第14話

「おぉ、いいな。どこだ?」


 パンを千切ってこちらを見たマクス様に、笑顔を向ける。


「朝市に行ってみたいです。今日は日曜ですよね。昼過ぎまで市場が出ていると聞いたことがあります。私、市場に行ってみたいです」


 公爵令嬢という立場上、そのような市井の様子を肌で感じたことは多くない。実家にいたなら許されなかっただろう市場散策も、この状況なら許してもらえるかもしれない。

 しかし、私の行きたい場所を聞いたマクス様は少し渋い顔をした。

 ――やっぱり、貴族という立場上簡単には許してもらえないのね。

 残念なような、仕方ないと諦めのような気持ちで桃をフォークに刺す。ところが、マクス様の口から出たのは予想外の言葉だった。


「うーん……だが、街はきっと聖女の話で盛り上がっているぞ? そんな話は聞きたくないだろう? きっと気分が良くない。私はビーに楽しんでもらいたいのに嫌な思いをする可能性の高い場所に連れて行くのは――」

「気にしません! 待ち望まれていた聖女様ですもの、街がお祭りのようになっているのなら、もっと自分の目で直接見てみたいです」


 聖女が現れてみんなが喜ぶのは当然のことなのだ。それに今は、まだ誰もが聖女様に夢中で私のことについて噂をする余裕はないだろう。ただお祭り騒ぎになっているだけの王都であるのなら、それを他人事のように眺めてみるのもいい。私の気持ちを慮っての逡巡だったと知って、その心遣いに嬉しくなる。


「駄目ですか?」

「うぅっ、そんな可愛らしい顔でおねだりをされるとなにがなんでも叶えてやりたくなってしまうな」


 唸りながらスープに浸したパンを齧ったマクス様が、部屋の入口に控えていたコレウスに視線をやる。それだけで通じるものがあったようで、頭を下げたコレウスが下がる。


「聖女の存在を気にしないというのなら、強く拒否する理由もない。しかしその目と髪の色は目立つからなぁ、少し変えさせてもらうぞ」


 食事をしながら、マクス様が指を鳴らす。視界に入っている私の髪の毛が、マルベリーのような暗い赤紫から藁色に変わっていく。アミカの持ってきた鏡を覗けば、瞳の色も金から若草色になっていた。


「この色は、昨日の……」

「あぁ。私とお揃いだ。顔を変えなくとも、髪と瞳の色が違うだけで存外に人は気付かないものだからなぁ。これに金持ちの平民のような格好でもすれば、変装は完璧だ」

「マクス様が一緒に行ってくださるのですか?」


 あれだけいろんな肩書を持っているのなら想像もできないくらいお忙しいのだろうし無理に付き合ってくださらなくても良いのに、と思ったのだけど、どうやら私にとっては初の市場体験というだけのつもりだったこの外出は、彼にとっては意味が違ったらしい。


「可愛い妻とのデートの機会を逃す夫がどこにいるんだ。それに、そこら辺のを護衛につけるよりも私に守られていた方が安全だと思うが?」

「でも」

「でも、が多い。ついでにビーのご家族とも話をさせていただくことにしよう。ここまでご足労いただくのも申し訳ない。食事が終わったら着替えてすぐに出発しよう。ああいうのは早い方が品物も多いからな」


 先に食事を終わらせたマクス様は「昼は要らない」と厨房に告げるように命じて先に準備をしに行かれたようだ。あまりゆっくりしていては市場に滞在する時間が短くなってしまう。朝食の残りを急いで食べているとクララとアミカが町娘が着ているようなワンピースを何着も持ってきた。


「お洋服だけ先に決めてしまいましょう!」

「町娘は足を出すことも多いのですけれども、ベアトリス様は抵抗がおありですよね。なので長めのスカートのものをご用意いたしました」

「どれもお似合いになると思いますけど、今は金髪に近い髪色ですし、普段選ばれないようなものをお召しになるのも良いかもしれませんね」

 

 このような色はあまり選ばれないですか? とクララが出してきたのは、オレンジ色のワンピースだった。そのような色合いは昔から着たことがない。


「似合うかしら」


 あまりにも明るい色合いに、いつもはもっと落ち着いた色が多いだけに慣れていなくて不安になる。


「奥様はお綺麗ですしなんでもお似合いになりますよぅ!」

「私も、お似合いになると思います」


 二人から迷いなく頷かれ「変装なんですから、いつもとは違うイメージで行きましょう」満面の笑みのクララにまたしても押し切られた私は、朝食後すぐに町娘のように見えるメイクと髪型にしてもらって玄関へと急いだ。


「おや、そのような格好だと昨日よりも幼く見えるな」


 おさげ髪の私を見て、マクス様は目を細める。

 金持ちな平民風に見えるような服を用意したのだろう。玄関で待っていたマクス様も、平民が購入するにしては少々上質な気もする柔らかな綿の生成り色のシャツとそれよりも濃い色合いの緩いズボン、革のベルト、ショートブーツを身に着け、長い髪をポニーテールにしていた。

 格好だけ見れば確かにそのような装いの男は平民にもいる。しかし彼の顔立ちを前にしては「平凡とは?」と軽く小一時間問い詰めたくなるほどに質素な装いなど無意味だった。どう見ても気品が溢れている。私自身も少々無理があると思っていたのだけど、それ以上に無理がある。


「マクス様は、そのキラキラした空気は消せないのですか?」

「キラキラ?」

「どう見ても平民には見えません。お忍びの貴族か、有名俳優か、そのように見えて仕方がありません」

「ははッ、俳優か。なるほど、それはいいな」


 腕にかけていたローブを羽織ってフードを深くかぶれば、余計に特別な人が変装している感が増す。


「これでビーよりも私の方に視線が集まるということになる。うん、それならこの格好で行こう。まぁどっちにしろ、聖女の降臨に沸いている人々は珍しい顔がいたところで気にしないよ」


 自然な流れで差し出された腕に自らの腕を絡めたところで、この腕の組み方はどう見ても平民ではないのでは? と気付く。ハッとして手を離せば、顔をそむけたマクス様は明らかに笑っていた。


「ビーは仕草に気を付ける必要があるな。行動の端々から淑女らしさが滲んでしまう」

「そう言われましても」

「あぁ、身についている仕草を簡単にやめることはできない。だから、こうだ」


 ぐっといきなり腰を抱かれる。驚いて見上げれば、にんまり顔のマクス様が「平民の恋人同士というのは、こうやって体を密着させた状態で歩くようだぞ。これも貴族に見えぬための演技だ」とどこまで本気かわからないことを言い出す。


「旦那様、遊んでいるうちに目当てのものがなくなってしまいますよ」


 コレウスの呆れを隠さない声に押され、ご機嫌なマクス様と私はいざ市場へと向かったのだった。

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