第18話
周囲が助けてくれるのが当然、だなんて、もっと幼いうちにそうではないと気付くものでしょうに。私だって、彼の妻になるという自覚があったら助力していただけで、男性であればともかく、婚約者という立場だった女が、その地位を追われてなお自分のために尽力してくれると本気で思っているのだとしたら――
――お馬鹿すぎる!
挨拶回りが面倒だから手伝ってくれ、と押しかけてきたということか。王子の姿が見えなくなったから、オリバー様も街まで出て捜索していらしたということか。脱力して椅子に座り込めば、私が落ち着いたのだと思ったらしい。
「ビー、手伝ってくれないか」
「私、もうエミリオ様の婚約者ではないのですが……」
なんとかそれだけを絞り出す。
「でも、今回の件の関係者だよね?」
「私が、王城に上がる理由はもうございませんので、それは無理です」
「なにを言ってるんだ、僕とビーの仲じゃないか」
どんな仲ですか。あるとしてただの幼馴染です。
元婚約者がずっと近くにいるなんて、どう考えてもおかしいでしょうに。いつまでも王子の隣に居座っていたら、未練があると思われるじゃないですか。
第一、あなたはもう聖女様と婚約なさるのだから、昔の女とこうやって会っているのは問題行為でしょう!
言いたいことは山とある。しかし、これは私が直に指摘しなければいけないことなの? ともやもやする。もう成人しているいい大人なのだから、これくらい当然ご自分で気付くべきことだ。
「それに……申し訳ございませんエミリオ様。私、もうエミリオ様の婚約者ではなく、今後あなたと添い遂げることはなくなりました。ですので、愛称で呼ぶのもおやめいただけますか」
この距離感が問題だ。まずは、他人だと自覚させなくてはいけない。
「婚約者じゃないにしても、どうして幼馴染の呼び方を変える必要があるのかな?」
「……近しい女の存在なんて、次の婚約者様が良い思いをされないでしょう?」
「ああ、ミレーナ嬢が許可をくれたらいいんだね、わかったよ。大丈夫、彼女は聖女だし慈愛の精神に満ち溢れているはずだ。きっと許してくれるよ」
そうじゃありません、と否定するのも疲れる。
相手が聖女だとかそうじゃないとかは今は問題ではない。相手の心が広いとか狭いとか、寛容だからとかそういうもの関係ない。どんな顔をして「昔の婚約者をずっと仇名で呼んで、近くに置いて王がやるべき仕事を手伝わせてもいいかい?」なんて言うつもりなんだろうか、この方は。
聖女様が彼の妃になるのなら、今まで私がしてきた仕事は全部聖女様のお仕事となる。妃としてだけではなく聖女としてのお役目もある以上、どうしても他の者を妃にした時よりもエミリオ様の負担は増えるだろう。しかし、それも仕方のないことだ。本来は王子が一人でやるべきものを手伝っていたのだ。元の仕事量に戻ったと思えばいいだけの話。
お話にならないわね、と冷めた気持ちで紅茶を飲み、そこでやっとこの状況の異様さに気付いた。
「お茶を飲んでいる場合ではありません!」
ここでこうやって話をしている場合ではなかった。私はもう一度立ち上がってエミリオ様を睨む。
「王城では、エミリオ様を探して今頃大騒ぎになっているのではないですか?」
「なってないと思うな」
「そんなわけ――」
「その前に、ミレーナがいなくなって大騒ぎになっていたから」
「……は?」
「午前中、大司祭と祈りを捧げに行った後、お昼を食べる前に姿が見えなくなってね。皆で探してるんだ。だから僕も、ミレーナを探す名目で今ここに来てる」
「………………」
なんなの、それは。
私は血の気が引いていくのを感じる。
「なにをのんびりなさっているんですか、エミリオ様! もし、もし聖女様が他の国に攫われでもしていたらどうするおつもりですか! 早く探さなくては……っ」
今、この国には他国からの使者がたくさん来ている。聖女を自分の国へ招こうとしたり、考え方によってはこの国を栄えさせるという言い伝えのある聖女を亡き者にしようとする国だってあるかもしれない。しかし蒼白になった私に対して、まだエミリオさまは悠長なものだった。
「そんな心配はいらないだろう? 聖女ヴェヌスタの加護を強く受けているんだ。そう簡単には危険な目には合わないよ」
「聖女様は! 聖女であるという以外はなんの力も持たないか弱い乙女なのですよ!? 暴漢に襲われたら、女神の加護があるとはいえ無事で済むとは限りません。聖女である前にうら若き一人の女性であると認識を改めてくださいませ、エミリオ様!」
さっさと探しに行ってください、という私の剣幕に驚いたのか、エミリオ様は立ち上がると「またね」と寝言を言いながら部屋を出ていく。それからすぐに王家の紋章のついた馬車が門から出ていくのが見えた。
「はぁ……」
溜息をつきながら階下に降りていくと、エミリオ様を見送ったらしいお父様とお母さまが疲れた顔で立っていた。
「ああ、ビー……なんというか、もう……」
「お父様、なにもおっしゃらなくて大丈夫ですわ。私、今初めて、婚約破棄になって良かったと思っておりますの」
「私たちも同じ思いだよ。あれは、きっと結婚したらビーが苦労していた」
よしよし、と頭を撫でてくれる父に弱い笑みを返す。
「明るくて純粋で大らかな方だと思っていたが、頭の中まで大らかすぎるとは思っていなかったぞ、あの阿呆王子めが。しかしビーが苦労することがないのなら不幸中の幸いだ」
ぼそっと呟いたお兄様に少し非難するような視線を向けたものの、お母様もなにも言わない。どうやら家族揃って気持ちは同じようだ。揃って溜息をついていると、応接間からマクス様が顔を出された。
「王子が帰ったのなら、こちらの話をしてもいいかい?」
ご苦労様、と苦笑いを浮かべたマクス様に、両親も兄も同じような笑みを浮かべた。
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