第20話
ハッと飛び起きると、私はソファーに寝かされていた。あれからどれくらい時間が経ったのだろう。お母様は、まだ気絶しているようだ。
あの衝撃を受け止め切ったらしいお父様とお兄様は、マクス様と談笑している。しかも彼らの手元を見るに、そのネタは多分私の幼い頃の絵姿などではないだろうか。どれだけ娘が、妹が可愛いのかというお話で盛り上がるのは、恥ずかしいからやめていただきたいのだけど。
「失礼いたしました」
「気が付いたかい?」
優しく微笑んでくださるマクス様の耳はまだ尖っている。あれは幻ではなかった。私の旦那様は、エルフ族らしい。しかも本人の言葉を借りれば長。なんということだろう。
「それ、は。その耳は、変身魔法などではないのですか?」
「いや? これが私の本来の姿だな。今のこの国でこれを見たことがある人間は、国王と大司祭、それからあなた方だけだろうなぁ」
「マクス様は、本当にエルフでいらっしゃるんですか」
「あぁ。だからどの魔法も使えるんじゃないか」
どういうことです、と首を傾げた私に、お兄様が説明してくれる。
「ビーは妃候補だったから、暴発の可能性のある魔法には触れさせないようにしていたからね、知らなくても仕方がない。人間は、精霊たちから力を借りて魔法を発動させているんだ。だから、精霊との相性によって使える魔法が限られる。神聖魔法を使うための加護は愛の女神ヴェヌスタ直々に与えられるものだから、女神の加護持ちに他の精霊が上から加護を与えることはできない。だから神聖魔法だけは特別とされているんだね」
「はぁ……」
「でもエルフは、自然霊である精霊とは違って神の落とし子とされているんだよ。その身に魔法を使うためのエネルギーを持っている。精霊の力を借りなくても魔法を使えるんだ」
よくわからないという顔を隠せなかった私に、マクス様は笑って「そういうものだと思っていればいい」と適当なことを言う。マクス様の魔法に詠唱がなかったのも、精霊の力を借りる必要がないから、ということのようだ。
「エルフであるマクス様が塔のマスターということは、魔導師の中にはエルフ族の方もいらっしゃるということでしょうか?」
「いいや? 代々エルフの長が魔法を使う人間を管理するためにマスターとしているだけで、塔にいる魔導士たちの大半はただの人間だよ。多少エルフの血が混ざっている者もいなくはないが、そんなのは一握りだ」
ほーぉ、と開いた口が塞がらない。いくら妃教育で忙しかったとはいえ、私はあまりにもなにも知らな過ぎた。世間知らずっぷりが恥ずかしくなる。
「無学なせいで、そんなことも知りませんでした」
「もはや、塔のマスターがエルフだと覚えている人間は多くないよ。他にも忘れられていることは多い。昔からの言い伝えはいつしかただの物語となって人間たちに都合のいいように改変され、事実は忘れられていったのだろう。いや、しかしビーの父君は博学だな。この国の人間のほとんどが忘れてしまっているような事実をちゃんと把握している。こんな人間がいるとは思っていなかったぞ」
「私がではなく、我が家がというのが正しいでしょうね」
父は分厚い皮表紙の本を撫でた。
「これは我が家に代々伝わっているこの国の歴史をまとめたものなのです。ご先祖様が書かれたもので、まあどちらかといえばその当時の当主の日記のようなものなのですが……だからこそ、その時になにがあったのかが克明に描かれています。例えば、初代聖女様が、エルフの族長の妹だったこと――ですとか。てっきりそういう物語をつけたのかと思っていたのですが、これも事実だったのですね」
「ああ、初代聖女は私の祖先ってやつだな。つまりは、王家の血を引いているものには薄くではあるがエルフの血が流れている。ついでに言うのなら、女神ヴェヌスタの子がエルフ族の始祖だよ。私はヴェヌスタの直系の子孫ということになる」
――また旦那様の肩書が増えたわね……
ふぅっとまた意識が遠のきそうになる。
――マクス様、設定盛りすぎです!
我が家にそんな本が伝わっていたことも驚きだ。お母様がまだ気絶なさったままで良かったと心から思う。お兄様はその本を読んだことがあったらしく、家族の中ではお父様に続いて冷静だった。
ふと昨日の会話を思い出す。
「では、あの誓約書をヴェヌスタ様がお作りになったというお話も」
「事実だよ。女神お手製の誓約書だ。だから半端な扱いはできないと言ったじゃないか」
「この婚姻について、解消する際に交渉してくださるというのも」
「あぁ、直接話をしてくるよ。だからビーはなにも心配しなくていい」
ぐらっと眩暈がするのを、すんでのところで押し留める。平静を装って「そうなのですね」などと言いながらも、ドレスの下は変な汗でびっちょりと濡れていた。
――私、契約とはいえ、第二王子よりももっととんでもない地位の方と結婚してしまったのでは?
身分不相応どころじゃない。なんてことなの。
薄く淑女の笑みを浮かべたまま硬直した私を、お兄様は憐みのこもった目で見ていた。
マクス様についてもある程度の情報を持っていたらしいお父様は、契約結婚といえどシルヴェニア家と縁が出来たことを素直に喜んでいるようだった。アクルエストリアに所有権のある物や人間に対して手を出すことは、エルフ族と人間の間で取り交わされた契約によって禁止されているのだという。
「つまり、私が庇護下に置いた段階で、王家としてもビーを自分たちの好きなようにすることは出来なくなったということだ」
マクス様は誇らしげに言っているけれど、お兄様の「しかし、あの馬鹿王子はそんなものは関係なくビーに絡んできそうで不快ですね」という言葉に一斉に全員の口角が下がる。
「幼馴染なのだから近い関係だと変に解釈をして、これからもビーに自分の補佐をしてくれるように厚顔無恥にも言ってくる可能性が非常に高いですよね」
「そこだよなぁ」
マクス様も頬杖をついて溜息を漏らす。
私の元婚約者、この国の第二王子であるエミリオ・フォルティテュード様は、輝く金色の髪にサファイアのような深く澄んだ青色の瞳の整った容姿の好青年だ。外見が麗しいだけではなく、真面目に勉学に励み優秀な頭脳を発揮して貴族の子供たちが通う王立学院でもトップの成績を収めて卒業なさった。剣術にも長けていて、なによりも優しい心を持つ彼は国民の信頼を集め愛されている王子様、のはずだったのだけど。
「エミリオ様、王立学院を首席で卒業なさったのにどうして」
「勉学において優秀であるというのと、頭の良し悪しは関係ないよ」
「学問だけできる馬鹿というのは余計にタチが悪い」
私の呟きにマクス様とお兄様が同時に返事をしてくださる。それはそうかもしれないけれど、今までみんなからも尊敬されているエミリオ様の隣に並ぶのに相応しい淑女になるべく努力を続けていた身としては複雑な気持ちだった。
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