第21話
うーん、と唸ったマクス様は、しばらく考え込んだ後でぼそぼそと呟く。
「いくら王族でもアクルエストリアには自由に来ることができないからなぁ。あそこにいれば安全といえば安全なんだが、しかし王子が絡んでくるからといってずっとあそこに閉じ込めておくというのも可哀想ってものだ。なにかいい方法はないものか」
「ベアトリス! ここにいるのっ!?」
バンッと大きな音を立てて扉が開く。何事かと思えば、そこには顔を真っ赤にした幼馴染のソフィエル・アンネがいた。その音でお母様も気が付いたようで、体を起こすと何事もなかったかのような顔でソファーに座りなおす。
会えると思っていなかった顔に驚いて立ち上がると、瞳を潤ませた彼女は駆け込んでくるなり私を強く抱きしめる。
「ああ私のベアトリス! あの馬鹿王子に変なこと言われていない? シルヴェニア卿のところで静養していると聞いていたけど帰ってきていたのね。調子はどう? 癒しの力が必要ならいつでも言ってね?」
ぎゅうぎゅうと強く抱き締められると痛くて堪らない。ソフィーの豊満な胸に顔が埋まって息ができずにいる私を見かねて、お兄様が彼女を引きはがした。
「おやぁ、そちらはソフィエル・アンネか? 聖なる乙女の?」
ソフィーの顔に見覚えがあったのか、マクス様は彼女の名前を呼ぶとお兄様の手から私を受け取って隣に座らせる。マクス様の耳は、今はもう人間のように短くなっていた。私を挟むようにマクス様の反対側に腰掛けたソフィーは怪訝そうな顔をして彼を見た。
「貴方は?」
「私かい? 私はマクシミリアン・シルヴェニアと言う。よろしく頼むよ」
マクス様が差し出した手を握り返しながら、ソフィーは「シルヴェニア?」と呟いて
「今ベアトリスが静養しているというシルヴェニア家の御当主様? あら、でも私のことをご存じでいらっしゃ、る――……」
そこまで言って、言葉をピタリと止めて眉をひそめた。
「どうしたんだい?」
「………………」
黙ってしまったソフィーは繋がれたままの手を見て、それからマクス様を睨む。温かな蝋燭の光のようなオレンジ色の瞳が厳しい色を帯びる。
「貴方、何者?」
「マクシミリアン・シルヴェニアだと言っているだろう?」
「……どうしてなにも見えないの?」
「はははッ、そりゃぁ私がアクルエストリアの王だからだ。他人に簡単に心の内を探らせるわけがない。そんじょそこらの魔法は私には効かないよ。残念だな」
「なるほど、魔導師の塔のマスターでいらっしゃるのね?」
その言葉で全てを把握したらしいソフィーは、それは敵わないわ、と言って手を離すと自分のスカートで掌を拭ってから、艶めく亜麻色の髪を軽く後ろに払った。
彼女は私の幼馴染で、聖なる乙女の一人だった。18になっても聖女として覚醒しなかったので、今は実家に戻って花嫁修業の最中だ。教会に残らないかという誘いに、こんな息苦しいところはもう結構よ、と言い切ったという話は少しだけ有名だった。
同年代の聖なる乙女の中でも一番優秀と言われていて、彼女が覚醒すれば彼女がエミリオ様の妻となる予定だった。ほんの少しだけ複雑な関係ではあったけれど、私たちは親友といって良いほどに仲が良かったのだ。
聖なる乙女の力の一つに、触れている相手の悪意を感じ取るというものがある。だから、腹に一物抱えるような人物は元々彼女たちに近付こうとはしない。ソフィーも今、その能力でマクス様の腹のうちを探ろうとして、できなかったのだろう。
「それにしても、ソフィエル嬢はどうしてここに?」
お兄様の質問に、サロン・ラディアモル付近で私が目撃されたという話を聞いて、もしかしたら戻っているのかも、と思って会いに来たのだとソフィーは答える。
「一人なのか? 今日のようにお祭り騒ぎになっている街に護衛もなく出掛けるのは危険だと思うけど」
「私、人を探させられていまして」
メイドが持ってきたお茶を飲みながら、ソフィーは小さく息をはいた。
「実は私、昨日から聖女様の案内係を命じられているのですけど。ベアトリスの親友とわかっている私にそんなことを命じるなんて、国王様もなにを考えていらっしゃるのかしらね。聖女様が覚醒なさっていたのはおめでたいことですけど、その影で泣いている乙女がいるというのに」
「私、泣いてないわよ」
「しっかもあの聖女様、午前のお勤めのために神殿で祈りを捧げた後、ちょっと目を離した隙にいなくなってしまって。庭園にでも迷い込んでいるのかと思って探したのだけど、全然いなくて、もしかしたら街の喧騒に誘われて城を出て行ってしまったかもしれないという話で、今大捜索中なのよね。あぁ、聖女様が行方不明だなんて大事だから、誰にも言わないでくださいね?」
――そういえば、エミリオ様も聖女様を探しているとおっしゃっていたわね。
「昨日から見るもの見る物珍しいらしくて、質問攻めにされるわ、あちらこちらふらふらと興味を惹かれたところに行こうとするわで、あの聖女様はぁぁ!」
「ストレスが溜まっているようだねぇ」
苦笑いのお兄様がソフィーに茶菓子のマカロンを勧める。かりっと齧ったソフィーは、今度は大きく息をはいて私の肩に頭を乗せてきた。
「昨日1日でぐったりだわ。男爵家の令嬢ということだけど、彼女、幼い頃から体の弱い母親の静養のため、王都を離れて隣国の母方の実家で育っていたらしくて。だから聖なる乙女の素質があるか否かの診断も受けていなかったようね。父君からそろそろ結婚適齢期なのだから、という口実で最近こちらに呼び戻されたということだったわ」
「そんな子が、どうして聖女だという話になったんだい?」
「聖女様、ミレーナ・カレタスとおっしゃるのだけど」
「ああ、カレタス卿のところの。かの領地にはセラフィカの泉があるなぁ」
マクス様の言葉に、ソフィーは大きく頷く。
「それです。あろうことか森の中を散策している最中に汚れてしまった手を聖女の泉で洗おうとしたらしくて」
「それはそれは。だいぶユニークなご令嬢のようだ。ソフィエル嬢も大変なお役目を任されてしまったんだな」
お兄様は嫌味交じりな笑みを浮かべて小さく肩をすくめた。
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