第29話

 アレク先生の説明によると、同じ時期の入学だといっても経験や能力の違いで受ける講義は全く違うらしい。だから、学院全体でも特定のクラス分けがされるわけではなく、今同じ教室にいる面々が今後全員集まることはないという。

 ということは、エミリオ様たちとも離れられるということだ。仮に同じ教室で受けないければいけないものがあるとすれば、魔術の心得などの初級講座だけなのではないだろうか。

 これからの学院生活で彼らに先ほどのようにぐいぐい来られるのは少々迷惑に感じていたから、ホッとして胸を撫で下ろす。

 まだ今日は授業があったわけではないから話しかけられもしたけれど、授業が始まってしまえば忙しくなって私に構う時間などもなくなるだろう。


 実際にどのような講義が受けられるかについては、明日改めて属性・適性などの検査を済ませてから決まると説明を受ける。マクス様の紹介ということでほぼ無審査で入学を許されてしまった私はよく知らなかったのだけど、一定の魔力の質と保有量のない人はそもそも入学資格がないらしい。

 聖女であるミレーナ嬢は当然として、エミリオ様もさすがはエルフであったという初代聖女様の血を引いている王族と言うべきだろうか。魔導学院に入ることができる程度の力はあったようだ。

 それにしても、あのお二人はどうしてここに入学してきたのだろう。ミレーナ嬢は聖女なのだから、てっきり王城か教会で指導を受けるものだとばかり思っていたのに。


 説明も終わりに差し掛かった辺りでアレク先生と目が合った。

 気のせいかと思って視線を外そうとしたところで「ベアトリス嬢」と名指しされてしまう。


「すみません、少しお手伝いいただきたいことがあるので、これが終わったらぼくについてきてくださいますか?」

「はい」

「いい返事ですね。それでは、今日はここまで。皆さんさようなら、また明日」


 石板を抱えてアレク先生の元へ向かう。隣を通り過ぎる際にエミリオ様がなにか言いたげな顔をしていたけど、先生に呼び出されている生徒を呼び止めるなんて非常識なことはさすがにしなかった。

 並んで歩きながらアレク先生は襟元を正す。入学したばかりでなんの知識もない私にどんなことを手伝わせるつもりなのだろう。どんな内容であれ手を抜く気はないが、期待外れな真似をしてマクス様の名前に傷をつけるようなことがよう心掛けなければいけない。


「ベアトリス様はマスターの奥様だったのですね。そのような話は教員一同聞いておらず、少々驚きました」


 苦笑いのアレク先生に「驚かせてしまって申し訳ございません」と頭を下げると「やめてください」と止められる。


「奥様に頭を下げさせたなんて知られたら、マスターになにを言われるか」


 ふぅ、と溜息をついたアレク先生の横顔を窺いながら、やっぱり夫婦宣言は失敗だったかと考える。

 エミリオ様から逃げたい一心で結婚していることを公言してしまったけど、ここは魔導学院で、先生方は魔導師で、魔導師のトップは我が旦那様だ。長の妻が新入生で入ってきたとなっては気を遣うだろう。後で、学院長に特別扱いはしないでください、とお願いすることを忘れないようにしないと。

 アレク先生におとなしくついていけば、行先は学院長の部屋だった。


「あら……ここは学院長先生のお部屋ですよね?」

「はい。では、お疲れ様でした」

「えっ、あのっ、私なにをお手伝いすればいいのでしょうか?」


 そのまま来た道を戻ろうとするアレク先生を呼び止める。私をお呼びなのは学院長で、中で話を聞けということかしら、と困惑していた私に、アレク先生は軽く笑って。


「ベアトリス様を無事に学院長室へ送り届けるまでがぼくの業務だったんですよ。ここまで疑わずついてきてくださってありがとうございました。それでは」


 改めてそう言った彼は本当に立ち去ってしまう。どうやらアレク先生は、エミリオ様たちから放課後絡まれて帰るのを妨害されないよう、あのような言い方でエスコートしてくれたらしかった。

 ――ありがとうございます……!

 気遣いに感謝しつつ「失礼いたします」ドアをノックして、学院長の許可が出るのを待って開ける。扉の真正面にある学院長の机には、なぜかご機嫌で笑いを堪えている様子のマクス様が座っていた。


「やあ、おかえり」

「マクス様……」

「ははっ、疲れているようだな。おいで、ビー」


 マクス様の顔を見て安心してしまったのか、足から力が抜けそうになる。しかし、ここで脱力してしまうのはみっともない。立ち上がり、隣まで来て手を貸してくれようとするマクス様に丁寧に断りを入れて、学院長への帰りの挨拶までは、としっかり自分の足で立つ。


「大丈夫です。一人で立てます」

「しかし、だいぶ疲れているように見えるが? 遠慮せず寄りかかればいいものを」

「大丈夫です」


 腕を広げた状態で少し残念そうな顔をしたマクス様に、もう一度はっきりとお断りをする。そんな様子を見ていた学院長は、私に負けず劣らずの疲れ切った顔をしていた。


 式典の最中も姿を見かけなかったマクス様は、ずっとこの部屋にいたのだろうか。学院長は、入学式にはいらしたけれどガイダンス中はずっとこの部屋だったのだろうし、上役が自分の部屋でくつろいでいるというのは落ち着かなかったことだろう。

 しかし、マクス様は初日の登校に付き添ってくれているだけなので、明日以降はこんなことにはならないはずだ。

 本当に申し訳ない、と学院長を見ると、ただでさえ白髪に長いお髭のご老人でいらっしゃるのに、朝よりも更に老け込んだ顔になっていた。

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