第7話

 いくら良い両親だと言っても、娘可愛さに一族を危険に晒すような愚かなことはしないはずだ。娘のためだけに国王様からの提案に逆らうなんて簡単なことではない。しかもその口実は「王族側都合での婚約破棄によるお詫びのため」とくれば。

 王家側からしたら、あくまでも好意なのだという親切の押しつけまでできる。どんなに政治的に意味の大きな、こちらにとっては酷い条件の婚姻であったとしても、相手が高貴な身分であれば外聞は保たれる。事情があって妻のいない、もしくは亡くした高位貴族や、国内の貴族だけならず、他国への貢物にされるかもしれないという可能性を見落としていた。

 そういえば、大国ヴァルテンゾの第四王子が結婚相手を探しているという話もある。しかしあまりに気性が荒く粗暴で、しかも女癖も悪いということから相手がなかなか見つからないとか。

 ――まさか。ああ、でも。

 しかも、当のヴァルテンゾの第四王子はエミリオ様の結婚を祝うための使者としてこの国に滞在している最中で、今日の披露宴にも出席してくださる予定だった。教会での挙式には他宗教の信者である他国からの使者たちは入れなかったのだけど、今頃はもうこの騒ぎは彼らの耳に入っているだろう。せっかく足を運んだにもかかわらず結婚はなくなり、それどころかルミノサリアを栄えさせる聖女まで現れたとなれば、ヴァルテンゾならずとも、他国はどこも面白くない。使者は皆、国の中で力を持っていらっしゃるような方々だ。

 ――これ幸いとどこかの国への貢物にされる可能性を考えれば、それは妻としてではなく、側室や愛人、若く美しいという条件さえ満たしていればいいような立場を求められることだって……

 これは呑気なことを言っていられる状況ではないらしいということに気付き、私は青褪める。

 政治の道具に使われることも貴族の娘に生まれた以上覚悟はしていた。恋愛結婚など望んでいない。でも、母国と敵対する可能性のある国へと送られるのは、そして妻という立場ではない愛玩物として貢がれるのは、少しだけ、気分が重くなる。

 ――いいえ。貴族の娘として生まれたのだから、どんな婚姻であれ受け入れなければいけないのよね。それに私が直接エミリオ様を支えることはもうできなくなってしまった以上、私にできることなどもう……


 すっと視線を落とせば、顔を覗き込まれる。

 いつの間に移動していたのか、司祭様が音もなく私の前に跪いていた。


 なんでしょうか、と目線の下にある司祭様の顔を見る。彼は手にしていた宣誓書を広げ、下部を指差した。


「国王がお嬢さんをどうしようと思っていようと、どうでもいいんだが」


 良くはないでしょうと思いはしたが、それを口にするより先に司祭様は真剣な目をしてもう一度私のサインを指した。


「なによりも問題なのは、お嬢さんはこの宣誓書にサインしてしまっているということだ」

「はい、書きました」

「この宣誓書は実は特別なものでね」


 知っています、と言う私に彼は首を振り、眉間のあたりに物憂げな気配を浮かべる。


「多分お嬢さんはこれの怖さを理解していない。これを作ったのは、ディウィナエ教の神ヴェヌスタ、愛の女神なんだよ」


 つまり、女神の名のもとに作られたもの、ということなのだろう。それの、なにが怖いのだろうか。司祭様の言わんとしていることが理解できない私は、ただ黙って説明を待つだけだ。


「愛の女神とは言うが、彼女はなかなかに熱烈な性格をしていてね。自分が見守ることになった夫婦に深い愛を注いでくれると同時に、一度彼女に愛を誓わせてくれと言っておいて、途中でやっぱりなしなんてことをした日には、もう二度と目をやってはくれなくなる」


 彼は私が先ほど書き上げたサインを指でなぞる。


「それは、私が愛の女神様から見捨てられるということでしょうか」

「それがな。お嬢さんだけではなく、一族が愛から遠くなる。近い将来、一族揃って断絶となるだろう。それだけではなく、ここにはご丁寧に国王の直筆サインまである。ということは、国としてヴェヌスタとの約束を反故にしたという意味になってしまって、国自体が愛の女神から見放されるだろうな」

「……そんな……冗談、ですよね」

「まさか。ただでさえショックを受けているお嬢さんに、そんな悪趣味なことをして楽しむようなことはしないよ」

 

 私自身がもう愛されないというのなら、まだ耐えられる。でも一族が、国が、愛の女神から見放されるというのは、国王様に利用されるかもしれない、なんてことが些細な事に思えるほどの大問題だった。聖女様が現れたところで、愛の女神から見放されてしまっては安寧など訪れない。かつて女神ヴェヌスタから見限られ滅びた国がいくつもあるという伝承を読んだことがある。あれは事実だったのですか、と尋ねた私に、司祭様は真面目な顔で頷いた。


「愛は世界を救うなどと言うが、まぁそんなものだけで救えるわけはない。しかし、愛がなければ世界は滅ぶ」

「ヴェヌスタ様に許していただく方法はないのでしょうか。せめて、私だけに罰をお与えくださるようにお願いすることは――」

「王族の婚姻となれば、ヴェヌスタも楽しみにしていただろうから、難しいな」

「でも、だからと言ってこの状況でエミリオ様に私とちゃんと結婚してください、なんて言うことは」

「それもできないだろうということは、私もわかっているよ。だから、困ったことになったと言っているんじゃないか。せめてサインだけでも王子がしてくれていたらなぁ。こちらでどうとでも出来たんだが」


 ――なんてことなの。

 わなわなと唇が震える。もうちょっとサインを躊躇うべきだった。いや、もっとゆっくりと入場すればよかった。今更な後悔が押し寄せる。


「ただ、ヴェヌスタから見放されずに済む方法が1つだけある、と言ったら……」

「えっ!?」

「どうだ? お嬢さんはその案に乗る気はあるかい?」

「あります!」


 私は一も二もなく飛びついた。

 

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