第23話

 城へ戻る前に、なにか街で買っていきたいものはないかと尋ねられた。結婚式に合わせて少し甘いものを控えていたから、今日久しぶりに食べたお茶菓子はとても美味しく感じられた。これからお世話になるアクルエストリアの使用人のみんなにあのお菓子を渡すのもいいかもしれない。お菓子を買ってもいいですか? と言う私に、マクス様はもちろんだと笑顔で応えた。

 母のお気に入りのパティスリーは店の外観も可愛らしく若い娘に人気で、今日も店の外にまで列ができていたのだけど……そこがなにやら騒がしい。


「まあ! どれも美味しそうっ、あれは作りたてをこの場で食べるものなんですね。食べてみたいわ!」

「ミレーナ様! それ以上は持ちきれませんっ」

「良いじゃないか。こっちが荷物持ちをするって言っているんだから……」

「貴方は黙っていてください」


 ついさっきまで聞いていた声がする。人垣の隙間に見えたのは、見事な金髪の長身の男性とストロベリーブロンドの緩やかにウェーブのかかった髪の小柄な少女。そしてその二人を止めようとしている女性は。


「ソフィー?」

「っ! ベアトリスッ」


 こちらを振り向いたソフィーが慌てた顔でその人たちを背後に隠そうとする。しかしあちらから肩越しに覗き込まれてはその努力も無駄だった。


「ああビー、いいところに。ソフィエル嬢を説得してくれないか? お金ならあるし、これくらいはいくらでも買ってやると言っているのに――」

「お金の問題ではありません! ミレーナ様のお口に入るものは全部毒見が必要なんです。エミリオ様のお食事もそうでしょう? 大体ご令嬢と王子様が買い食いなどなさらないでください!」

「じゃあ、ソフィエル嬢が毒見をしてくれたらいいよ」


 話が通じない、と露骨に嫌な顔をしながらソフィーは自分の胸に手を当てる。


「私、これでも聖なる乙女なのです。聖なる乙女たちに毒物が効かないことはご存じでしょう? 私では毒見役になりませんわ」

「あ~、そういえば去年聖なる乙女を引退したんだったね。でも聖なる乙女でも毒物が効かないというのなら、聖女であればもっと効かないんじゃないかな」

「わたし! なにかを食べておなかを壊したことはありません。森で採ってきたキノコや野草を食べても平気でした」

「ほら、ミレーナもこう言ってるよ?」


 この馬鹿王子! と顔に張り付けたソフィーはミレーナ嬢をエミリオ様から引き離そうとする。探されているのだからさっさと王城に帰りましょう、という当然の主張は「もう少しだけ王都散策をしたいです」というミレーナ嬢の発言に対する「抜け出してから何時間も経っているんだ。ちょっとくらい帰りが遅くなっても今更変わらないよ」という斜めからの援護をするエミリオ様の言葉で打ち消される。彼はどうであれこの国の第二王子なのだ。いくら勝気なソフィーとはいえ、王族相手にこれ以上強く出ることはできない。

 エミリオ様の後ろには、先ほどお会いしたオリバー様だけではなく、宰相のご子息であるユリウス・ノヴァ様、騎士団長のご子息であるレオンハルト・アルカディウス様が立っている。野次馬が集まってこないように人払いをしているようだが、その努力もこの大騒ぎでは無駄だ。困った様子でいるところを見ると、このお三人もソフィーと同じく早く帰りたいと思っているのだろう。

 無事エミリオ様と合流できて良かったですね、と思いながらそちらを見ていると、視線の隅にピンク色のものが飛び込んでくる。視線を下げれば、私の近くに聖女様が立っていた。


「エミリオ様、こちらのお綺麗な方はどなたですか?」

「私、ベアトリス・イウストリーナと申します」


 なにも紹介してもらう必要はない。丁寧に礼をしながら名乗れば、エミリオ様が余計なことを付け足した。


「ビーは僕の幼馴染だよ。ほら、円満婚約解消した元婚約者。昨日話をしたじゃないか」

「ああ! この方がベアトリスお姉様なんですねっ?」


 円満婚約解消? ベアトリスお姉様?

 ――なんなのですかそれは。

 驚いて表情が凍り付く。黙ってしまった私に「顔色が悪いようですけど、具合が悪いんですか?」とミレーナ嬢は心底心配そうに訪ねてくる。多分、彼女に悪気はないのだ。本気で私の体調を心配してくれているのだろう。

 大丈夫です、と短く言った私の肩に手がかかる。隣を見上げれば、完璧な笑顔を浮かべたマクス様が私を抱き寄せていた。エミリオ様が驚いた顔をして私の肩に乗っているマクス様の手を凝視している。どうしてそんな顔を、と不思議に思っていると、マクス様は私を後ろに下がらせてから両手を広げ、恭しく頭を下げた。


「申し訳ない。彼女はまだ少し疲れているようでしてね。早く休ませてやりたいので、お先に失礼させていただきます」


 しかしそれは王族に対する不敬とも思える不遜な態度に見えたのだろう。ユリウス様とレオンハルト様からは非難するような視線が送られる。彼らの目を気にする様子もなく、マクス様は私をエスコートしながらその場を離れた。


「あれが今代の聖女か。なかなかに元気そうなお嬢さんじゃないか」

「聖女様は、慈愛溢れる物静かな方というイメージが壊れていきます」

「聖女だからってしとやかなわけではないだろう。いろんな性格のがいる。まぁアレはなかなかに珍しいタイプではあったがな」


 教会も手を焼くことになるだろうなぁと言うマクス様は妙に楽しそうで「そんな意地悪をおっしゃらずとも」とつい口を出してしまった私に


「意地悪じゃない。事実だ」


 マクス様はまったくフォローにもなっていないことを言って、周囲に誰もいないことを確認すると私を抱き上げる。


「きゃっ」

「転移する。しっかり掴まっているように」


 カツカツとマクス様が踵を鳴らすとまた一瞬で目の前の景色が変わって、私たちはアクルエストリアへ戻ったのだった。

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