第9話

 目の前で髪と瞳の色が変わった人を前に、驚いて口元を抑えたままの私は、信じられない気持ちで彼を見つめていた。

 姿を変える魔法があるとは聞いたことがあるけれど、使い手はそう多くなかったはず。そしてこれも、聖職者が扱う神聖魔法の範疇ではなかった。


「私の名前はマクシミリアン・シルヴェニア。司祭時代はカエラル・パクトゥスと名乗っていた、前大司祭で、現在は魔導師をしているものだ」

「元……司祭で、現、魔導師って、そんなの、出来るんですか? 私、神聖魔法と他の魔法は根本が違うから一人の人間の中でどちらも持つことはできないと習ったのですが」

「うーん。そう言われても、実際に私はどちらも使えるからなぁ」


 マクシミリアン様がまた指を鳴らすと、キラキラとした光が雨のように降ってくる。わぁ、っとあふれる声を抑えられなかった私に小さく笑った彼は、司祭服をその場に脱ぎ捨てた。誰かが片付けるだろうと適当なことを言って


「まあ、細かい話は後にしよう。これで宣誓書は教会の保管となったから国王も簡単に手は出せない。お嬢さんの実家や国にも使いを出すとして――まずはそうだな、家に帰るんだったか」

 

 また、手を差し出してきた。

 マクシミリアン様の手に自分の手を重ねた瞬間、ふわっと体が浮く。


「な、なんですかっ、これ!」

「暴れないでおくれよ。落としてしまってはいけないからな」


 慌てふためいた私を横抱きにした彼は踵を数度打ち付けて鳴らす。一瞬で目の前の景色が変わり、強い風にさらされた。不意打ちの強風から身を守るように、身近なものにしがみつく。


「おっと」


 耳元に響いた声に顔を上げると、触れそうな位置にマクシミリアン様の顔があった。


「きゃっ」

「いや、大丈夫だ。ここは風が強いからな。慣れるまでは怖いだろう。私にしがみついていてくれて構わないよ」

「でも、私、なんてはしたない……っ」


 見知ったばかりの男性に抱きつくなんて、と顔を覆った私に、マクシミリアン様は軽やかな笑い声をあげる。


「はははッ、なにを言っているんだ。私たちは先ほど夫婦となったんだ。なんの遠慮もいらない」

「でも、それはその形式だけの……」

「だとしても、だ。夫婦である間だけでも、愛しい妻として扱わせてくれ。そっちも年上の夫に思う存分甘えればいい」

「でも」

「でもが多いなぁ。遠慮するなと私が言っているんだ。なにが問題だい?」

「旦那様!」


 そんなことを言いながら歩いていくマクシミリアン様に、遠くから声がかかった。声の方向を見れば、執事姿の男性が駆け寄ってくるところだった。


「うん? あぁコレウス、いいところに来た。このお嬢さんの入浴と着替えを――」

「そんなにお若いご令嬢をどこから攫ってらしたんですか! すぐに元の場所へ戻していらしてください!」


 いきなり叱られたマクシミリアン様の目が、またじとーっとしたものになる。大きな溜息をついて、コレウスと呼んだ男性に嫌そうな声を隠さないまま片眉をあげた。


「お前は、私をなんだと思っているんだい」

「旦那様です」

「うん、それは到底旦那様に対する言葉とは思えないな。失礼だろう、まったく」


 そんな主人であるマクシミリアン様に、コレウスはどこまでも真面目な顔で背筋を伸ばして続ける。


「犯罪には手を染めないと信じておりましたのに」

「そこは信じたままでいてくれないか?」

「どこのお嬢様を攫ってきたのですか。いくら美しいものが好きだからと言って、生きている人間をコレクションしようとするなんて言語道断――」

「コレウス!」

「冗談でございます。おかえりなさいませ、旦那様」


 はーっと大きくまた溜息をついたマクシミリアン様を見て、私はつい笑ってしまう。


「ふふっ」

「ベアトリス嬢、笑い事じゃぁないんだよ。初っ端からこんなのを見せられたら、威厳のある主人という私のイメージが崩れるじゃないか」

「ふ、ふふっ」


 諫められるかと思いきや、彼はさらに茶目っ気たっぷりな物言いでそんな風に言って肩をすくめる。

 ――私を笑わせて慰めようとしてくださっているのかしら。

 お優しいことだわ、と彼に対して好感を持つ。


「ところで旦那様。そちらのお嬢様は」

「私の妻だ」

「は――失礼ながら、冗談に冗談で返さなくても良いのですよ、旦那様」

「冗談など言ってない」

「……と、申しますと?」


 言われた内容が瞬時に理解できなかったのか、切れ長の目をまん丸に見開いたコレウスが金縁の眼鏡を押し上げながら問い返してくる。私だって、朝仕事に行ったはずの兄が突然「妻だ」なんて言ってどこかの令嬢を抱きかかえて連れて帰ってきた日には同じような反応をする自信がある。理解できない。それはそうだろう。

 しかしマクシミリアン様は、もう一度ゆっくりと、言葉を区切るようにして同じことを言った。


「彼女は、私の、妻、つまり、花嫁、だ。今日からここで過ごしてもらう」

「は……っ!?」


 口を開けっ放しになったコレウスは、ゆっくりと私の顔を見る。視線が合ったので微笑み返し、その通りです、と伝えるように頷いてみせる。もう一度マクシミリアン様を見て、同じように鷹揚に頷かれたコレウスは、それでようやく本当のことなのだと理解したらしい。

 一瞬顔を蒼白にした彼は、すぐさま元の顔色に戻ると


「失礼いたしました。すぐに準備いたします!」


 深く礼をして、また来た方向へと走り去ってしまった。

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