第12話
そういえば幼い頃には魔法使いに憧れたこともあったわね、と昔のことを思い出す。そんなことを口にする間もなくエミリオ様の婚約者となり、淑女として、第二王子の妃として恥ずかしくない振る舞いをできるように教育が始まった日々は、苦しくもあったが今となれば懐かしいものだ。
「新婚初夜だとか変なことを考えたな、あいつら。まったく。あんなのがあったら気まずいじゃないか」
しなくていいのですか? と確認したいけれど、そういう問い掛けをしては、まるでこちらが求めているように聞こえるかもしれない。婚姻関係を結んでいる間に子を産んでほしいという話もないようだ。だったら、私にはなにが返せるというのだろう。なにを求められるのだろう。
この雰囲気では、マクス様は公爵家に対してもなにも見返りを求めてはいないのだと思われる。地位も名誉も既にその手中にある方だ。お金にも困ってはいまい。
しかし、なにも求められないというのも不安になる。そんな気持ちに気付いたのか、優しい笑みを浮かべたマクス様はゆっくりと私の頭を撫でた。
「私がビーに求めるのは、この2年間を心から楽しんでほしいということだけだ。行きたいところがあれば連れて行ってやろう。食べたいものがあれば作らせるし、取り寄せる。見たいものやしたいことがあるのなら、なんでも遠慮なく言えばいい。私なら大抵のことは叶えてやれる」
「なんでも、私のしたいことをしていいとおっしゃるんですか?」
そんなの、なおさら意味が分からない。マクス様は私になにを求めているのだろう。
「しかし、そんな一方的に与えられるばかりでは夫婦とは言えないと思います。仮であっても、私はこれからの2年間あなたの妻なのですから」
「若い娘にとって貴重な2年間を、私の隣にいることに使ってもらえるというだけで十分だ。今まで誰かを甘やかしたことなどないからなぁ。蝶よ花よと育てられてきたのだろうし、あなたはそういうのに慣れているかもしれないが、私は初めてだ。世の愛妻家のような気分を味わわせて貰えたら満足だよ。それに」
にまぁっと笑った彼は、先ほどまでの穏やかな様子とは異なり、どこか悪戯っ子のような顔で。
「なによりも、この私を配下に置こうと必死になっていた王室を出し抜いてやれたんだ。はははッ! コレに気付いた時、あいつらどんな顔をするか楽しみなものだよ」
上機嫌な顔で一気にグラスを空にしたマクス様は手酌でもう1杯注ぐと、それを揺らしながら私にウィンクしてみせた。
「ここ、アクルエストリア城は王家の手の届かない場所だ。物理的にも、契約としてもだな。彼らが私のものに手出しをすることは許されていない。『結婚式当日の婚約破棄命令にショックを受け、倒れてしまったベアトリス嬢の心の傷が癒えるまで世俗的なものから隔離する』という名目でしばらくはここに滞在することになったとご両親からは皆に伝えてもらうことになっている。夫婦になったというのは伏せておいて、あいつらの反応を楽しみに待とうじゃないか」
くくくっと喉の奥で笑って、マクス様は長い髪をかきあげてまた意地の悪い笑みを浮かべる。まあなんというか、本当に楽しそうだ。王家、というよりも、国王の鼻を明かしてやったということにご機嫌な様子だ。
――少々強引な部分はあるけれど、そんなに国王様から嫌なことをされていたのかしら、マクス様は。
彼と同じような気分にはなれないまま、私は複雑な思いを抱きながらミルクを入れた紅茶を飲んだ。
「聖女の歓迎会とはいえ、ビーがどうなったか気にしている噂好きの貴婦人は多いはずだ。ふははッ、どんな噂話になるか楽しみでしょうがないな?」
「私は、噂話の主役になるのは遠慮したいものですわ。王子と結婚しなくて良くなったのなら、心穏やかに余生は過ごしたいです」
「余生って、そんな年じゃないだろうに」
知らないところである話もない話もされることには慣れている。慣れているが、それを快く「立場上仕方ないですわ」などと受け入れるほどに心も広くない。
つい、眉間にしわが寄る。小さくカップに向けて呟いた私を見ていたマクス様がまた笑い出す。
この方、だいぶ笑い上戸でいらっしゃるようで、先ほどから私のなんでもない一言一言に面白そうな顔をなさるのだ。
「まぁ、悪いようにはならないから、安心してここにいなさい」
ぽんぽん、と頭を撫でてくる様子は、小さな子供を宥める大人のようだ。子供扱いなさらないでください、と言いたいところだがここでそんな生意気な口もきけまい。黙ってしまった私を覗き込んだマクス様は、少し考えるような仕草で首を傾けた。
「それで。ビーはなにかやってみたいことはないのかい? どんどん甘えてくれ。私は甘えられたいぞ」
と、キラキラした目で言われてもすぐに思いつくものはない。強いて言えば。
「……しばらく、社交界に顔を出したくはないです。話を聞かせろと囲まれるのは疲れますから」
「それはそうだな。そもそも私は夜会などにも数年に1度くらいしか顔を出さないから、ビーが私の夫人として顔を出さなければいけないなんてことは、ないんじゃないかな」
「そうなのですか」
「うん。私の妻だと名乗る機会はないだろう。まぁ、なにか思いついたら、誰かに伝えてくれてもいいし、私に直接言ってくれても構わないよ」
「ありがとうございます」
お礼を述べた私に微笑みかけたマクス様は立ち上がるとゆっくりと歩いて行ってベッドに腰掛けた。
「いや。どんなお願いをされるのか楽しみにしているよ。では、今日はそろそろ寝ようか。朝から準備をしていたのだろう? 顔に少し疲れが出ているように見える」
こっちへおいで、と誘われて、一気に顔が熱くなる。
――さっき、そういうことはしなくていいと言ってくださったはずでは? なのに、なにを考えていらっしゃるの?
手は出さないけれど、共寝はしなければいけないのかしら。ドキドキする胸を抑えられず、私は胸元で両手を組んだ。
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