21人

 あたしが、消えた――


 その言葉で、白い空間はにわかに恐慌状態に陥った。十数メートル四方が小さい悲鳴と泣き言で満たされる。


「やっぱりやめておけば……」「どうしよう」「訳分かんないよ……」


 自分が消えたようなものなのだから、怯えるのも当たり前だ。あたしも実際に見たわけでもないのにぞっとした。

 仕切り屋のあたしが居なくなったから、その場はすぐには収まらなかった。

 しばらくして一通り皆が怯え嘆いた後、一人のあたしが一歩前に出て、ヘアピンのあたしに問いかけた。そのあたしも、制服を着たあたしだ。ヘアピンはしていないが白い靴下を履いているので区別がつく。


「どんな感じだった?」


 白靴下のあたしの声に、手で顔を覆って俯いていたヘアピンのあたしがゆっくりと顔を上げる。


「あたしの隣に立ってたあたしが……あのあたしが穴に落ち……ううん、入った後、少ししていきなり消えたの。どう消えたかは分からないっていうか、気付いたら居ない感じだった…」


「あたしの隣に居たあたしも居なくなってる……かも」


 今度は別の方向からも声が上がる。溜息が唱和し、部屋は再び騒然とするが、白靴下のあたしが立ち上がって手を挙げた。


「ちょっと待って、点呼しよう。動かないでね。ええと、数える前の人は手を挙げておいて。数えたら下げてね」


 そして白靴下のあたしは自分を一人目として、あたし達の間をかいくぐりながら人数を数えていった。人数は順当に増えていったかのように見えたが、最後にやはり異変が起きていた。


「27」


 そこでカウントがストップしてしまったのだ。あたりを見回したが、もう手を挙げているあたしは居ない。


「あのあたしが落ちる前は、30人だったよね」


 白靴下のあたしの言葉に、沢山のあたしが頷いた。


「うーん。怪我は影響しないのに、消えるのは影響するってことなのかな」

「消えたってはっきりしてるわけじゃ……」


 集団の中に紛れているあたしの怯えた声に、白靴下のあたしは首を巡らせて返事をした。


「消えたことが悪いかどうかも分からないよ。もしかしたら元に戻ったのかもしれないし」

「そ、そっか……」

「それに、もう一つ。数えてる間に見つけたんだけど、これ」


 そう言って、白靴下のあたしは穴とほぼ反対側にある壁際を指した。さっとあたしの人だかりが割れ、その奥の壁が露わになる。


「また……」


 それを見て、三人くらいのあたしの声が重なった。声に出していなくても、皆同じことを思っていたことは確かだ。


 壁と床の継ぎ目に、ほんの数センチの隙間があった。横幅は2メートル程度だが、高さはほんの2センチほど。手の平がギリギリ入らないくらいの幅しかない。床に伏せて覗き込んでも、その奥に何も見えなかった。


「これ、さっきからあった?」


 白靴下のあたしが問うと、近くに居た私服のあたしが首を横に振る。


「あたしはずっとここに居たし、さっき何か探そうってなったときにも見てたけど、こんなの無かったよ」

「――つまり、あのあたしが落ちたあとで出来たってことだよね」


「でも、どうして……」


 どこからか、また『どうして』の声があがる。


「三人消えてそれくらいの幅ってことは、もっと消えたら幅が広くなるのかもね」

「!」


 皆の注目が、不意に響いたその皮肉な声の主に集まる。


 それは、パジャマ姿のあたしだった。どこか顔色が悪く、目の下にはクマがある。単体で見ればそれほど目立つわけではないが、他のあたしと比べると顕著だ。寝不足なのだろうか。


「皆が言いにくそうだから代弁しちゃうよ」


 クマのあたしがゆっくりと壁際まで歩いてきた。そして白靴下のあたしに目配せをした後、だるそうな声で続ける。


「ここに居るのが一ヶ月の30日分のあたしだと過程すると、さっき穴に落ちたあたしは多分、6月28日のあたし。で、28日のあたしが消えたから、29日と30日のあたしもつられて消えた」

「……」


 白靴下のあたしが少し目を伏せて頷いた。


「で、この隙間が少し空いた。この先に出口があるかもしれない」


 クマのあたしはしゃがみこんで、隙間に手を入れていた。そして何かを悟ったように、あたし達を仰ぐ。


「だから、日が後ろのあたしから順に落ちて消えていけば、いつかはこの隙間が広がりきってこの変な部屋から脱出できるかもしれない」


 ざわり。クマのあたしと白靴下のあたしを覗いた25人のあたし達の戸惑いが、妙な空気を作り出す。

 クマのあたしは皮肉げに笑い、今度はよたよたと歩いて反対側の壁――穴のある方へと向かう。

 

「で、あたしも確実に後ろの方の日付なわけ。生理中だからね」

「あ……」


 間抜けな声を出してしまったあたしに、クマのあたしは笑いかけてきた。


「他にもいるでしょ、生理中のあたし。もう気持ち悪くてかなわないから落ちちゃっていいよね?」


 そこにきてようやくあたしはクマのあたしの意図を悟る。生理中で機嫌が悪いのだ。半ばヤケになっているとも言える。


「いつもは二十日くらいだけど……でも、特別はやまったりしてるかもしれないから、やめた方が……」


「じゃあ、一日目のあたしだけ残ればいいじゃん。それで一応確実でしょ、全滅は免れる。あたしが間違いなく二日目だからね。もう眠いし寒気するしでさっさと出たいのよ」


 生理中の自分を客観的に見るのももちろん初めてだった。貧血気味でこんなに気が立っているとは思いも寄らなかった。

 クマのあたしはぐるりとあたし達を見回して異論が湧いて来ないのを確認して、晴れ晴れとした顔になる。


「じゃ、お先。残ったあたし、あっちから出られるといいね」


 そして、とんと軽やかに床を蹴り、クマのあたしは穴に滑り込んだ。やはり音は無かった。


 数秒後、視界から数人のあたしが消える。


 間近に居たあたしから小さな悲鳴が上がるが、それ以上にまずあたし達の注目は、反対側の隙間に集まっていた。

 ずっと見ていたのに、いつ変化したのか分からない。けれど、隙間は確実に広がっていた。


 2センチほどだった隙間は、10センチ弱にまでなっている。覗いてみると、隙間の先には何か光のようなものが見えた。出口かもしれないと思うと少し心が躍るが、果たして自分がそこを通れるまで残っているのかどうかは定かではない。

 確認を終えた白靴下のあたしが、再度点呼の要請をした。


「21、ね」


 21人。もう9人も消えてしまった。

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