようにどうにかせんといかんな」と呟いているのを見ると、気に入らないのは私をまだ近くに置こうとしているエミリオ様のことだ。


「聖女はそもそも教会が責任をもって保護するべき対象ではあるが、この国では王族と婚姻関係を結ぶことになっている存在でもある。結婚してしまえば、どうしても后として国の表に立たなくてはいけなくなるのはわかるだろう?」

「はい」

「しかし、教会としては自分たちの先頭に立って活動してほしいと思っている。聖なる乙女として指導してきていた過去があるなら多少強引に自分たちの手伝いをさせることもできるだろうが、彼女はそうじゃない。教会の手の掛かっていない聖女だ」


 王家としては、そんな都合のいい状況の聖女をここでむざむざと教会に預けきるわけがない。しかし、聖女としての自覚は持ってもらわなくてはいけないし、貴族教育も受けてもらわなければいけない。そのあたりはソフィーがある程度任されているのを知っている。この状況、教会の人間でも王家側でもないソフィーの負担があまりにも大きそうで心配になってしまうのだけど、彼女の精神状態は大丈夫なのだろうか。


「神聖魔法を教えるために、誰か教会から派遣されてくるのだろう? アルスあたりか」


 うんうん、と学院長が頷いているところを見ると、ミレーナ嬢専用の講師が来るのが決まっているらしい。やっぱり、聖女を預かるとなるとイレギュラーなことが多くなるようだ。


「まぁそれに? 教会で聖女の教育をしたいと言ってみたところで、将来は妃になるのが決まっている娘だ。元々が身分の高い家柄ならともかくアレだからなぁ。貴族の振る舞いを身に着けさせる必要があるのは教会だってわかってる。あそこでは王族も貴族も平民もない。すべては愛の女神の元に平等である、というのが基本だからな。誰にでも同じような対応をする。ある程度までの礼儀は身につけられてもそれは貴族社会のそれではないから、教会が聖女に教育を今から施すってのは、元々難しい話なんだ」


 それに対して、魔導学院では貴族相手に足元を見られないよう、そして失礼な言動で高位貴族の不興を買うことのないように対貴族教育を施されるらしい。

 

「気位だけ高い連中は放っておけ、と言いたいところだが、この国でやっていくには貴族への対応方法というのも身につけておかなければいけない。位だけ高い愚か者どもは実力で黙らせてやれ、なんて言って揉めるのも望んではいない」

「それで、魔導師の皆さんには貴族社会のお勉強も必要になるわけですね」


 うん、と頷いたマクス様が私の頭を撫でる。さらりと私の髪を指で掬って、柔らかな笑みを浮かべる。


「だが、どれもこれもビーには関係のない話だ。ビーはここで、好きなだけ勉強して、友達を作るも研究をするもやりたいようにしていいんだ。自分の望むことだけをしていい。私は、そのためにあなたをここに推薦したのだからね。妙なものに煩わせられることのないよう手を尽くそう」


 さて、と言いながら私の腰を抱いたマクス様は魔方陣へ私を誘導した。

 そのまま、学院長への挨拶もそこそこに城へ帰ってきた私は、戻った直後にクイーンに舐めまわされてお風呂に直行する羽目になってしまった、というわけだった。



「なるほど。これは消毒だったんですね」


 話を聞き終わったクララは真面目な顔で言う。


「消毒って、なに?」

「奥様から王子と聖女の臭いがしたのでしょう。クイーンはきっとそれが気に入らなかったんです。嫌な臭いを消すために消毒してくれたんですよ」

「舐めて?」

「舐めてです。でもおかげで彼らの臭いを城の中には持ち込まずに済んだじゃないですか」


 ちらっとアミカを見る。クララの発言に否定の言葉を口にしなかったということは、きっとアミカも同じ考えなのだろう。


 ――私、明日からも帰ってきた時にクイーンから舐めまわされるのかしら。


 それはちょっと遠慮したい、と思っていた私は「明日以降もお風呂を用意してお帰りをお待ちしてますね!」という明るいクララの声に打ちのめされてもう一度湯船に沈んだ。

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