27人

 呟いたのは部屋着のあたしだった。隅の方でじっとしていたのだが、皆を黙らせてしまったことに気付き、申し訳なさそうにもじもじとしている。


「どうしてかを知るためにも、お互いの気付いたこととか他のあたしとの違いとか、あったら言ってみて。手がかりになりそうなものなら、何でも」


 毅然とした言葉で不安な雰囲気を掻き消したのは、やはり仕切り屋のあたしだった。

 同じあたしのはずなのに、凄くしっかりしてて、何だか外見まで少しかっこよく見える。比べて最後に起きたこのあたしは、未だにへたりこんだままだった。隣のパジャマのあたしがずっと肩に触れてくれているのがありがたくもあり、情けなくもあった。


「服以外何も持ってないなんておかしいよね」

「せめて携帯とか、時計があればねぇ……」


 あたし同士の会話が聞こえてきた。あたしもポケットを探ってみたが、やはり何も入っていない。


「あ、あのさ……その、服が違うとかじゃないんだけど」


 その声で、皆が後ろを振り向いた。

 そこには、制服のあたしが居る。白いハイソックスで、ローファーを履いている。


「ここの下に、穴があるよ」

「穴……?」


 皆の注目が制服のあたしに集まる。

 制服のあたしはそれを逃すように、自分の右の壁を指す。その少し下に、どこも色が同じなので気付きにくかったが、床が欠落したかのような穴があいていた。

 仕切り屋のあたしをはじめとして、皆がそれを見るために壁に詰め寄る。


「不気味ね」

「……うん」


 間近で見たそれは余計に気持ち悪かった。壁まで歩いて気付いたのだが、この部屋は光源が無いのに明るいうえに、影も薄い。そのせいで見つからなかったのだろう。下手すると気付かずに上を歩いて落ちてしまいそうだった。


 底は見えない。あたしの視力の限界まで、果てしなく白い枠が続いている。

 少し手を突っ込んだりして一通り調べたあと、仕切り屋のあたしが顔を上げた。


「他に何か部屋におかしいものはある?」


 言われる前から数人のあたしが調べていたが、皆首を横に振った。

 大勢が一つのものに注目しているときに出遅れると、そこに加わろうとはせずに他のことを始めるあたりが実にあたしらしい。ざっと見たところ、30人中25人が集まった時点で残りの5人がふいと違う行動を行っていたようだ。


 仕切り屋で行動的なあたしや、団体行動に出遅れるあたし。みんなあたしの自然な行動のはずなのに、見ていてだんだん楽しくなってきた。


「えいっ」


 突然のかけ声にで、あたしは驚いて振り返る。


 あたしがよそ見をしている間に、仕切り屋のあたしが服から黒いボタンをちぎり取ったようだ。そしてそっと手を穴の上にかざし、皆が意図を悟って固唾を呑んで見守る中、それを穴の中に落とした。


 白いトンネルに吸い込まれるように、ボタンは消えていった。

 音は、しなかった。


「……」


 耳を澄ますのを諦めた仕切り屋のあたしが、小さく溜息をついてから身を起こした。


「もしかしたら、外に繋がってたりしてね」

「これが出口ってこと?」

「うん」


 返事をしながら、仕切り屋のあたしは穴に乗り出すように屈んだ。


「や、やめなよ……危ないよ」


 傍に居たあたし達が制止する。皆戸惑っている。


「もう少し、色々調べてからでいいんじゃないかな……別に、ここを出て行かなきゃいけないって決まってるじゃないんだからさ」


 制服のあたしに肩を掴まれる仕切り屋のあたし。でも、きっと皆分かっているのだ。自分が一度試したくなったことをやめられない性分だと。それに、行動力のある仕切り屋のあたしが代表してやってくれようとしていることも。


「でも、このままじっとしていれば何とかなるようなものでも無さそうだよ。あたし、結構最初の方に起きたけど、もう二、三時間はここに居るし。一度寝直して見たけどやっぱり駄目だった」

「……」

「先に一つだけ試しておくね」


 そう言って、仕切り屋のあたしは突然左手の甲に唇を当てた。訳が分からず見ていると、どうやら強く吸っていたらしく、しばらくして唇を離すと、その手の甲には赤黒い痕ができていた。少し内出血しているのだろう。


 あたしの昔の癖だ。よくこうやって痣のようなものを作って親に怒られたり幼稚園の先生に心配されたりしたものだ。

 仕切り屋のあたしは立ち上がり、その手をかかげた。


「今左手に痣が出た人、いる?」


 その声で皆が自分の手に目を落とす。あたしの手には何も無かった。


「……居ないね。多分これ二日くらいは残ると思うけど」


 返事をしたあたしは居なかった。


「つまり、もともとっていうのかな、ここに来る前の傷とか状態は日ごとに継続してるけど、ここでの状態はリンクしないんじゃないかな。もしかしたらあたしが30人の中の最後のあたしだから影響しないっていう可能性もあるけど」

「それって……」


 あたしは思わず口を開く。仕切り屋のあたしがやりたいことが分かってしまった。

 仕切り屋のあたしが怪我をしても誰にも影響しないのだから、たとえ穴に落ちて何かあったとしても他のあたしには迷惑がかからないと判断したのだ。


「じゃあ、行ってみる」


 誰も仕切り屋のあたしを止められなかった。誰もが少しだけ期待していた。

 誰もやりたがらないことがあったときに最初から率先してそれをやるわけではないが、仕方無く名乗り出るのがあたしの性格だ。その役を負ってくれた仕切り屋のあたしに心配と密かな感謝の眼差しが集まる。


「気を付けてね」


 あたしがそう言うと、仕切り屋のあたしはくすりと笑った。


「自分に気を付けろって言われるなんて貴重な体験だね。もしかしたらただの夢かもしれないし、ここから落ちたら目が覚めてるかも」


 そして仕切り屋のあたしは床に腰をおろし、背後を振り仰いだ。


「もしあたしが行ったことで変化があったら、それを元にして状況を分析してね」

「……うん」


 そして29人のあたし達に見送られ、仕切り屋のあたしは角に足をかけ、滑り込むようにするりと穴に身を乗り出した。


 まるで吸い込まれるように、仕切り屋のあたしは穴に消えた。叫び声も何も無く、ただ静かに見えなくなる。変化を探せと言われてはいたものの、あたしはずっと仕切り屋のあたしが消えた穴を眺めていた。


 数秒経った頃、突然後ろの方で悲鳴が上がった。


「!?」


 思わずびくりと痙攣してしまった。振り向くと、奥の方で一人のあたしがへたりこんでいるのが見えた。制服姿で、赤いヘアピンをつけている。


「どうしたの」


 近くに居た部屋着のあたしが支えてやると、ヘアピンのあたしが息を乱したまま呆然と言った。


「今、ここに居たあたしが消えた……」

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