第4話

 今の言葉は、司祭様が発したもの?

 聖女が現れたという話に対して『面倒なこと』?


「なにも結婚式当日に聖女認定なんて出さなくてもいいのになぁ、あいつも」

「……あいつ、とはどなたのことですか?」

「うん? カタリーナだよ。今日が第二王子とお嬢さんの結婚式だってわかっているはずなのに、少し待てなかったのかな。一日二日報告が遅れたところで問題は起きないだろうに」


 祭壇に肘をつくようにして司祭様はボヤく。先ほどまでの落ち着いた威厳のあるお姿とはまったく違うその姿に、私は何度も瞬きをしてしまう。礼装の冠とローブを脱いでばさっと祭壇の上に投げ置くと「ああ、重かった」と彼は大きく伸びをした。

 彼が口にしたカタリーナとは大司祭様のお名前だ。大司祭様をそんな親しげに呼ぶだなんて、この方、何者なのだろう。


「あの……聖女様が現れたというお話なんですよね?」

「ああ、そうみたいだね。前回からは120年ぶりくらいか? 今回は随分と待たされたな」


 冠を被っていたせいで乱れた藁色の髪を手櫛で整えつつ、司祭様は軽い調子で言う。他の司祭様は皆聖女様をお迎えするために出て行ってしまったのだけれど、彼は行かなくてもいいのだろうか。しかも、他の方々の興奮した様子に比べ、彼はとても冷静に見える。特別なことが起きただなんて思ってもいないようだった。


「あのー、あなたは、その、司祭様……なのですよね?」

「はははッ! その目は私を疑っているのかい?」


 本来なら、今日の式は教会のトップであるカタリーナ・ルミネッタ大司祭様が執り行ってくださることになっていた。王族の結婚式なのだから、当然といえば当然。私もそのつもりだったから、挙式の時にそこに立っているのがカタリーナ様でないと気付いて驚いたくらいだ。


「王家の婚姻の儀だというのに、教会だって偽物は出さないよ。不敬罪ってやつになる。そんな命知らずなことをするはずがない。そもそも大司祭の代理として選ばれているんだ。私だってそれなりの立場だよ。――と言っても元がつく。今は引退している身なんだがね」

「引退、ですか?」


 ――そのようなお年には到底見えませんけども。


 藁色の長い髪に薄い若草色の瞳をした細面の男性。柔和な表情を浮かべた彼は、すぐには信じられないような発言を続ける。


「先代の大司祭だったんだよ。お嬢さんに洗礼を与えたのも私だ。まあ赤ん坊の頃のことだから、覚えてはいないだろうな」


 にこりと微笑んだ司祭様は、おもむろに私の額に右掌を押し当てる。そこから、痺れたように動きの悪くなっていた頭に、じんわりと温かいものが流れ込んでくるようだ。目を閉じた私に


「ベアトリス・イウストリーナに――――祝福を」


 彼は小さく呟いて手を離す。


 捨てられてしまった花嫁を憐れんでくださったのだろう。祝福を与えてくださったことに感謝を述べるべく、ドレスの裾を軽く持ち上げ頭を下げる。かしこまらなくていい、と言ってくださった司祭様は、穏やかな笑みを浮かべて私を見ていた。

 彼はお喋り好きなのかもしれない。家から迎えが来てくれる? それとも自分で馬車を呼ばなければいけない? と考え事を始めた私に、司祭様はまた話しかけてくる。


「どうしてもカタリーナ以外にはできない仕事が舞い込んでしまったから行かねばならない、他に適任はいないのだと言われて無理矢理に引っ張り出された。いい迷惑だよ、全く……ああいや、当事者の前で言うことではなかったな、すまない」


 口が滑った、と口元を隠す仕草がチャーミングでつい笑ってしまう。笑い出した私を見て、司祭様は安心したように目を細めた。


 ――先ほど私に洗礼を与えてくださったと言っていたけれど、この方おいくつなんでしょうね。

 

 少し頭が働くようになれば、そんなことが気になりだす。どう年上にみても30代半ば。落ち着いた声でいらっしゃるけれど、それにしても引退するようなお年には見えない。私に洗礼を与えてくださったというのなら、19年前には大司祭様だったということだ。……え? 19年前?

 先代の大司祭様が、とてつもなく若くしてその地位に上り詰めた後あっという間に引退なさった、などという話は聞いたことがない。さすがに10代で大司祭となったような人物であれば、その当時赤ん坊だった私でも、噂話を小耳に挟むくらいはしているだろう。

 と、疑問に思うことは多くてもあまりじろじろと見るのは失礼にあたる。視線を司祭様から逸らして、すっかり空っぽになってしまっている大聖堂を見回した。

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