第27話
朝とは逆のルート。今度は学院からアクルエストリア城へと転移魔方陣で移動して来た私は、小屋の扉を開けた瞬間大きな影に立ち塞がれた。
「え……えっ?!」
驚いている私にマクス様が手を伸ばす。が、指先が届くよりも早くそれに引き倒される。
「いやあぁぁぁっ!」
逃げようとしたところをぐっと押さえつけられ、そして。
べろんと顔を一舐めされた。
「ひゃぁっ」
「クイーン、こら、やめないかクイーン」
マクス様の静止は完全に無視して、クイーンは顔だけではなく腕や肩、頭までも舐め回す。しまいには髪をもしゃもしゃ噛みだしたところで、やっとマクス様が実力行使に出た。
バチンと衝撃音が走って、クイーンの動きが止まる。
「いくらクイーンでも私の妻に対してそれはやりすぎだ。それ以上はいくら温厚な私でも許せないよ」
やめなさい、と言う指先がチカチカと光っている。不満そうに鼻を鳴らしたクイーンは私に頬擦りをするとそのまま今度は襟首を咥えようとする。
「ひっ、わっ、ひぁッ!」
体が宙に浮く。そのままどこかに運ばれてしまうのだと思いきや、駆け寄ってきたクララとアミカに投げて渡される。危ない! と強く目を閉じていたのに、衝撃など微塵もなく、ふわりと二人の腕の中に抱き留められる。
――今、なにが起きたの? 私、クイーンに放り投げられ……?
その細腕のどこにそんな力があるのかと疑問に思うほど軽々と、私はアミカに横抱きにされていた。
「お怪我はありませんか? 奥様」
「え、ええ。ありがとう……?」
いつもクールなアミカに優しく微笑まれると、ちょっとドキっとしてしまう。クララはまだ小屋の近くに立っているマクス様に大きく手を振る。
「旦那様ーっ! 奥様はちゃんとキャッチしました! お怪我もありませんっ」
「旦那様、奥様にはお風呂に入っていただかなくてはいけないので、お先に失礼いたします」
「あー……あぁ、うん。丁寧に洗ってやってくれ。クイーンのよだれでベタベタになってるから」
風呂から上がったらティータイムか早めの夕食にしよう、と提案してくれたマクス様に「ではお夕食でお願いします」と答えた私は、その後すぐ早足のアミカにお風呂場に連れていかれたのだった。
学院から帰ってきたらすぐに入れるよう準備をしてくれていたようで、湯船には良い香りのお湯が張られていた。汚れてしまった制服を脱いで全身湯に浸かると、ふっと力が抜けていくようだ。
「はぁ……」
湯船の縁に頭を乗せて溜息を吐く。アミカは先ほどから丁寧に髪を梳いてくれている。いつもより時間がかかっているようだけど、私の髪はそんなにクイーンのよだれだらけになってしまっているのだろうか。
「学院はどうでしたか?」
制服を洗いに行ったクララは、戻ってくるなりそう尋ねてくる。クララに櫛を渡したアミカは、今度は濡らした柔らかな布で顔を拭ってくれた。
「どう……そうね。魔法をいっぱい学んで、みんなみたいに生活の中でも使えるようになったら良いな、なんて思っていたのだけど……」
「お勉強が難しそうなんですか?」
「クララ」
「いいえ、まだ授業は始まっていないからそちら側ではなくて」
どう説明しようかと思っていると、じっと目を覗き込んできたアミカは小さく首を傾げた。
「というと、ご学友に問題が?」
「……問題、というか……いえ、問題ね。大問題だわ」
「初日から、まさか奥様をいじめるような不届き者が?!」
「クララ。」
窘められたクララは、しかしかなり本気で言ってくれていたようで「アミカは心配じゃないの?」と目を丸くしている。
王立学院では、公爵令嬢、しかも王子の婚約者ということで私に対して嫌がらせ行為をしてくるなんて人はいなかった。私自身がもしかしたらちょっとキツい顔をしているせいもあるかもしれないけど、嫌味すら言われたことはないような気がする。もしかしたら、単純に私が気付いていなかっただけかもしれないのだけれど。
「大丈夫よ。いじめられてはいないわ。でも……はぁ……」
ここに戻ってくる前のことを思い出して、また疲れてしまってそのまま湯船に沈みそうになる。慌てたアミカに掬いあげられる。大丈夫ですか、と心配されて笑って返しながら、今日のことを思い出していた。
既婚者ですので、放っておいてください。そう言い切った私は、大きく肩で息を吐いた。
ここまで言えば理解されるだろう。単純にもそう考えた自分が大間違いだった。
エミリオ様はまだ理解しきれないといった顔で
「ごめん、ビー。わからないよ。君になにがあったんだ?」
と言いながら肩に触れてこようとするから、何歩か後ろに下がりながら誰が見てもわかりやすいようにその手を避ける。
「ですから、私はもう結婚しておりますの。ですから、夫以外の男性に不用意に触られたくありません。ご遠慮くださいませ」
「夫、って」
露骨な拒絶を示した私に、エミリオ様が頬を引きつらせた。なんとか笑顔を作ろうとしているようだけど、その努力はあまり実っていない。彼は震える手を下ろさないままに訊ねてくる。
「待ってくれよ、ビー。シルヴェニア卿は傷心の君を保護しているだけだと聞いていたが……もしかして、そんな状態の君に彼は言い寄ったのか? 自分の立場を利用して君を――」
「まあお姉さま! 無理矢理結婚させられたんですか?」
違う、という私の声は興奮状態の彼らには届かないらしい。
なおも私に詰め寄ろうとするエミリオ様を、後ろに控えていたはずのユリウス様とレオンハルト様がこちらに近付かないようにしている。そしてずんずん私に迫ってくるミレーナ嬢を止めたのは、少し離れたところでこの状況に頭を抱えていたソフィーだった。
エミリオ様の警護役なのだろうお三方は男性だから、ミレーナ嬢のお世話やお手伝いをするのに彼女も同行させられているのだろうと想像できた。
「ミレーナ様、学院長からもお話がありましたように、入学式の後はすぐに教室へ移動することになっています。皆様にご迷惑をかけるわけには参りません。教室へ参りましょう」
「でもお姉様が」
「ベアトリス嬢とお話しなさりたいのなら、別の機会にお約束をしましょう。さあミレーナ様こちらへ」
ソフィーはそう言いながら、私に小さなアイコンタクトを送ってきた。この場は任せて先に行ってちょうだい、ということのようだ。ありがとう、とこちらも小さく頷いて返し、エミリオ様に丁寧に礼を一つして指定の教室へ向かう。
その最中、廊下を行く人たちが私を避けているような気がしたのだけど、気のせいだと思いたい。
教室にそっと入って、空いている席に座る。遅れてやってきたエミリオ様たちは最前列を指定されていたようで、後方に座っている私を気にする素振りを見せつつも、それ以上話しかけてくることはなかった。
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