第11話

 お口に合うと良いのですが、と挨拶に出てきてくれたコック長がキーブスと名乗る。旦那様の好みに合わせてここの食事は薄味に作っているから若者には物足りないかもしれない、と言うのだけれど、なかなかどうして素材の味を感じられて口の中いっぱいに幸福の広がる味だ。


「美味しい……幸せになるお味だわ。こんなに美味しいお食事をいつも召し上がっているんですね、マクス様は」


 そんな感想を漏らした私に、キーブスは安心したように笑って厨房へ戻っていった。


「それにしても、今日はご苦労だったね。ご家族にはこの件について簡単に説明をして、もう了承はもらったから心配しなくていい」


 随分と早く聖女の歓迎会に出席しているはずの両親と接触できたものだ。どのような手で? と思いはするが、魔導師であるなら私の思いもつかない方法で連絡することもできるのだろう。

 ――それにしても、王子に捨てられたはずの娘が即日辺境伯であって元大司祭様で現魔導師の塔のマスター、天空城の王でもあるという方の妻となったなどと知らされたら、母などは卒倒しそうなものだけど。無事だったのかしら。

 こうやってマクス様について並べていると、物語の中に出てきたら設定を盛りすぎていると作者に苦情の一つでも入れたくなるような人物だ。しかし先ほどメイドたちにさり気なく確認したところ、彼女たちも主人の経歴について同じことを言っていたから、ホラを吹かれているわけではないようだ。少なくとも、王族の婚姻の儀を引き受けた教会にとって、大司祭の代理を任せられる人物であることに変わりはない。とんでもない肩書を多々持っている当のマクス様には、高圧的なところも嫌味なところもなく、改めてこうやって向かい合ってみると、なんだか不思議な雰囲気の方だった。

 ――私に幼い頃洗礼を与えてくださったというけど、マクス様って本当においくつなの?

 どう見ても、やっぱり30代前半にしか見えない。どんなに年上に見積もっても、外見だけで言えば30代半ば。素性が知れない。

 そんな人と出会って即日結婚してしまっている私も、やっぱり今日は動揺していてマトモではなかったのだわ、と落ち着いてみればとんでもない状況に置かれてしまったという実感がわいてくる。


「お手数おかけしました。ありがとうございます。あの、両親や兄はなにか言っていましたか?」


 家族はこの状況をどう思っているのだろうか。質問すれば、彼はゆるりと笑う。


「いや? 特にはなにも。宜しくお願いします、という一言だけを預かってきたようだ。明日以降、予定を合わせて詳細は説明することになっている、んだが……あー、えー……ベアトリス嬢」

「はい」

「その、呼び名をだな、あー……私はなんと、あなたを呼べば良いのか、と」


 ベアトリスというのは少々長いということ?

 愛称というのなら――


「家族や親しい友人からはビーと呼ばれていますが、どうぞお好きなようにお呼びくださいませ」

「おや。私もそう呼んで良いのかな? 家族が呼べる名なのだろうに」

「私は既に、マクス様とお呼びしているのですが?」

「ははッ、そうか。そうだな、うん。では、ビー?」

「はい、マクス様」

「……っ、ふ……」


 そんなにくすぐったそうに笑われると、見ているこちらまで気恥ずかしさで落ち着かなくなる。妙に甘い空気に、こういう雰囲気に慣れていない私は落ち着きがなくなってしまう。お茶を飲んで気持ちを落ち着かせようとすれば、そのカップの紋章に目が行った。空気を誤魔化すように、これ幸いと話題を変える。


「これは、幻獣のペガサスですよね。天空島のシンボルと聞いて育ちました」

「ああ、それなら実物が裏庭にいるぞ」

「……へ?」


 淑女らしからぬ間抜けな声が出る。


「だから、裏庭にいるんだ、それが」

「この城の裏庭に、幻獣であるペガサスが?」


 もうなにを聞いても驚かない、と思っていたのだが、まだまだ甘かったらしい。信じられない言葉がまたマクス様の口から飛び出た。


「今日はもう暗いから、明日にでも案内させよう。きっと彼らもビーのことを気に入ってくれるはずだ」

「飼っている……の、ですか?」

「いいや? 勝手に住み着いているから仕方なく世話をしている、というのが正しいなぁ」


 仕方なく。

 幻獣を?


 パチパチと瞬きする私にくすりと笑ったマクス様は、私にデザートをすすめながらもご自分はお酒を飲んでいる。あまり甘いものはお好きでないのかもしれなかった。


 食後、少し話をできるかと聞かれ、マクス様についていけばそこは夫婦の寝室だった。

 いきなりの展開にどぎまぎしつつ、婚姻関係なのだからそういうことがあってもおかしくはないし、なによりも私のために身を差し出してくださったマクス様にお返しできるものなど多くないのだから、求められたらお受けするのは当然のことで――などとまたグルグル考えていると「こっちにおいで」と手招かれた。

 入口で立ち尽くしてた私は、マクス様に呼ばれて大きなソファーに並んで腰掛ける。軽く膝を開いて座った彼は、膝に肘をついて頬杖のポーズで緊張を隠しきれない私と視線を合わせてきた。


「まず、私たちはヴェヌスタの怒りを買うことを避けるために、形式上婚姻関係を結んだに過ぎない。最低でも2年。ヴェヌスタからの許可がもらえなければ期間は延長される可能性があるが、まあ私が申請すれば大丈夫だろう。事前に状況も説明しておくつもりだ。だから、ずっとこのまま契約結婚したままかもしれない、なんて心配はしなくていい」


 わかっています、と頷けば、マクス様は用意されていたグラスにワインを注いだ。


「ただし、私はこの期間最愛の妻としてあなたを扱うよ。これは私の主義のようなものだな。書面上の妻だからと言って、適当に扱うつもりはない。だが、そちらからも同じだけの愛を返してくれとは言わないから、それも安心してほしい。あなたの嫌がることはしないと誓おう。例えば、先ほどビーがアレを見て想像したようなことだとか、な」


 マクス様は長い指で天蓋付きのベッドを指差す。そこには、薔薇の花弁が撒かれていた。彼が指をくるくる回せば小さなつむじ風のようなものが吹いて花弁を一つの山にして、キュルッ、という音と共に跡形もなく消える。

 ――ああ、これも魔法だわ。

 間違いなく、なにかの魔法を使っていらっしゃるのだけど、どれもが呪文を唱えられることがないからどのような法則で成り立っているものなのやら、無勉強な私には想像もつかなかった。

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