第15話

 昼食にマクス様が選んだのは、腸詰肉が固めのパンに挟まれているものだった。

 かぶりついて食べるのだと言われても、こんな公衆の面前で大きな口を開けて食べるのは恥ずかしい。どうしたものかと悩んでいると、ご自分はがぶっと大きな口を開けてパンに噛り付いたマクス様は、包み紙をしっかり押さえておくようにと言ってから私のパンの上でちょいちょいと指を動かす。一瞬で手の中のパンが一口大に切られた状態になる。

 ――凄いわ。これも魔法なのよね。

 身近に魔導師などいなかったから、見事に生活の中で使いこなされているそれらに驚き目を見開くばかりだ。


「それくらいの大きさなら口に入るかい?」

「ありがとうございます」


 先ほどまでよりも小さいけれど、私の口には少しだけ大きい。でも心遣いを無駄にしてはいけない。意を決して大きく口を開けてパンと腸詰肉を一緒に噛む。途端に掌に肉汁が飛ぶ。慌てふためく私にハンカチを渡したマクス様が、続けて私の唇の横を撫でる。

 なにかしら、と思えば、彼は指先についているソースをあろうことか――舐めた。


「っ!?」

「はははッ! これしきでそんな凄い顔をしなくてもいいじゃないか」


 軽やかに笑っているけれど、これは笑い事ではない。

 ――な、なんて破廉恥な……!

 少なくとも、人前でやっていいものではない。いいえ、二人きりでもしていいものではない。

 汗が吹き出しそうになるのを理性で堪え、小さく咳払いをして見なかったことにする。


「これくらい、平民の恋人同士なら普通にやるぞ?」

「そんなこと知りません!」

「ははッ、本当に初心で愛らしいな、ビーは」


 私が世間知らずだからからかわれているのだろうか。ちょっとだけムッとして軽く睨むと、マクス様は眩しいものでも見るように目を細めた。


「昨日の夜から騒ぎ続けていれば今も酔っているものが多いだろうな。そういうのに絡まれないように、私から離れてはいけないよ」


 食事を終え、もう少しだけ買い物をしようと歩き出してすぐに言われていたにも関わらず、マクス様がなにかを見つけて気を逸らしたのとタイミングを同じく、私も若い娘向けだろう小物屋を見つけて足を止めてしまった。


「わぁ、綺麗」


 ほぅ、と溜息をつく。

 店頭に並んでいるのは、七色に輝く模様のついた、不思議な黒をベースにした髪飾りだった。


「これはなんですか?」


 店番をしていた女性に聞けば、健康的に日焼けした彼女は気持ちの良い笑顔で答えてくれる。


「これはね、貝殻を加工してあるものなんだよ。この光っているところは貝殻でできているのよ」

「へぇ……こういうのは初めて見ました」


 綺麗……と見惚れていると、最初に眺めていたものと似たような雰囲気を持つデザインのものを次々と並べられる。これは完全に美味しい客として完全に狙いを定められてしまったようだ。聖女様の降臨記念でまとめて買ったら安くするよ、などという言葉にも、私をこのまま放さないという意思が見える。

 実家に戻れば、部屋に置いていきっぱなしの物の中に財布もあるから支払えるのだけど、今手持ちはまったくない。マクス様から少しお金をお借りできないかしら、と顔を上げて、そこでやっとマクス様とはぐれてしまったことに気付く。

 ――迷子になってしまったの? 私。

 

 外出時には幼い頃からいつも誰かがすぐ近くにいてくれたから、どこであっても一人きりになってしまった経験などない。心細くなり、動揺しながら、でも不審に思われないようになんとか平静を保つ。


「あの、今私お金を持っていなくて。今その、一緒に来ている人とはぐれてしまったので見つかるまで少し待ってくださいますか?」

「そうなのかい? 取り置きは市が閉まるまでだよ」

「はい。申し訳ございません」


 選んだアクセサリーを取っておいてもらう交渉まではできたものの、実家名やマクス様のお名前を出して、後でお支払いしますからお品物だけいただいていきます、などというよくあるやり取りがこの場では通用しないというくらいの知識はある。

 マクス様を探したいけれども、どこに行ったら良いのかもわからない。下手に動くと余計に迷ってしまいそうで、結局店の前から動けなくなる。そんな私を見て、お店の人から「ここで待ち合わせをしているのかい?」と聞かれるがあいまいな笑みを浮かべることしかできない。

 かといっていつまでも店頭に立ち尽くしているのもご迷惑になる。

 どうしたものか、と途方に暮れていると


「お困りのようですね。では、それは今日の出会いの記念にぼくからプレゼントしましょうか」

「え?」


 背後から耳元を覗き込んでいるような距離で掛けられた声に振り返れば、そこには見知った顔が立っていた。

 にこやかな表情を浮かべているその男性は、エミリオ様のご親友でもあるオリバー・グラティア様。ディウィナエ教司祭長のご子息だった。


 ――どうしてこんなところにいらっしゃるの?

 彼は平日の昼間であれば基本的にエミリオ様から離れることはない。今日は日曜日だけれど、昨日エミリオ様の妻となるはずの聖女様が現れたばかりという状況を考えれば、ここにいるのはおかしい。まだ王城での聖女に関する行事や儀式が山とあるはずで、ふらふら遊んでいる時間などないはずだ。

 いかにも人の好さそうな穏やかな雰囲気をまとっているオリバー様だけど、その実エミリオ様のご親友方の中では一番の遊び人という噂もある。実際にそういう場面を目にしたわけではないが、エミリオ様との婚約関係が解消された今、王族側に近い存在として注意をしなければいけない人物の一人だった。

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