30人いる!

もしくろ

30人

 目が覚めると、あたしが29人居た。


 そこは隅から隅まで真っ白な空間だった。旅館の大部屋くらいだろうか、白くて見づらいけれど天井には四隅があり、部屋としての形をしているのが分かる。そのほぼ真ん中に、あたしは仰向けに寝ていた。

 が、部屋はともかくとして、問題は中に居る人間だ。


「……何、これ」

「お、目が覚めたね。君が最後のあたしだ」

「30人目のあたし、おはよう」


 呟きながら身を起こしたとたん、側に座っていた二人のあたしに声をかけられる。パジャマのあたしと、制服のあたし。


 見回したらさらに、あたし。遊園地のミラーハウスのような仕組みではない。誰一人としてあたしと同じ動きをしているあたしが居ないのだ。30人とかいうそれぞれのあたしが部屋に散らばり、めいめいに動いている。

 そのほとんどの目は、あたしに向けられていた。


「……っ」


 16年間見慣れたはずの自分なのに、29人まとまって、まるで違う生き物として蠢いているように見えてきた。思わず目眩を覚え、俯く。 


「大丈夫? あたしも最初は気持ち悪かったけど、すぐ慣れるよ」


 パジャマのあたしがとんとんと背を叩いてくれた。流石自分自身、ツボをよく分かっている。

 だが自分の声が酷く気持ち悪い。自分で聞いている声と他人に聞こえる声は違うと言うが、録音したものではなく直接聞かされるとなんだか頭がおかしくなってしまいそうだった。


「さて、それじゃあみんな起きたからちょっと状況整理しよ」


 近くにいたあたしの一人が軽く挙手し、声を張り上げた。

 あたしは思わず顔を上げ、まじまじとそのあたしを眺めた。鏡ではなく直に自分の顔を向かい側から見るのは当たり前だけど初めてだった。挙手したあたしは私服で、よそ行きの恰好をしている。お気に入りの革靴まで履いているので、きっと市内に映画でも見に行くところだったのだろう。


 仕切ったりするのは好きじゃないあたしが29人もの人間の前でよく発言できるものだと思ったけど、考えてみればその29人も全員あたしだからそこまで緊張するものではないのかもしれない。


「まず、ここにいるあたし達の確認。誕生日は六月二日、お父さんは秋彦、お母さんは文江、弟は陽太、猫はトラヲ……違う人、いないよね?」


 何の声も上がらない。やはり異論は湧かなかった。


 ――ここに居る30人が皆、同一人物。


 信じられない状況だけれど、何となくすんなりと納得できるところもあった。顔だって身体だって、仕草だって、全部見慣れた自分のものだ。もしこの場に二人くらいしかあたしが居ないのならドッペルゲンガーとかで恐いのかもしれないけど、ここまで沢山いると、驚きを通り越して先に心のたがが外れてしまったようだ。


「じゃあ、目が覚める前の覚えてることは? あたしは、明日から夏服だから準備をしてから寝たんだけど、結構寒かったら途中で毛布を一枚増やした。それで寝て起きたら、こんなところに居た」

「!」


 今度は、ざわめきが起きる。皆、目を丸くして仕切り屋のあたしを見ていた。あたしも例に漏れず驚いた。

 なぜなら、最後の記憶が仕切り屋のあたしとまったく同じだったから。


 六月から高校の制服が夏服に切り替わる。一年ぶりに出した半袖のブラウスを壁に掛けて、リボンタイも用意して、ちょっと寒いけど大丈夫だろうと思って寝たら予想以上に寒くて毛布を出して寝直したのだ。


「あたしも同じ……でも、もう制服着てるよ。着た覚えはないんだけど」


 後ろの方に居た、制服のあたしが少し身を乗り出して言った。言ったとおり、半袖の夏服を着ている。実はリボンタイがうまく結べないのが悩みなのだが、傍から見ると普通に結べているように見える。新発見だ。他にも数人の、夏服のあたしが挙手している。靴下がそれぞれ違うので判別がつく。


 ふと気付いて、あたしは自分の身体を見下ろす。あたしはトレパンにTシャツ姿だった。部屋着か、ちょっと近場に買い物に行くときの恰好だ。そして、少なくともこの恰好で寝た覚えはない。

 仕切り屋のあたしが制服のあたし達を上から下まで眺めて、唸った。


「着るまでの記憶は、無いの?」


 制服のあたし達が揃って頷く。


「じゃあ、他にも今の状態が記憶とズレてる人、いる?」


 すると結構な数の手がそろそろと挙げられた。白い壁に凭れていたり、座ったり、立っていたりするあたしの半分くらいが深刻な顔で仕切り屋のあたしを見つめていた。


「あたしは、怪我してる。多分トラにやられたんだと思う」


 また一人、長袖の部屋着のあたしが発言した。言いながら仕切り屋のあたしに歩み寄り、袖をめくってみせた。腕の内側に真っ赤で痛々しいひっかき傷がある。猫のトラヲにやられたような傷だ。やられて間もないのか、裂けた皮膚の周辺が赤く腫れ上がっている。


「あ……あたしも」


 おずおずとそう言ったあたしが五人ほど。パジャマ2と制服3。皆、腕の同じところに傷があった。

 だが決定的な違いもあった。同じ傷なのに、治癒の度合いが違ったのだ。パジャマのあたしの手の傷はまだ真っ赤だけど、もうかさぶたの色がくすんでいるし、制服のあたし達のはそれぞれどんどん腫れが引いて目立たなくなっていっている。

 見ているうちに、バラバラで角も絵柄も無いパズルのピースが、音を立てて一つはまった気がした。


「ふむ。だんだん治っているって感じだね」


 同じ腕を五本並べさせた仕切り屋のあたしが言った。頷くあたし達。理解が早くて助かるというか、皆思考回路が同じなのだろう。気持ち悪いくらい皆同じように深刻そうな顔になる。


「みんなも思ってると思うけど、代表して言わせてもらうね……最初は違う世界だとか並行世界だとかの何かかと思ったけど、傷の治り方を見てそうじゃないって確信した。多分、あたし達は一日ごととかに違う時間のあたしなんだと思う」


 仕切り屋のあたしの言葉に、頷くあたし達。


「トラが三歳になるから六月中に予防接種に行かないといけないってのは覚えてる。あいつ病院嫌いだから多分そのときにやられたんじゃないかな」


「そういえば、六月って丁度30日だね」

「そうそう。制服が多いのは平日の分だろうねー」


 口々に喋りとんとん拍子に状況の解析が進むが、そんなとき、一人の小さな呟きであたりは再び静まり返ってしまった。

「でも、どうして……?」

 どうして。それに答えられるあたしは居なかった。

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