第10話
曲がりくねっている道とその両脇に生い茂っている林のせいで、あっという間にコレウスの後姿は見えなくなる。
それにしても、この森はどこの森なのだろう。両脇に生えている樹木は今まで見たことのない花をつけていた。
――国の南方にでも来たのかしら。なんとなく、そんな雰囲気の花に見えるけれど。
さっきのは転移魔法だ。以前も受けたことがあるので、あの感覚には覚えがある。それにしても上位の魔導士しか使えない転移魔法を、しかも無詠唱で発動させるだなんてマクシミリアン様はよほど優秀でいらっしゃるのだろう。
「普段はもっと落ち着いたやつなんだが、今日はなにやら様子がおかしいな」
「誰でも、急に花嫁を連れて帰ってきたら驚くと思います」
「普段あれだけ結婚しろ、はやく花嫁の世話をさせろと言ってきていたのに? 言っていることが矛盾している」
「物事には順番というものがあるんですよ、マクシミリアン様。通常でしたら、まずは交際なり婚姻を申し込むところからです」
「ふむ」
そういうものか、と呟いたマクシミリアン様が納得しているようには見えなかったけれど、私は目の前に広がった光景に思考停止状態に陥ってしまいそれ以上言葉を続けられなくなってしまっていた。
キラキラと光を受けて輝いている真っ白なお城。磨き上げられた白磁のようなそれの後ろに、かすむように見えているのは高い塔。掲げられている旗に印されたその紋章は、天空を駆けるペガサス。それは魔導師の塔のシンボルのはず。
魔導師の塔、といえば、魔導師協会の本拠地で、選ばれた人しか訪れることが許されない場所。国王様であっても、マスターの許可がなければ招いてもらえない。
そんな場所に「ただいま」と言って帰ってくるということは。
「あの、マクシミリアン様」
「その呼び方では長いだろう? マクスで構わないよ」
「マクス様」
「なんだい?」
「ここ、は……どこなのでしょうか」
家に帰ると言われはしたが、私の実家に戻るという意味ではないだろうと思ってはいた。実家の使用人たちが口さがなく噂話などするとは思えないけれど、憐れまれるのもストレスになる。結婚した以上、マクス様のお家で生活することになることは理解していたが、それにしても。
事実を確認するべく恐る恐る尋ねれば、彼は「つけばわかる」と緩い笑みのまま白磁の城に足を踏み入れた。
そこからは、上を下への大騒ぎというのがぴったりな状況だった。
私を連れて城へ戻ったマクス様に左右にズラリと並んだ使用人らしき人たちが続々と感謝を口にする。あまりに喜ばれるので、契約で数年だけですとは言いにくくなる。マクス様もなにも言わずに笑っているのだから、誤解は加速していく。
マクス様の「ようこそ、天空城アクルエストリアへ」という言葉から、ここがルミノサリア王国の空に浮いている魔導師の塔を有するアクルエストリア島であると確信はした。時折雲間に見えるこの城は、訪れることを許されている人が少ないということもあり人々にとって王城と同じく、もしかしたらそれ以上の憧れの場所だ。あの島の上はこんな風になっていたのね、とついきょろきょろ見回しそうになってしまう所を、これでは淑女らしからぬと強い意志で押し留める。
「この城の主ということはもしかして、もしかしてマクス様は魔導師の塔のマスターでいらっしゃるのですか?」
「ああ、そうだよ。元大司祭で魔導師の塔のマスター。はははッ、どちらの長もやったなんてのは王国歴の中でも私だけじゃないかな。どうだい? これだけの経歴があればご両親にも納得してもらえるってものだろう。ついでにどうしてもと言われて王家から辺境伯の地位も押し付けられている。うん、自分で言うのもなんだが、ここまで未婚できたのが不思議なくらいじゃないか? 世の中の女性の見る目というものに疑問を呈したくなるな」
あっさりと答えたマクス様は並んでいたメイドに私を着替えさせるように命じて二階に上がっていく。わらわらと寄ってきたメイドたちに案内され、私も二階の奥の部屋に通された。
そこにはもう適温のお風呂が用意されていて、あれよあれよという間に全身磨かれて髪には「こちらが旦那様のお好みの香りですので」と花の香りがする香油をつけられる。嬉しそうに着せてくれたゆったりとした部屋着も「旦那様のお好みに合わせました」という若草色のドレスだった。
もはや婚約破棄のショックよりも、書類上の夫となった人の肩書の多さと想定外の経歴に混乱するばかりの私は、着せ替え人形のごとくされるがままだった。
「奥様、こちらへどうぞ。少し早めですが夕食のご用意があります。お好みの飲み物も用意いたしますので、遠慮なくお申し付けください」
「ありがとう」
「ああっ、奥様、本当に旦那様と結婚してくださってありがとうございます! 旦那様は悪い方ではないのです。良い方なのですが、あまり社交界にお顔を出されないのと人間の好き嫌いの激しい方なので、もう結婚はなさらないのだと使用人一同諦めていたところなんです。それなのにこうして奥様のお世話が出来るようになるだなんて私……」
「クララ、お喋りが過ぎるわよ」
「あっ、申し訳ございません! ……嬉しくて、つい気持ちが抑えられなくなってしまったわ」
「それは私にもわかるけれど、旦那様がお待ちよ」
ヒソヒソと話をしてる私のお世話をしてくれていた若いメイド二人の様子に、雇い主と使用人の関係や距離感も見えてくるようだ。どうやら、司祭様としての威厳のあるお姿ではなくて、マクス様としての少し茶目っ気の伺える彼から受けた印象の方が本来の性格なのだろう。私の父も威厳を振りかざすような独裁的で威圧感のある家長ではなかったから、人によっては近すぎると言われるかもしれない距離感には慣れている。
連れていかれた先にはもう夕食の準備が整っていて、マクス様はもう食前酒を口にしているようだった。
「お待たせいたしました」
「いや、女性の身支度に時間がかかることは知っている。時間なんていくらでもあるんだから気にしなくていい」
そう言ったマクス様は私の姿を見て「あぁ、いいな」ぽつりと呟いて目を伏せた。
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