1人

 つい先刻まで30人居たはずの空間に、今や二人。気温は変化していないはずだが、何だか肌寒い。


「残っちゃった、ね」

「うん……」


 しんとした沈黙だけが残り気まずい中、制服のあたしがおずおずと話しかけてきた。大人しくて、静かなあたし――制服のあたしが一番あたしらしいあたしかもしれない。逆にあたし自身は、あたしの、何もする勇気が無いという悪い部分を代表しているようだった。


「どうしよっか」


 あたしは床に伏せ、隙間から先を窺った。頭が入り、胸まではどうにか入りそうな幅だった。隙間の先には光が見え、おぼろげながら外とおぼしき光景も見える。


「一緒に、行こう。これならどうにか通れそうだよ」


 あたしは立ち上がり、制服のあたしに手を差し出した。


「……一人しか出られない気がする」

「でも、どっちが1日のあたしか分からないし……」


 すると制服のあたしは、あたしを上から下まで眺めた。しかし部屋着を着ているだけで、日付を特定できるようなものは何も無い。


「もしあたしが2日だったら、消えるのは恐くないよ。でも、1日かもしれないって思うと……」


 たとえ自分が消えたとしても一日のあたしだけは、この隙間から脱出させたい――これまで消えていった皆がそう思っていただろう。あたしも同じだ。

 あたしが言い訳のように口をもごもごさせていると、制服のあたしは不意に、笑った。


「見つけた」


 そう言って、差し出したままだったあたしの手を取る。

 体温が同じあたしの手は、柔らかかった。


「ほら」


 制服のあたしは、あたしの手と、制服のあたしの手を並べて、示して見せた。

 同じ手だった。中指にペンだこがあり、人差し指には大昔に負った火傷の痕がある。だが、よくよく見ると一つだけ大きく違っている箇所があった、


「一日でこんなに伸びるはずないもの。だから、あたしが2日、だね」


 それは、爪だった。制服のあたしの爪は短く、そしてあたし自身の爪は長かったのだ。

 あたしの最後の記憶、5月31日の時点では、爪はまだ伸びていた。そろそろ切らないといけないと思っていたことも思い出した。

 目の前のあたしは、爪を切った後――あたし自身よりも後の日のあたしであることが、はっきりしたのだ。


「一緒に行こうって言ってくれてありがとう。それで分かったから良かった」


 制服のあたしは最後に手をぎゅっと握って笑いかけてきた。そして、するりと手を離す。


「あ……」


 呼び止めようとしたけれど、ゆるゆると首を横に振られた。


「じゃあ、頑張ってね」


 そう言って、制服のあたしは会釈をした。人を思いやる微笑みのあたしは、手前味噌ではあるけど、ちょっと可愛かった。


「明日、また会えるね」


 それが制服のあたしのお別れの言葉だった。すたすたと壁際まで行った制服のあたしは、躊躇うことなくすんなりと穴に入って、消えてしまった。

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