第6話
先代の聖女様が亡くなってから100年以上も聖女が現れなかった理由について、国教でもあるディウィナエ教では
「この世が安定し、魔族も撃退されて異界への扉は閉ざされ、魔物がこの世界へ侵攻してくることがなくなった。聖女様のお力がなくとも人々が平和に暮らせるようになったのだ」
と説明してきていた。
――ということはつまり。聖女様が現れたということは、またなにかしらの禍が国を襲う可能性があるということでは……?
恐ろしい想像をしてしまってゾッとした私に、司祭様がまた話し掛けてくる。
「ところでお嬢さん。きみはこの後どうするつもりだ?」
「この後ですか? 家に帰ります」
「はははははッ! そりゃそうだ。っていやいや、そうではなくて」
なにを問われたのかわからずに見返すと、まだ笑いながらも司祭様は指を1本立てた。
「状況をまとめてみよう。まず、ついさっきお嬢さんは第二王子との婚約を破棄された」
言葉を選ばずズバリと言ってくださる。ぐさっと胸に刺さるものを感じながら、公爵令嬢として恥ずかしくない笑顔を作った私は答える。
「はい。残念ながら、そのようですね」
「聖女が現れた以上、王子は聖女と結婚するのだろうな。そういう契約になっているし」
「ええ、そうなるのだろうと思われます」
なにも、傷口に粗塩を刷り込んでくださらなくとも良いのに。ズバズバと切り込んでくる司祭様に、唇の端が引きつりそうになる。心を強く持ってそのままの表情を保っていると、司祭様は優しい口調で続けた。
「では、お嬢さんはこれから結婚相手を探さなくてはいけない?」
「国王様直々に婚約破棄を命じられたとはいえ、私自身が悪いことをしたわけではありませんし、お相手がいないということはないのではないでしょうか。もう結婚など望めないと将来を憂いて、修道院に入るというのはまだ少し早いかと思います」
「まぁ、それはそうだな。修道院に引っ込むのはなぁ」
うーん、と唸る司祭様は羽根ペンを弄っている。その手元には、結局使われることのなかった結婚宣誓書があった。
それは通常使われる宣誓書とは異なる特別仕様で、長い時間をかけて専門の職人が作り上げたというものだった。この宣言書による婚姻は幸せなものとなるように祝福され、ふたりが離れることは永久にないとまで言われている。
――そんな貴重なものを無駄にしてしまったなんて。
宣誓書には既に国王様のサインもあって今日の日付も書き込まれているし、儀式の順番の関係上、エミリオ様よりも先に私のサインまでしてある。だから聖女様とエミリオ様のご結婚の際にお使いください、というわけにもいかない。
――これも私と一緒で捨てられるしかないのかしら、もったいない。
はぁ、と小さく溜息をつけば、司祭様に顔を覗き込まれる。
「疲れたか? 気を遣えずにすまない。座って話そうか」
司祭様は参列者のために用意された席の最前列、さっきまで国王様と王妃様が座られていた椅子に腰掛ける。さすがに私はそこに腰を下ろす勇気がなくて、少し離れた場所に座った。
「それにしても。あちらの都合での婚約破棄、しかも結婚式当日、宣誓の直前だ。お嬢さんに悪い部分が皆無だったとしても、これは王子と聖女にとっての運命だったのだと恋物語を盛り立てようとする輩がそこかしこにいてもおかしくはないだろうなぁ」
――なんですって?
想像もしていなかった可能性のお話に、勢いよく顔を上げて司祭様を見る。
「王子にとって悲劇をもたらす悪女との婚姻が結ばれようとした時、運命の聖女が現れたのです、なんてな。なにかを盛り立てるためにもう一つを落とすなんてのはよくある手段だよ」
「それは――」
――当て馬にされるのは、少々癪に障るわ。
エミリオ様と私の間に恋愛感情はなかったから、抗えない運命に引き裂かれた悲劇のヒロインにしてほしいなんて思わない。だからといって、他人の恋のスパイスにされるのはまっぴらごめんだ。婚姻が成立する直前に中止を告げられたことに対する恨みは驚くほどにないとはいえ、それにしても捨てられた女側に非があったように物語に仕立てられるのは歓迎できない。しかも完全に創作なはずのそのストーリーに実話が紛れ込んでいるのだというような噂でも流された日には、私だけではなく私の家への評価にもかかわってくる。そんなことになっては、まだ結婚していないお兄様まで婚約破棄されてしまうかもしれない。
「その可能性はまったく考えていませんでした。それはとっても嫌ですわね」
「ははッ、正直でよろしい」
「ありがとうございます」
司祭様は楽しそうに笑うと、立てた指を増やす。
「次。お嬢さんのご両親は、すぐにでも次の婚約者を探そうとすると思うかい?」
「……多分、しないのではないでしょうか」
両親は、私の意見を尊重してくれる。エミリオ様との婚約も、私の意思を確認してから結ばれたものだった。結婚を急がなければいけない理由もない。少しの間は自由にさせてくれるのではないかと思われた。
「では次。国王が、お詫びと言ってお嬢さんに縁談を持ち込んでくる可能性があると思うかい?」
「はい?」
思いがけない言葉に目を見開く。その可能性は、まったく考えていなかった。
「国王様が、ですか?」
「家柄に問題もなく、妃教育を受け、品位ある淑女の立ち居振る舞いを完璧に身に着けている公爵令嬢。ご兄弟もおられることから、家督を継ぐことにもならない。しかも見た目も美しく成人済み。婚約という形ではなく、すぐにでも婚姻を結ぶことのできる年齢。そんな娘が、婚約者どころかその候補者もなく浮いている状態になった。公爵家に釣り合う家柄を考えると選択肢は多くないだろうな。王家としてもそんな娘が自分たちの敵対勢力に取り込まれてしまうのは不都合がある。むしろ、政治の駒としての価値は高い。そんな逸材を、あの狡猾な国王が放っておくと思うのか?」
「それ、は……」
ないとは言えない。
国王様のこともよく知っている私は、司祭様の言葉を否定することができず言葉に詰まってしまった。
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