第8話

 次期王弟として、将来はルドヴィクス様を支えることになるのだろうエミリオ様をサポートするべく妃教育を受けてきた私が、この国を脅威に陥れるなんてことがあってはいけない。この国の役に立つことがあるのなら、私にできることがあるのなら。

 司祭様にぐっと身を乗り出せば、彼は驚いた顔で少し体をのけ反らせた後立ち上がり、私に手を差し伸べてきた。


「だったら、話は早い。私と結婚しようじゃないかベアトリス嬢」

「け、っこん……?」


 司祭様の口から、またとんでもない提案が飛び出した。


「ああ。要するに、この宣誓書をちゃんと使えば問題はないんだ。サインをしてしまっているベアトリス嬢に他の婚約者の候補もなく、都合よく私も未婚。今すぐ二人が結婚することは可能だ」

「で、ですが、先ほどここにサインする時、私はエミリオ様に愛を誓って」

「いないよ」

「え?」

「誓っていない。お嬢さんは『この男性を夫とする』誓いを立てただけだ。その相手がエミリオ殿下とは言ってはいないよ。つまり、あの場にいた男性であれば相手として問題はない」


 にやぁっと笑った司祭様は、この事態を予測していたのだろうか。念には念を入れてよかった、なんて言っているのを聞きながら、私は返事ができないでいた。


「元大司祭なんて職についていたくらいだから、まぁ人格にも才能にも問題はないと周囲から判断されていた実績がある。自分で言うのもなんだが、ベアトリス嬢の好みがどうかは別として顔だって悪くないはずだ。ついでに一応これでも爵位持ちでね。公爵ほどではないが、下級貴族でもない。まあ、ご両親には納得していただける身分じゃないかと自負している」


 どうだ? と聞かれてもすぐに答えは出ない。こういうことは、多分個人間だけの話ではなくて家同士の話でもある。そんなことをしどろもどろに言えば、彼は腕を組んで呆れ顔をした。


「しかし、ベアトリス嬢のご両親も聖女の歓迎会へ出席しているだろう? そんな場に新しい男との結婚を認めてくれなんて言いにいくなんて非常識なことはいかがなものか。だが歓迎会が終わるのを待っていては日付が変わる。ああ、その前に大聖堂が閉まるな。日付まで書いてあるから、今日中にどうにかしないといけない。ことは急を要するんだ。ついでに、あの場に顔を出せばその美貌に目をつけるものがいるかもしれない。正式な手順を踏んでくれたならまだマシ、婚約破棄されている娘ならどうとでもなると考えるのもいるだろう。だからご両親も歓迎会に来なくていいと言ったんじゃないか?」

「ですが司祭様」


 つらつらと話している彼は、私の言葉を軽く流す。


「そうそう。一度婚姻関係になったからって必ずしも生涯添い遂げなければいけないなんて決まりはない。夫婦としてどうしても相容れない部分が見つかった時、婚姻関係の継続が難しいとなった場合には、離縁を申告することも認められている。夫婦という形で過ごしてみないと気付かないものなんていうのは多いからな。どちらか、またはどちらもが苦痛だと思っているものを無理に継続しなければいけないと言うのは、いくら愛の女神であろうと横暴ってものだよ。最低2年を過ぎれば夫婦関係の解消も可能。これもヴェヌスタの許可が必要になってはくるが、そこは私がうまくやってやろうじゃないか」

「2年、ですか」

「ああ、だから世間的に名乗る名を変える必要はないよ。お嬢さんは、対外的にはベアトリス・イウストリーナのままでいい。私の妻だと言いたいなら公言してもいいが――言いたくないなら、結婚したなんて事実は黙っていればいいんだ」

「それで司祭様は良いんですか?」

「うん?」

「私と婚姻関係を結ぶなんて、仮に2年限りとなるとしてもご迷惑になるのではないでしょうか」


 司祭様としても、こんな場に立ち会ってしまった以上、国に咎を負わせるわけにはいかないという責任感からのご提案なのだと思う。健気にもご自分を差し出そうとなさっている彼に問いかける。


「迷惑だなんてことはないよ。この年まで未婚の身だ。自分では悪くないと思っているが、なにかしら問題があるから誰も嫁に来てはくれなかったんだろうな。そんな私が、2年とはいえこんなに若くて愛らしいお嬢さんと夫婦気取りで過ごせるなんてとんでもない役得ってやつだよ」

「司祭様」

「ご両親にも私がうまいこと言っておこう。お嬢さんの経歴に傷はつかないように取り計らう。心配はするな。これは、国と、お嬢さんが、ヴェヌスタから愛され続けるための緊急処置だよ」


 そこまで言われてしまっては、断りにくくなる。このままうだうだしていても、どうしようもない。目ぼしい相手を探すような時間もない。たった2年のことだ、と腹をくくった私は立ち上がると彼に頭を下げた。


「それでは、ご迷惑をおかけしますが、しばらくの間よろしくお願いいたします」

「ああ、それでいい。お嬢さんは聡いな」


 司祭様は穏やかな笑みを浮かべていた。彼は私の手を取ると、そっと甲に唇を押し当てる。


「では改めて。ベアトリス・イウストリーナ嬢、私と結婚してくれるかい?」

「はい」


 にこっと満足げにわらった司祭様は立ち上がると祭壇に向き直った。


「では、さっさと終わらせてしまおう。んんっ。

 私、マクシミリアン・シルヴェニアは、ベアトリス・イウストリーナを妻とし、いかなる苦難に襲われようと、共に手を取り合い、励ましあい、互いを認め、称え合って、永遠に共に歩いていくことをここに誓う……と、こんなものかな」


 すらすらと文言を唱えた司祭様は、筆ペンでさらさらとサインをする。書き終わった瞬間、彼と私の名前がぽわっと光ったように見えた。


「さあ、ではこれは教会で大切に保管しておこう」


 司祭様――マクシミリアン様はそう言うと、宣誓書を丸めてリボンで結び、軽く宙に投げた。大切なものをなんて扱いをしているのかと手を伸ばしかけた私の指の先で、紙がみるみる白い鳩の形を取って窓から外へと飛び出した。

 飛び立った後を信じられない気持ちで見つめる。ゆっくり振り返れば、そこに立っているマクシミリアン様はしれっとした顔をしていた。


「マ……マクシミリアン様、今のは……魔法、ですか? でも、神聖魔法にあのような術はありませんでしたよね……?」


 聖職者が使えるのは癒しの力の神聖魔法だけのはずだ。しかし今のは、別のもののように見えた。


「うん。あれは神聖魔法ではないなぁ。おっと、自己紹介が遅れたな。順番が逆だ、これはいけない」


 彼がパチンと指を鳴らすと、藁色だった髪がシルバーブロンドへと、薄い若草色だった瞳も晴れ渡った青空を切り取ったような空色に変わる。目を丸くした私に、胸に手を当ててうやうやしく頭を下げたマクシミリアン様は少し上目遣いで微笑んだ。

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