第17話
「ノルティス殿、ここの支払いは私がすると言っているじゃないか」
「いえいえ、シルヴェニア卿。僕たちの都合で着替えてもらうのですから、こちらが出しますよ」
「ははッ、遠慮はするな。妻のドレスを夫が買うのは当然だろう?」
「っ、つ、つま……いえ! しかしビーは僕の妹で」
「ノルティス殿はもう何年も彼女を甘やかしてきたのではないか? これからはそういう役目は夫である私にやらせていただきたい」
どうも、私のドレス代を誰が支払うかで揉めているようだ。
「夫人、後ほど私がお支払いいたしますわ」
「ええ、どなたであってもお支払いいただけるのならうちは構いませんわ。それに、あの問答はいつまでも終わらなさそうですしね」
少し呆れた様子の夫人から、取られている予約の隙間に無理矢理に突然の訪問を捻じ込んだのだから、早く帰ってくれないと次の令嬢がいらしてしまう、とサロンから追い出される。申し訳ありません、と言った私に、夫人は「お幸せに、ベアトリス嬢」と微笑んだ。
夫人には、今の二人の言い争いのせいで私とマクス様の婚姻について気付かれてしまった。仕事の信用にかかわるから、あの場で知りえた情報を夫人や従業員が口外することはないのが救いだ。それにしても、婚約破棄されたその日か翌日に結婚するなんて、と呆れられはしなかっただろうか。
馬車の中でもどちらが支払うかでまだ問答を続けている二人に
「私がお支払するお約束はしてきたので、そのような言い争いは不要です」
と突きつければ、揃って情けない顔になる。どうしてそこまでドレスを贈りたいのだかわからない。そうこうしている間に馬車は実家に辿り着く。正面ではなく裏口に通され、使用人たちから涙ながらに迎えられる。
「あの、私別に不幸になったわけではないからそんなに悲しまないで?」
なぜかこちらが彼らを宥める始末だ。
家に戻ったついでに、アクルエストリアへ持っていきたいものがあったら運べるようにしておけばいい、とマクス様に言われて一度部屋に戻る。王城へは、エミリオ様からいただいたいくつかの装飾品以外、持っていくことを許されなかった。いいえ、妃教育を受けていた時に使っていた部屋の私物だけは、あそこに置くことを許されていたけれど、それ以外は全部王室が用意するといわれていて、実家から持ち出したものはなかった。本当は持っていきたかった大切な本や小物をまとめてもらう。それから、いくつかのお気に入りのドレスも持っていくことにする。
――二度とここに戻ってこないわけではないものね。
2年すれば戻る予定だ。あれこれたくさん持っていく必要はない。すぐに荷造りを終え、お父様とお母様に挨拶をしようと部屋を出ようとしたところで
「ああ、ビー。なんだ、まだここにいたんじゃないか」
エミリオ様と鉢合わせた。
やっぱりいた、と思うと同時に、なにをしているのだこの方は、と大きな疑問が生じる。
どこから尋ねればいいのか迷っているうちに、慣れた様子でエミリオ様はメイドたちに命じてお茶を持ってこさせる。そして、以前からしていたようにテラスの椅子に向かい合って腰かけると、優雅にお茶を飲み始めた。
「そうではありません!」
「なにがだい?」
淑女の嗜みも忘れてテーブルに手をついて立ち上がった私に、エミリオ様は優しい笑みを浮かべて小首を傾げてみせる。この方、本気でなにがいけないのかわかっていらっしゃらない様子だ。
「どうしてここにいらっしゃるんですか、エミリオ様」
「うーん、ちょっと昨日から歓迎会への出席だけではなくて挨拶回りも一人でさせられていて、ついでに聖女との絆を結ぶ儀式までやると言われてねぇ。誰もが祝ってくれるのは嬉しいのだけれど、疲れてしまって」
――疲れてしまって、ではないでしょう。それが王族の仕事でしょうに。
呆れて声も出ない。
一人でさせられて、もなにも、聖女は彼の配偶者でもなければまだ婚約者でもない。彼のためにはるばる来てくださった各国からの使いに彼が謝罪とお礼をするのは当然のことだ。国王様も一緒にいらっしゃったのだろうけれど、今回の主役はエミリオ様なのだ。ただ座っているわけにはいかない。
私がいれば、少しは手分けもできたかもしれない。お手伝いできたかもしれない。でも、私はもう彼の婚約者ではないのだ。その場に同席するのは間違っている。これは、彼がすべき仕事だ。
「ビーも手伝ってくれよ」
「なぜ、私が」
「だって、彼らは僕とビーのお祝いに来てくれたんだろう? だったら、ビーにだってこの件についての説明責任があると思うんだ」
――ないわよ。
一方的に王室の規則にのっとって婚約破棄された元婚約者が、その場にどんな顔をしていればいいと思っているのか。どんな立場でそこにいろと言っているのか。
彼は、自分の発言がおかしいとは思っていないのだろうか。
――思っていないわね。
昔から「僕が困っていると、いつもビーが手伝ってくれるから助かっているよ」が口癖のような方だった。私が彼のサポートをしていたのが、婚約者という立場だったからだ、ということは理解していないのかもしれない。ご親友方と同じく、将来に渡ってどんなことがあっても彼を支えるべくそこにいて、手を貸しているのだと思っていたのかもしれない。
――少し大らかすぎる部分があるとは思っていましたけど、もしかしてこの方……
天然ではなくて、とんでもない阿呆だったのでは……?
今になって元婚約者の本性に気付いた私は、愕然としてしまった。
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